気ままに

大船での気ままな生活日誌

座間のひまわりまつり

2016-08-13 23:24:19 | Weblog

こんばんわ。

リオ五輪の柔道、最終日も男女それぞれ、銀と銅をとり、有終の美を飾った。五輪史上、最高となる12個のメダル。また、テニスでは錦織圭が、大逆転の勝利で、ベスト4へ。こちらは五輪史上、96年振りのメタル獲得に大きな一歩を踏み出した。ちょっと寝不足で頭がぼおっとしていたが、すっきりさせようと、今日は、少し、遠出をして、広大なひまわり畑を見に行った。

実は、このひまわり畑は今回が二度目。去年は、茅ヶ崎からの相模線に乗ること40分、相武台下駅から入ったが、今回は、まだ”ひまわりまつり(8/11~8/16)”が開催中で、小田急の相武台前駅からシャトルバスが運行しているというので、そちらから入った。まつりの真っ最中ということで、座間会場のひまわりは見事に咲きそろい、見頃になっていた。

バスを降りると、稲穂の彼方に、ヒマワリ畑がつづいている。家族連れや若い人が多いが、みな歓声をあげていた。

最初のひまわり畑。どの花もようこそ、ようこそ、とでも言っているようにぼくらを迎えてくれた。

大勢の人がひまわりと交歓。

いくつも畑がある。どこも見頃になっている。これは、後ろ向きのひまわり。

子供好きなひまわり。

展望台もある。

そこからの風景が圧巻

1969年(昭和44年)に座間市の市花に制定されたヒマワリ。  
座間市の花「ひまわり」は、平成5年から農協青壮年部が中心となって荒廃地、遊休農地対策の一環として、ひまわりの景観植栽を行い「ひまわり広場」として公開したことが始まりです。
1994年(平成6年)には「かながわの花の名所100選」にも選ばれています。
年々規模は大きくなり、2000年(平成12年)には「座間市 の環境づくりの推進」を目的に「座間市ひまわり推進協議会」が発足、今では総面積5.5haを超える規模に拡大しています。

近くに、露店などが集まる広場がある。

鮎つかみ取り

すいかをがぶり。これで200円。

まだまだ、あるヒマワリ畑。

きりがないので、ひまわり畑にさようなら。

帰りは、相模線の相武台下駅に。思ったより遠く、暑くて、熱中症になりそうだったが、駅に着いたら、すぐに茅ヶ崎行の、冷房のよく効いた電車がやってきて、助かった。見事な金メタルのようなひまわりをたくさんみて、大変、満足した。

では、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を。

ぼくは、これから、100メートル予選の観戦。桐生がボルトと同組で走る。夢の9秒台で走る恰好の晴れ舞台ができたぞ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中村紘子さんを偲ぶ

2016-08-13 09:41:03 | Weblog

おはようございます。今日は、盆入りですね。

ピアニストの中村紘子さんがこの世を去ってから、かれこれ半月になる。三日前、高校時代の友人と川崎ミューザに”飯守泰次郎のワーグナー”を聴きに行ったときに、ロビーに中村紘子さんの追悼コーナーがあるのに気付いた。それによると、中村さんは、2004年7月のミューザ・オープニング・ガラ・コンサートに出演以来、何度もミューザのステージで演奏されたとのこと。最近では、今年の4月30日、東京交響楽団との”名曲全集”で、モーツアルトのピアノ協奏曲第24番を演奏され、療養後、完全復帰された。そのとき、”ここ(ステージ)こそが私の生きる場所”と喜びを語っておられたそうだ。あれから、わずか三カ月、突然の訃報に驚いています。ご冥福をお祈りします、と結んでいた。

追悼文のほか、ここでの演奏写真や紘子さんの最後の演奏時のサインが掲載されていた、

ぼくは、中村紘子さんのコンサートには数回行っているが、直近では2008年、9月の鎌倉芸術館。ベートーベンの”月光”やショパンのワルツ全14曲など、素晴らしい演奏だった。まだ60代に入ったばかりの頃。何故、年齢が分かるかというと、ぼくと同い年だから。ついでながら吉永小百合さんも栗原小巻もそう。われらがガクネンは美女ばかりナノダ。

2009年がデビュー50周年で、演奏会は3500回に及ぶそうだ。5歳から始め、天才少女ピアニストといわれ、16歳のときにN響の世界ツアーのソリストに抜擢される。しかし、18歳のときアメリカ留学し、演奏はエンジョイするものだと教えられ、目が開かれた思いがしたそうだ。その後、”進化”をつづけ、60代の今も、今が一番、自分らしく弾けると思っている、と当時のNHKの番組で語っていた。

紘子さんの御主人は言わずと知れた、庄司薫さん。芥川賞を受賞した”赤頭巾ちゃん気を付けて”の中に、”中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について・・・優雅にショパンなどを弾きながら暮らそうかなんて思ったりもするわけだ”という文章を紘子さんが見つけ、それが縁で結婚されることになった。25才のときである。紘子さんは文才があり、庄司薫さんが事実上、引退したあと、ご本人がいくつも随筆を出している。文体も薫さんと似たところがあるし、”赤頭巾ちゃん”を読んだときにぐっと惹かれるものがあったのだろう。

70代の紘子さんの弾くショパンを聴いてみたかった。新盆ですね。ご冥福をお祈りします。

では、みなさん、今日も一日、お元気で。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする