おはようございます。
今年に入って、小村雪岱展を続けて見ることができてうれしい。一つは三井記念美術館の”小村雪岱スタイル”、そしてもうひとつは、今日、紹介する日比谷図書文化館での”複製芸術家 ・小村雪岱/装幀と挿絵に見る二つの精華”展。こちらは、図書館での展覧会に相応しく、小村雪岱の装幀本がたくさん並んでいる。もちろん、挿絵画家としての作品も新聞連載小説など生で見ることができる。デッサンもあり、資生堂意匠部時代の作品など、まるで、日比谷図書館の小村雪岱資料室に入ったみたい。写真撮影も可能だったので、おおざっぱに本展を記録しておきたい。
第1章 鏡花本
泉鏡花の”日本橋”装幀が小村雪岱の装幀家デビューである。その後、ほぼすべての装幀を任されている。「小村雪岱」は、鏡花によって生み出され、まさに鏡花本の申し子である。
日本橋(泉鏡花)見返し図を含め雪岱の代表作でもある。
愛染集(泉鏡花)
第2章 新聞連載小説の挿絵
当時、新聞連載小説は挿絵画家にとって花形の仕事であった。小村雪岱は里見弴の”多情仏心”で新聞連載小説の挿絵を初めて手がけ、後に”雪岱調”と呼ばれる独自の画風を確立し、邦枝完二の「おせん」と「お傳地獄」で挿絵画家として地位を確立する。ぼくもおせんとお傳が大好き。
おせん
お傳地獄
第3章 ”雑誌の挿絵”
小村雪岱が挿絵画家として最も活躍したのは大衆雑誌であった。雑誌”キング”の創刊以来、多くの出版社が続き、雪岱の活躍の場は拡がる。
第4章 九九九会の仲間たちの装幀本
泉鏡花を中心とした会合、九九九会は、鏡花と気心が知れた仲間たちでとりおこなわれていた。その会の名は会費が九円九十九銭から由来する(笑)。会員は雪岱の他に岡田三郎助、その妻八千代、水上瀧太郎、里見弴、久保田万太郎らが名を連ね、昭和になると鏑木清方、三宅正太郎の二人も入会した。九九九会々員たちの著書の装幀も雪岱は一手に引き受けている。
銀砂子(鏑木清方)
小村雪岱画集
第5章 資生堂意匠部
資生堂は大正6年にデザイン部門として意匠部を設立する。経営者の福原信三は”日本調”のデザインを求め、それに応じ、大正7年に小村雪岱が入社した。ここで”銀座”の装幀や挿絵、雑誌の大正期”花椿”や”オヒサマ”の挿絵、冊子”化粧”の表紙絵などを担当した。さらに雪岱が資生堂に残した最も大きな仕事は、現在も続く資生堂独自の書体”資生堂書体”の源流として”雪岱文字”を持ち込んだことだという。
第6章 大衆小説作家の装幀本
昭和に入ってからの小村雪岱の装幀の仕事は、邦枝完二や長谷川伸、子母澤寛、村松梢風ら大衆作家たちの割合が増えていく。その一端を担っていたのが島源四郎の新小説社だ。島は出版第一冊目である長谷川伸の『段七しぐれ』の装幀を雪岱に依頼し、その後も雪岱に装幀を任せた。
邦枝完二 おせん
大仏次郎 怪談その他
川口松太郎 鶴八鶴次郎
鈴木彦五郎 ”両国梶之介”の挿絵原画
では、最後に団扇絵の雪岱美人をどうぞ。
美人にあきた方(笑)は風景画をどうぞ。
とても面白い展覧会でした。今月23日まで開催しています。無料です。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!