おはようございます。
秋野不矩展を平塚に見に行ったのは10月26日のこと。すでに閉幕しているが、ブログには残しておかねばと書き始めている。
2008年に葉山(神奈川県近代美術館)で、生誕100年記念/秋野不矩展を見ており、回顧展は今回が二度目。今度の展示品は浜松市秋野不矩美術館所蔵のものがほとんどで、いわば秋野不矩美術館コレクション展のようなもの。
実は、この美術館を訪ねたことがある。2011年、掛川の加茂菖蒲園を見たあと、天浜線に乗った。天浜線とは、天龍浜名湖鉄道の略で、掛川から天龍川を跨ぎ(天龍二股)、浜名湖の向こう側(奥浜名湖)を抜け、東海道線の新所原までの鉄道である。秋野不矩は天龍二股の生まれで、ここにその美術館がある。ところが、そのとき、木造建築のため虫の燻蒸中で休館だった。また、そのうち、と思っていたのだが、実現せずにいた。それが、8年振りに天龍二股からわざわざやってきてくださったノダ。
元美術記者である司馬遼太郎が好んだ画家が7人いて、その中に秋野不矩がいる。司馬の”秋野評”。世界の絵画の中で、清らかさを追求してきたのは、日本の明治以降の日本画しかないと私はみている。いきものがもつよごれを、心の目のフィルターでこしにこし、ようやく得られた、ひとしずくが、美的に展開される、それが日本画である。その不易の旗手が秋野不矩である。秋野の絵画は松園の血脈をひいいていると私は思っている。詩的緊張が清澄を生むという稀有の系譜である。
秋野不矩(あきのふく、1908-2001)は21歳で京都に出て日本画を学び、1948年に日本画の革新を目指し、上村松篁らと”創造美術”(現在の創画会)を結成。その後、1962年以来、生涯で14回もインドを訪ね、黄土色を基調にした風景、人物画をたくさん描いた。やはり、秋野といえばインドですね。以下に示す絵画もほとんどそれです。
写真撮影が可能なエリアがあって、そこからズームで撮った絵画。画題が分かるものは記してある。
オリッサの寺院
以下、ちらしの写真から。
土の家(生命の樹)1985
少年群像(1950)
テラコッタの寺院(1984)
沼(1991)
インド女性(1964)
サーバント(1964)
絵本原画(絵本を描いていた時代もある)
では、最期に、”朝の祈り”を。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!