気ままに

大船での気ままな生活日誌

茅ヶ崎・高砂緑地でみつけた山田耕作顕彰碑

2016-08-17 22:17:07 | Weblog

こんばんわ。勝った試合は、何回、見てもあきない。今日も、何度、愛ちゃんの涙をみたことか(笑)。さて、今日は茅ヶ崎に出掛けた。図書館で北杜夫の”マンボウの夢のまた夢”を読み終えたあと、隣りの高砂緑地を彷徨った。ここで、はじめてみる石碑をみつけた。

はじめてのはず、平成28年6月の建立というから、まだつくられたばかり。

それは、山田耕作の顕彰碑だった。石碑表面には、赤とんぼ作曲の街/晴朗な湘南茅ヶ崎の大気/南湖の居にて/山田耕筰記と刻まれている。帰ってから、茅ヶ崎のタウン誌のサイトをみつけ、そこに、この顕彰碑のことが出ていた。それによると、”晴朗な湘南茅ヶ崎の大気”とは、山田耕筰自身が童謡百曲集のあとがきに記した言葉だそうだ。


裏面を覗いてみると、はじめ、何をモチーフにしているのか分からなかったが、前述のサイトによると、赤とんぼをモチーフにしているとのことで、”この赤とんぼの大きな目を撫でると幸せになれる”という願いが込められているそうだ。写真をよくみると、なるほど、合点!”山田耕作と赤とんぼを愛する会”が建立した。なお、茅ヶ崎中央公園にも同様な趣旨で、赤とんぼの碑があるが、それは、2012年に建立されている。山田耕筰は1926年、40歳の時に家族6人で茅ヶ崎へ移ってきた。2年前に設立した日本交響楽協会(現NHK交響楽団)の分裂問題などで疲れ果ててのことだ。茅ヶ崎の南湖に居を構え、ここで穏やかに暮らす中で、再び彼に作曲の意欲が湧いてきた。「赤とんぼ」や「この道」、「砂山」といった名曲は、茅ヶ崎で過ごした約6年間で生まれた。

この緑地は、以前、紹介したことがあるが、明治の有名な新派俳優である川上音二郎の別荘があった場所。その後は原安三郎氏の別荘となったが、現在は茅ヶ崎市が管理している。ここには、平塚雷鳥の碑もある。最近、朝ドラの、”とと姉ちゃん”にも”出演”してる。雷鳥の伴侶、奥村博史との茅ヶ崎・南湖の地での巡り合い、ここを”愛のふるさと”と偲んだ。説明文に日本女子大卒とあったので、思い出したが、前回の朝ドラ、”あさが来たでも学生時代の雷鳥が”出演”していたっけ

元始、女性は太陽であった” の碑文。

茅ヶ崎の南湖院で療養生活を送った、詩人、八木重吉の詩碑もある。虫。
虫が鳴いている/いま、ないておかなければ/もう駄目だというふうに鳴いている/しぜんと/涙をさそわれる

ちょうど、蝉が、いま鳴いておかねば、もう駄目だというふうにジージーと鳴いていた。

。。。。。

では、おやすみなさい。夢のまた夢をごらんください。

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絵本作家・西村繁男の世界展

2016-08-17 10:49:35 | Weblog

横浜の神奈川近代文学館で”絵本作家・西村繁男の世界展”が開催されている。ぼくは絵本展が結構好きで、ここ横浜や鎌倉文学館などでよくみている。ほのぼのとした気分になれるし、作家の人生を垣間見られるのも楽しい。

入口で、白髪と白ひげの西村繁男さんの写真が出迎えてくれる。てっきり、ぼくより上かと思ったら、逆に二つほど下で、同世代ということで親しみがわいた。昭和22年に高知市で生まれ育ち、大学は東京へ。商学部だったが、イラストレーターになりたくなって、そちらの専門学校にも通う。卒業後、絵本作家の田島征三氏に出会い、ベトナム反戦野外展に出品した。その後、くずのはやまのきつね(文・大友康夫)の絵を担当して、デビュー。その後、文字のない絵本作家として活躍される。それでは、展示順に、小冊子(図録)の絵を並べて、出発進行!

やこうれっしゃ 西村繁雄の代表作で、夜行列車で上野から金沢まで旅する人々を追ったもの。文字がひとつもないが、さまざまな人生を背負った乗客の言葉が聞こえてくるような感じ。列車の描写も本格的。



おふろやさん 遠い昔の銭湯時代を思い出してしまう。女風呂も覗けますよ(笑)。




にちよういち 故郷高知市の”日曜市”に取材。

内田麟太郎(文)と組んだ作品も。↓

おばけでんしゃ


むしむしでんしゃ

おでんさむらい


ようちえんがばけますよ

いろいろ化けて、最後は、だれでもどうぞのようちえんです。みんなおいでのようちえんです。

みんなおいでの世界です。西村繁男ワールド。

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涙の銅メタル 卓球女子団体&シンクロ・デュエット

2016-08-17 08:58:57 | Weblog

おはようございます。

こちらは台風一過の朝を迎え、久し振りに富士山がよくみえています。

卓球女子団体も、一昨日の無念のドイツ戦の大嵐が過ぎたら、すばらしい青空が待っていた。福原愛、石川佳純、伊藤美誠がそれぞれ力を発揮、帰化中国人3選手から成る強豪シンガポールチームを撃破、銅メダルを獲得した。美誠ちゃん(15)が”先輩二人をてぶらで帰すわけにはいかない”と言ったが(笑)、準決勝では勝ってた試合を落としてしまった。でも、3位決定戦では本領発揮、見事に、銅メタルを先輩に渡すことができた。次の東京五輪では、控え選手の平野美宇(16)と共に主役になるのは間違いない。

愛ちゃん(27)は、涙、涙の、記者会見。個人戦でも銅メタルをとりそこね、団体戦でメダルなしで済ますわけにはいかなかった。”苦しいオリンピックだった”と胸の内を吐露。たぶん、五輪出場はこれが最後となると思われるが、見事、有終の美を飾ってくれた。考えてみれば、今日の卓球ニッポンの復活の最大の功労者は、小さい頃から注目されてきた愛ちゃんだ。10才も下の美誠ちゃんや美宇ちゃんも、愛ちゃんがいたからこそ出てきたようなもの。

石川佳純(23)は、個人戦の一回戦敗退がなんとも残念だったが、団体戦での活躍が光った。たしか、一度も負けていないのでは。さすが実力者という感じ。東京五輪では今の愛ちゃんと同じ年。団体は銀(ロンドン)、銅(リオ)ときたから、今度こそ、金メタル獲得の牽引者に!

おめでとう、卓球ニッポン女子チーム!

シンクロ・デュエットも涙の銅メダル。乾と三井。

風神雷神のポーズ。

66歳の井村コーチの誕生日でもあった。最高のプレセント。


それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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