こんばんわ。勝った試合は、何回、見てもあきない。今日も、何度、愛ちゃんの涙をみたことか(笑)。さて、今日は茅ヶ崎に出掛けた。図書館で北杜夫の”マンボウの夢のまた夢”を読み終えたあと、隣りの高砂緑地を彷徨った。ここで、はじめてみる石碑をみつけた。
はじめてのはず、平成28年6月の建立というから、まだつくられたばかり。
それは、山田耕作の顕彰碑だった。石碑表面には、赤とんぼ作曲の街/晴朗な湘南茅ヶ崎の大気/南湖の居にて/山田耕筰記と刻まれている。帰ってから、茅ヶ崎のタウン誌のサイトをみつけ、そこに、この顕彰碑のことが出ていた。それによると、”晴朗な湘南茅ヶ崎の大気”とは、山田耕筰自身が童謡百曲集のあとがきに記した言葉だそうだ。
裏面を覗いてみると、はじめ、何をモチーフにしているのか分からなかったが、前述のサイトによると、赤とんぼをモチーフにしているとのことで、”この赤とんぼの大きな目を撫でると幸せになれる”という願いが込められているそうだ。写真をよくみると、なるほど、合点!”山田耕作と赤とんぼを愛する会”が建立した。なお、茅ヶ崎中央公園にも同様な趣旨で、赤とんぼの碑があるが、それは、2012年に建立されている。山田耕筰は1926年、40歳の時に家族6人で茅ヶ崎へ移ってきた。2年前に設立した日本交響楽協会(現NHK交響楽団)の分裂問題などで疲れ果ててのことだ。茅ヶ崎の南湖に居を構え、ここで穏やかに暮らす中で、再び彼に作曲の意欲が湧いてきた。「赤とんぼ」や「この道」、「砂山」といった名曲は、茅ヶ崎で過ごした約6年間で生まれた。
この緑地は、以前、紹介したことがあるが、明治の有名な新派俳優である川上音二郎の別荘があった場所。その後は原安三郎氏の別荘となったが、現在は茅ヶ崎市が管理している。ここには、平塚雷鳥の碑もある。最近、朝ドラの、”とと姉ちゃん”にも”出演”してる。雷鳥の伴侶、奥村博史との茅ヶ崎・南湖の地での巡り合い、ここを”愛のふるさと”と偲んだ。説明文に日本女子大卒とあったので、思い出したが、前回の朝ドラ、”あさが来た”でも学生時代の雷鳥が”出演”していたっけ。
”元始、女性は太陽であった” の碑文。
茅ヶ崎の南湖院で療養生活を送った、詩人、八木重吉の詩碑もある。虫。
虫が鳴いている/いま、ないておかなければ/もう駄目だというふうに鳴いている/しぜんと/涙をさそわれる
ちょうど、蝉が、いま鳴いておかねば、もう駄目だというふうにジージーと鳴いていた。
。。。。。
では、おやすみなさい。夢のまた夢をごらんください。