気ままに

大船での気ままな生活日誌

ぼくの散歩道の紫陽花、見頃開始へ

2022-06-09 22:29:20 | Weblog

こんばんわ。

ぼくの散歩道の紫陽花が見頃開始となりました。

川沿いの桜道は、六月になると紫陽花道に変身!

品種もいくつも。色とりどり。

柏葉紫陽花も

てまり。次第にピンク色に変わる。ち

花火!

渦紫陽花!

カルガモ日誌(4)6月9日 子供4羽とも元気!

6月1日、6羽の子カモを連れた母子と初めて出会ったが、5日後に再会したときは、2羽が早くも行方不明に。さて、今日は、4羽の子鴨は無事だったか?

出島でお休みのところをパチリ。母さんのうしろに隠れているようだ。

子供の数は、1,2,3・・・

4羽目も確認!よしよし。このまま育ってほしい。

近くに4人組の鯉がいつもたむろしている。敵か味方か?

鯉の上にはサボテンの花。

財津和夫:サボテンの花 「ひとつ屋根の下」同一屋簷下(主題曲)

カルガモの上にはひまわり娘。

ひまわり娘 伊藤咲子

そして、ヒメシャラの花。

金糸梅と美央柳が並んで咲いている。金糸梅の方がいつも早く咲く。

よく似ているが、雄蕊がふさふさの美央柳。

常緑山法師は少し遅れて満開に!

では、おやすみなさい。

いい夢を。


もくもく。八重の柏葉紫陽花。

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生誕110 年 吉田健一展 文學の樂しみ 

2022-06-09 09:14:43 | Weblog

おはようございます。

先月のことになるが、港の見える丘公園の薔薇園を見に行ったとき、神奈川県近代文学館(略称、カナブン)で吉田健一展/文学の楽しみを見に行った。まだ、記録していなかったので、あわてて、書き始めている。

吉田茂元首相の御子息で著名な評論家である吉田健一については、若い頃に著作をニ、三読んだ程度で、とくにファンというわけでもない。それでも文学展に入ってみようと思ったのは、やっぱりほとんど知らないで入った中島敦展のときのことがあるからだ。展覧会で彼の作品、”山月記”が、高等学校教科書の収録文学作品の5位に入っていることを初めて知り、それならばと展覧会場で文庫本を買い、読み始めた。ほれぼれするような文章に加え、物語がしんみりと面白く、久しぶりに感動して読んでしまった。そのあと、二冊目の”光と風と夢/わが西遊記”を書店で買い求め、これもまた、しみじみと面白かった。文学展に入らなかったらこういう本に出会わなかったはず。

吉田健一も”アフター展覧会”で彼の魅力を知ったといえる。展覧会を見たあと、図書館で彼の著作を二冊仕入れた。”吉田健一対談集成”と”ロンドンの味”。前者では彼の河上徹太郎らとの対談で(展覧会でも紹介されていたような)吉田健一の幅広い交友関係や思想を改めて知ることが出来た。

”ロンドンの味”はエッセイ集だが、これまで吉田健一全集からもれていた雑文などを拾い集めたもの。これが彼の活動していた幅広い分野(評論、翻訳、書評、随筆など)が程よく入っていて、とても面白かった。とくに随筆の”旅と味”の項。金沢、新潟、酒田など日本海側の食べ物がお好きなようで、おいしそうに紹介されている。相当な呑み助らしく(笑)地酒付きだ。たとえば金沢の鯛のおから蒸し、鰯は塩焼きのほかにおにえ寿司(押し寿司)がいいとか。金沢には晩年、20年に渡り、毎年、訪ねたようだ。新潟では信濃川を登って来る寒鱒の白焼きはそれが何という魚か分からないほどうまい、と。それから新潟から酒田にかけては味噌漬け、粕漬がいい。新潟の筋子の粕漬はとにかく旨い。酒田の料理屋で、はたはたの水炊きと鮭の土手焼きを食べたときには感激した。お酒は”初孫”、西洋梨のような淡い味がして一日中飲んでも飽きない、などなど。ぼくも旅に出れば地元の名物を肴に地酒が常だったから、面白く読ませてもらった。もしかしたら、以前、読んだのはこの種の随筆だったかもしれない。これで吉田健一に一気に親近感をもった。そのあと、さらに“旨いものはうまい”という随筆集も読んだが、これは北陸だけではなく全国の料理とお酒が出てくるし、薩摩のかるかん饅頭まで登場する。(家内がこれが好きで、明石家のだろうと言っていた)。”舌鼓ところどころ”という本もあるようだ。

さらに、”書評”のくくりでは、数々の書評の締めに、なんと前述の中島敦の”光と風と夢”が出てきた。読み始めて引き込まれた。ぼくがすでに読んだ本ということもあるが、吉田の卓越した文章力というのもあると思う。この本は”宝島”の作者スティーブンソンを巡る小説なのだが、吉田はこれをただの物語ではなく史伝ととらえ、森鴎外の(渋江抽斎や北条霞亭の)史伝に匹敵するものだという。文章の達人であることにも両者に優劣はないとし、さらに、現代日本語をつくったのは鴎外、漱石、そして時代を下って、中島敦であるとまで断言している。なお、この評論では”鴎外論”など、鴎外がたびたび登場し、吉田が鴎外に私淑していたことがわかる。こうして、カナブンの文学展で見た中島敦と吉田健一の二人がここでつながったことも楽しい。

カナブンは神奈川ゆかりの文学者を対象に文学展を開いている。中島敦は原節子も通った横浜の女学校の先生をしていた。吉田は戦後、34歳のとき鎌倉に転居、評論活動を活発に展開した。戦後、光明寺に開校された鎌倉アカデミアでは英文学の講義をした。当時鎌倉に住んでいた文人らと共に”鉢の木会”というサークルを結成し、ここには中村光夫、大岡昇平、三島由紀夫、福田恒存ら錚々たる文学者が集まった。展覧会ではその写真やら書簡が展示されているが、面白かったのは、三島由紀夫が何かに腹をたて脱会したのだが、それをなだめる吉田のわび状なども見ることが出来る。

思いつくまま、書いているが、展覧会では写真撮影もできず、メモもしなかったので忘れていることも多い。公式サイトのまとめをここに写し、締めとしよう。

吉田健一(1912~1977)は、当時外交官で、敗戦後内閣総理大臣を務めた吉田茂の長男として生まれ、海外の父の任地で過ごした幼少期に流暢な英語を身につけました。日本の中学を卒業後、ケンブリッジ大学に学び、その伝統と風土のなかでヨーロッパの文学に魅了されながらも、約半年後には、日本で文士として生きてゆく決意を固め帰国します。その後、長い修業時代を経て、磨き上げられた独特の文体で、文学研究、批評、翻訳、随筆、小説の間を自在に往来しながら「英国の文学」「乞食王子」「舌鼓ところどころ」「金沢」「時間」など個性あふれる作品を次々と世に送り出しました。当館では2016年にご遺族から吉田健一資料約5,700点を受贈し、「吉田健一文庫」として保存してきました。本展ではそれらの資料を中心に、酒、旅、友人たちを愛し、「文學の樂み」について繰り返し私たちに語りかけたその生涯と作品を辿ります。

アフター展覧会で楽しんだ吉田健一の著作。

あのときは薔薇とさつきが見頃だった。

もうこの展覧会はすでに終わっていて、次の、”生誕100年・ドナルド・キーン展”にバトンタッチしている。キーンは前述の”鉢の木会”に呼ばれたり、吉田ともつながっている。7月いっぱいやっているのでそのうち出かけたいと思っている。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (2)
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