気ままに

大船での気ままな生活日誌

中秋の名月 お月見は大船渡のお酒で

2015-09-27 22:09:58 | Weblog

今日は中秋の名月。朝のどんよりした曇り空を見上げ、今年も無理かなと思っていた。でも、大船と藤沢のお祭りから帰ってきて、東の空をみると、なんと、山の端の雲が一部、切れてきている。ひょっとしたらと、月の出の時刻である5時頃から、ときどき窓から覗いていた。

相撲をみながらだったので、一番、終わるごとに、チェックしていた。結びの一番、鶴竜と照ノ富士戦が始まる。予想した通り、観客から照ノ富士コールがおこる。みな、前日の横綱らしからぬ立ち合いを知っているから。ぼくも照に声援。応援が通じたのか、照が完勝した。大歓声の中、ぼくは窓に近寄る。そのときはまだ月はみえない。そして、優勝決定戦。今度は鶴竜が勝って、横綱昇進後、はじめての優勝を決める。そして、また窓に。なんと、そのときに、雲間からぽっかりと、大きな名月が現れていたのだ。

中秋の名月、現れる。

雲間から顔をみせる

で、月見で一杯をはじめる。 お酒は、大船to大船渡/岩手県復興支援産業まつりで買ってきた、大船渡のお酒、酔仙。

東北大震災が起こった2011年から地名が似ているという縁で復興支援の交流が始まった。毎年、大船のメタセコイア並木の大通りで、大船渡の物産店が並ぶ。今年も、多くの人がつめかけた。

お酒はこの売店で買った。

何といっても、一番人気は、目黒のさんま・・・ではなく、大船渡のさんま!整理券が配られ、午前中の分はもう売り切れ(無料)。秋刀魚はあきらめた。

大船渡のさんま

おいしい、おいしい

さて、お月さまは、雲に隠れたり、現れたり。大船渡のお酒をいただきながら、ときどき、ベランダに出てお月見を楽しんだ。

中秋の名月、今年は十分、楽しめました。明日はスーパームーン。大船のスーパーで買った、いつものお酒でお月見の予定。

。。。。

今日は、特別に、京都祇園祭の大船鉾にも出演してもらいましようか。同姓のよしみで。

写真は、2014年後祭りの巡行のときの
。今年は六本木ヒルズに来られていたので、来年は是非、大船to大船渡まつりにもにも来ていただきましょうか。




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明治有田/超絶の美

2015-09-27 10:25:40 | Weblog

そごう美術館で開催されている”明治有田/超絶の美”展。すごい、すごい、エネルギッシュで麗しい。たっぷり目の保養をさせていただきました。

江戸時代初期に日本初の磁器作りに成功した有田焼。来年、有田焼創業400年を迎える。その記念事業に先駆けての展覧会とのこと。ここでは明治時代の有田焼。初公開50点以上を含む約200点という豪華さ。

明治に入り、有田焼は政府により殖産興業製品として位置づけられて、トップクラスの職人が集合した。彼らは、明治政府作成の”温知図録”等をもとにして、革新的なデザイン、そして、色絵や金彩をふんだんに用いた華やかな、西洋人好みの品々を次々と制作した。

これらの作品は明治6年(1873)のウィーン万国博覧会をはじめ、フィラデルフィア万博(1876),パリ万博(1878)などに出展され、世界を驚かせ、各国から非常に高い評価を得た。実際、博覧会に出展されたものも、ここに展示されている。

人の背丈の1.5倍もあるような巨大な花瓶や径1メートルもある大皿、再現不可能と言われる細密描写の文様。そんな、明治の作品群をみていると、ふと、司馬遼太郎の”坂の上の雲”のはじめの文章が思い浮かんだ。”まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。「小さな」といえば,明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく,人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは,日本史上の最初の体験者として,その新鮮さに昂揚した。この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ,この段階の歴史は分からない。そう、昂揚感が感じられるのである。

当展では明治期の有田をリードした香蘭社や精磁会社を中心に、万国博覧会への出品作品や皇族・華族が使用した洋食器、それらの元となった図案類などを展示し、明治有田の超絶の美を紹介します(ホームページより)
 
作品群
 
香蘭社・染付藤文洋食器(1910年頃) 立花家資料室
 
素晴らしい展覧会であった。

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徹子の部屋展

2015-09-27 09:19:56 | Weblog

おはようございます。今日は、大船と藤沢でお祭りがあるし、夕方には中秋の名月がのぼってくるし、是非、晴れてもらいたいと念願しているが、今のところ、どんよりとした空。

この二日、つづけて横浜で遊んでいた。はじめの日は雨だったので、屋内遊戯(笑)。東口のそごう美術館で明治の有田焼をみて、西口に廻ったら、横浜高島屋で徹子の部屋展をやっていた。どちらも、なかなか面白かった。そして昨日は、神奈川歴博で開催中の五姓田義松展をみて、街歩きもした。それぞれの展覧会を、順に紹介していこうと思う。

まずは徹子の部屋展。なんと、放送開始以来40年(1976年2月2日から)、10000回記念だそうだ。びっくり。まず、延べ1万人のゲストの名前が、出演順に書かれているコーナー。トップバッターは森繁久弥さん。別のコーナーでは、ビデオでの一口放映も。森繁さん、沢村貞子さん(浅草ではね、女はめそめそしない、ごはんの支度が遅れるでしょ、と言われて育ったのよ)、鶴田浩二(ぼくが50過ぎたって、母親にとっては、いつも小さな子供、母子関係には論理ではないんですよ)、三木のり平(喜劇役者は家では不機嫌なんでしょ、と聞かれて、そんなことはないよ、ただ普通にしてるだけだよ)、森光子、山田五十鈴とか懐かしい顔も。

インタビュー用のメモ用紙も公開されている。随分、詳しく調査されている。そして、”徹子の部屋”コンサートで着用したステージ衣装の展示や、楽屋の再現も。

キャッチコピーが”40年分の解けない魔法をご覧ください”。27日(日)、今日までです。お近くの方は駆け付けてください。面白い写真も撮れますよ。

玉ねぎ頭の写真が撮れる、魔法の鏡。


徹子さんの写真と思いきや

何と、40年間に撮った10000枚の徹子さんのピースから出来上がっています。

ステージ衣装

楽屋再現。メモ用紙も。


82歳になられた徹子さんがんばって!


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