気ままに

大船での気ままな生活日誌

The 有頂天大リーグ

2007-10-23 08:52:21 | Weblog
昨日は手に汗握る熱戦でした。松坂が5回、2失点にとどめ、1点差で勝利投手の権利を得て、でも二人の走者を残し、岡島へバトン。岡島、そのあと見事な火消し。リーグ優勝決定戦の大事な試合に二人の日本人投手が、先発、セットアッパーとリレーするなんて夢のようですね。今日のMVPは岡島です、と解説者が何度も口に出していました。ボクもそう思います。松坂が続投していたら、どうなったか、結局は大差の勝利でしたが、ポイントは、6、7回の岡島の無失点投球でした。すすすごい、岡島。岡島のおかげで、松坂も日本人初のポストシーズン勝利投手になりました。よかった、よかった、ばんばんじー、じゃない、ばんばんざい。

これで、ボクが以前のブログで予想したとおりの、理想的なワールドシリーズになります。相手は松井稼頭央のいるコロラドロッキーズです。夢の対決、松松対決がみられます。

二人ともムカシは西武ライオンズの同僚です。アメリカで、日本人対決のセイブ劇がみられます。オムスビウエスタンです。真昼の決闘です。ナイターなら真夜中のギター(この歌好きなんです)じゃない真夜中の決闘です。でも日本での放送は朝、♪あさはどこからくるかしらあのそらこえてくもこえてフェーンパークからくるかしら♪。ボクの心は、もうすっかり有頂天。

さらに、つづけてザ有頂天人間の紹介。タモリさんが有頂天、何故って?サユリストだから、何故って?小百合ちゃんは熱烈な西武フアンだから。もちろん小百合ちゃんも有頂天。もう、大人の休日倶楽部でボストンに飛んでいるかもしれない。小百合ちゃんは元西武の清原選手の大フアン、きっとメールしたでしょ、だから清原選手も有頂天。やっぱりオレもクワタみたいに来季は大リーグなんて言い出さないでね、スポーツ選手は散り際が大事です。

今日はすっかりちょうしに乗って、有頂天文章になってしまいました。どうもすみません。最後にあさってからの、ワールドシリーズの予想をして終わりたいと思います。この予想が当りましたら、10日後にもう一度、”The 有頂天大リーグ ふたたびの”のタイトルで有頂天にさせていただきます(汗)。

・・・
予想
ワールドチャンピオン:レッドソックス4勝3敗
MVP:松坂大輔 2勝0敗 防御率0.00 奪三振20 ノーヒットノーラン(最終戦)
敢闘賞:松井稼頭央 打率.455 本塁打3 打点10 盗塁7
殊勲賞:岡島秀樹 10イニング登板、無失点、防御率0.00

・・
写真はリーグ優勝決定で喜び合う松坂と岡島。 
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ハロウィン フラワーセンター

2007-10-22 14:06:09 | Weblog
昨日は秋晴れの、ビューティフル サンデイでしたね。”サンデー毎日”のボクですが、日曜日の町は平日とは違ったのんびりした雰囲気があり、やはり好きですよ。小旅行した翌日で多少、疲れが残っていましたので、電車に乗るのはやめて、ウオーキングだけで済む、大船フラワーセンターへ行ってきました。

ハロウィンの頃だったんですね。フラワーセンターの入り口近くに、ジャック・オー・ランタン(かぼちゃのお化け)の壁面花壇が飾ってありました(写真)。カボチャの黄色はマリーゴールドの花で、目、鼻や波形の口は葉っぱもので”描かれ”ていました。分りますか?。花壇の下には、悪霊を追っ払う、本物の恐いカボチャのお化けが置いてありました。中にはひょうきんなお化けもいました。カボチャのオバQちゃんですね。ハロウィンは、10月31日の前夜祭がピークのようですので、その日までは飾ってあると思います。

この壁面花壇をみて、今日のテーマは、”ひょうきんなオバQちゃんを捜そう”にしました。最近のニュースで、あちこちで桜の狂い咲きがみられることを知りました。葉のあるときには、まだ咲いちゃだめよという指令が花芽に伝わり、じっとしているのが、台風とか虫の害で葉っぱが落ちて指令がいかなくなると、ハナがむずむずしてきて咲いてしまうのだそうです。狂い咲きとゆうよりハナ風邪ですね。でも季節はずれに、ぼおーと咲いている姿は、ひょうきんなオバQちゃんのイメージでしょうか。そんなオバQちゃん探しに出掛けました。

フラワーセンターには、いろんな桜が住んでいます。まずボクは、ボクが”タマちゃん”とあだなをつけて可愛いがっている玉縄桜の家族を訪ねました。5人家族です。目立つ場所にいる名女形、”タマ三郎”も、築山にいる、桜界の叶姉妹”タマタマ姉妹”も、まだ子供の”タマえもん”のいずれも花をつけていませんでした。もう少し、ひょうきんな、いいかげんなところがあるのかな、と思っていましたので意外でした。

それで、ボクは4人の母親(原木)はどうなのか、彼女の住んでいる芍薬園のそばまで行ってみました。結構いい歳なので、少しはボケてきて、くるい咲きのひとつもあるだろうと思ったのでした。その、肝っタマ母さんも、な、なんと、狂い咲きゼロです。さすが、フラワーセンターが誇る、目玉の玉縄桜の親だけのことはある、しっかりしている、と思いました。歳はとっても、気がはっていると、ボケないのですね。見習わないとね。

次ぎに、ボクは彼女の近くにいる、センターの桜の開花宣言を決める標準木になっているソメイヨシノの大木の下に足を運びました。そして、顔をあげ、ひと枝、ひと枝、ていねいにくるい花がないかどうか調べてました。もし花が咲いていたら、大事件ですもんね。”フラワーセンター、早くも桜の開花宣言、例年より5ヶ月早い”の大見出しで、朝○新聞の湘南版にのるでしょう。・・・しかし、やっぱり、狂い咲きゼロでした。さすが、標準木に選ばれただけのことはあります、シャンとしてます。もしここで咲いててたら、隣のソメイヨシノにその地位を奪われていたところですね。

そして、ボクはここの何十本もある、寒緋桜、大寒桜、おかめ桜、敬翁桜、ヤマ桜、八重桜(冬桜は除く)などの桜の木の一本、一本について、開花の有無を丹念にチョウサしました。ほとんどの木が、まじめに、おとなしく、花ひとつ、つけていませんでしたが、たった1本の桜だけが、白い桜の花を十数個咲かせていました。その、さくらの名は、子福桜(こぶくざくら)。たしか春3月にきれいな白い花をたくさんつけていましたので、今の花は”狂い咲き”と判定していいだろうと思いました。と、とところがです、帰りに玉縄図書館で調べたところ、この桜は春と秋に2度咲くのだそうです。おまけに、一つの花から実が二つ以上できる子宝に恵まれるサクラで、”子福桜”の名前の由来になっているそうです。ボケてたわけではなく、ひとの二倍生きる、精力絶倫の桜ちゃんだったのです。

結局、フラワーセンターには、オバQ桜(ボケ桜ともいう)は1人もいませんでした。さすが、管理の行き届いた公立の植物園のさくらちゃんは羽目をはずしませんね。もう少し、ボク(ボケ)みたいに自由気ままに生きていいのに、と思いました(汗)。でも、仲間をみつけましたよ、ボケつつじちゃんです。あちこちで、のんきな花を咲かせていました。いいですね。

・・・
秋ばらが見頃になっています。それに今週末は県下一の菊花展が開催されます。是非おいでください。ついでにボクらも観察してくださいね。 お化けかぼちゃ壁面花壇&ボケつつじ&子福桜より



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幻想的な霧のブナ林 磐梯高原

2007-10-21 09:48:37 | Weblog
金曜から土曜日にかけて(ドキンちゃんの夢のお告げで土金にしました)、裏磐梯の紅葉を観に行ってきました。でもドキンとするような紅葉は、残念ながら・・でした。まず天気がダメでした。予報は両日とも雨でしたから、曇り空は”おんの字”かもしれませんが、やはり晴れてほしかったです。それに、例年より1週間ほど紅葉の経過も遅れていました。

初日。でも、上の方は見頃ですよ、というバスガイドさんの言葉に勇気づけられれ、ボクラは勇気りんりんルリの色、福島駅から磐梯吾妻スカイラインをぐんぐん登って行ったのでありんす。たしかに車窓からみえる景色は次第に秋色を増していきます。でもでもね、でした。突然、”雲の中に入ってしまったようですね”とガイドさんの申し訳けなさそうな声。ボクはいつも”雲にのりたい”と思っていますけど、こうゆうときは、のりたくないのです。一寸先は白い闇の世界。”本当なら左手に吾妻小冨士がみえます、何々山もみえるはずです”そして”紅葉も見頃のはずです”。ムムム、無無無でごわす。闇夜のカラスじゃない、白闇のカモメのジョナ損でごわす(泪)。

標高1600メートルの浄土平に到着。何もみえないので、仕方なく自然情報センターで映像や写真をみて、あこがれの紅葉ちゃんに想いをはせてました。ドキンちゃんどうしてくれる、前日は最高だったらしいんよ、とほほのほ。

浄土平をあとに、レークラインを下り、中津川渓谷へ。雲を抜けると、視界は良好。まあまあの山の紅葉を楽しむことができました。でも、やはり紅葉の背景はブルースカイでないとね、グレースカイでは映えません。そして、裏磐梯の湖が点在する、高原リゾート地のホテルグランデコヘ。

翌朝、起きると、晴れていました。今日はいいぞ、ありがとうドキンちゃん。と、とところが、朝食をいただいている時、く、く、雲が突如拡がってきて、出発の9時頃には満天の雲。とほほ、ドキンちゃん、どうしてくれる、とまた愚痴が出る。そして、ホテル近くのパノラマゴンドラに乗る、のっているうち、霧が出てきて、視界がわるくなってくる、また、口をつくのは、ドキンちゃんどうしてくれる・・

山頂駅に到着。ここからハイキングコースがいくつもあります。晴れてさえいれば、最高の高原散策になるはずなのですが。ますます濃くなった霧の中、ボクらはしぶしぶ、ブナ林散策コースを選び、歩き始めました。

突然、ボクの心の中の霧が晴れてきたように思いました。歩きはじめてすぐに、ボクは目の前の景色にどんどんひきこまれていき、この霧の景観に魅了されていったのです。深い霧の中に浮かぶブナの木々は、まるで墨絵の世界だったのです(写真)。木々の枝振りの輪郭だけが浮かび、また、紅や黄色のあでやかな葉をもつ木々も、その色合いを思い切り質素にして、幻想的に佇んでいました。そして、小径を歩く人々もすっかり画中の人になっていました。バスの中でガイドさんの話も聞かず声高に騒いでいたメイワクグループも、ここではひっそりと画中の人になっていました。

こんな景色ははじめてみたかもしれないと思いました。カンドー的でした。いつもおしゃべりなワイフも口数が少なかったので、少しはそうゆう感性をもっているのかと安心しました(汗)。一時間ほど、すばらしい墨絵の世界の中を歩き、心の中まで無の境地(笑)になり、心から堪能しました。こんな経験を出来たのも、晴天の日をはずしてくれた、ドキンちゃんのおかげです。どうもありがとう、ドキンちゃん。

ボクらはそのあと、中瀬沼のトレッキングコースを歩いたり、エメラルドグリーンに染まる毘沙門沼などの五色沼群を観たりして満足して、昨晩、帰ってきたのでした。
・・・
いい気持ちで帰ってきましたら、巨人がよもやの3連敗。とほほ、寝付きのワルイ夜でした。今、レッドソックスが始まったところです。絶対、勝ちます(きっぱり)。そして、明日、松坂でリーグ優勝を決めます(少しきっぱり)。





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窓際のトット(お魚)ちゃん

2007-10-19 07:54:34 | Weblog
ボクは江ノ島水族館の年間パスポートをもっています。で、いつでも気が向いたときに訪れることができるのです。先日、くらげチャンとお友達になったことを紹介をしました。今日は、ボクが”窓際のトットちゃん”とあだなをつけた、お魚(たぶん石鯛の仲間だと思います)についてご紹介したいたいと思います。

トットちゃんは、ボクがつけたあだ名のように、本当に、窓際にいるんです。巨大水槽の中には、8000匹もの鰯の一群が銀色の背中を翻し、回遊してたり、鯛やヒラメや、いろんな魚が泳ぎ回ったりしています。なのに、トットちゃんだけは、泳がずに、じっとしています。水槽のガラス面に顔を向け、ボクら見学者を「見学」しているのです。

ボクはしゃがみ込んで、トットちゃんの目をみつめました。人間だって、目と目が合えば、目をそらすのが、普通ですのに、トットちゃんは、じっとボクの目に視線を合わせていました。

ボクは、トットちゃんのちょっぴり淋しそうな目をみながら、こんんなことを考えていました。きっと、トットちゃんは、黒柳徹子さんの子供時代のように、学校の勉強が面白くなく、窓際でいつも外ばかり見て、いろんなことを夢想しているのだろう、と思いました。

そこで、ボクは10分ほどしてから、声をかけてみました。君、そんなに学校がきらいなのかい?。トットちゃんはこんなことを聞かれるのは初めてらしく、一瞬びっくりしたように、目をぱちくりさせていました。そうかちょっと、唐突すぎる質問だったなと、ボクは反省し、具体的な問いかけにしてみました。君のところもメダカの学校みたいなのがあるんだろう?と。

トットちゃんは、ちょっと、はにかんだような顔を見せながら、ようやく重い口を開いてくれました。石鯛にも「イシダイの学校」があって、みんなそこで勉強するんよ、と話してくれました。そこでは、体育系学部が中心で、ひとさまに気にいられるような水中ダンスについての理論と実技の学習や、体育に自信のないものは、家政学部に入り、どうすれば、ひとさまのお口に合うプリプリの刺身やおいしい煮物や焼き物の素材になれるかを勉強するのだそうです。

でも、トットちゃんはどちらの学部にも行く気がしなくて、いつも仲間から離れて、ここに来て、水槽の外ばかりを眺めているのだそうです。

そういうことだったのか、ボクは、トットちゃんをすっかり気に入ってしまい、そのあと10分くらい、話し込んでしまったのでした。そして、話しを聞いているうちに、トットちゃんはもしかして、イシダイ界のニュートンかもしれないと思ったのでした。

(つづく)

・・・・
これから、東北地方の紅葉を観に行ってきますので、つづきは、後日にします。






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大徳川展 in 上野

2007-10-18 09:30:59 | Weblog
上野の国博で開催されている「大徳川展」を観てきました。キャッチコピーのように”全徳川家の想いが集結する一大展覧会”でした。なにせ、御三家をはじめ日光、水戸などの東照宮に伝えられてきた、門外不出の宝物が勢揃いしているのですから。

はじめの会場の最初の展示物から、いきなりドッキリ、ドキンちゃんです。”シダ具足(家康所用)”、焦げ茶色のシックな具足(戦場でつける衣装)に金色の羊歯(しだ)の前立(兜みたいな飾り)。な、ななんと、関ヶ原の戦いで家康さんが実際着用したものだそうです。そして、その横には、巨大な金色の扇子が。扇子の骨が2メートルはあるでしょうか、”金扇馬印”です。そして、そのあとにも家康さんが着用した具足や鎧や鞍がずらり。関ヶ原合戦の様子が目に浮かぶようです。

そして、刀。ボクは、これまで刀剣類になんら芸術的関心をもっていなかったのですが、今回、国宝やら重文の太刀を眺めているうちに、とてもうつくしいと思うようになってきました。名刀正宗(名物観世正宗)の刀の部分の波模様のとろけるようなうつくしさ、刃先の繊細さ、ここでもドキンちゃん。正宗のお墓は鎌倉の本覚寺にあり、お参りしたこともあります。子孫の方が現在でも鎌倉で、刃物関係のお店を出していますよ。正宗の弟子、貞宗の短刀(国宝)も良かったですよ。

日本印刷史に偉大な足跡を残したといわれる銅版印刷の技術の一端もみせてもらいました。銅活字の大きいのと、小さいの。それにすり板も。これで、1615年に、10万個の活字を使って、125部も明時代の仏教書を出版したのだそうです。知らなかったです、これにも、どっきり、ドキンちゃんです。家康さん、すごい、徳川書店出版社の社長さんでもあったわけ、ソンケイしちゃいます。

そして、ボクが今回の全宝物のなかで、一番、ほろりとした作品。小さな、小さな、たからもの、それは、竹茶杓、銘(あだ名のこと)泪。本当に、泪なくして語れないのでありんす。秀吉から切腹を命ぜられたあとの、最後の茶会に臨むにあたって、千利休みずからが、つくった竹茶杓です。茶会のあと、それは古田織部に譲られました。織部はそれを納める、黒うるし塗りの筒をつくり、筒の窓からみえる竹茶杓をお位牌のように拝んでいたそうです。その竹茶杓と筒が並んで展示されているのです。

そして、女性陣が大喜びしていた、千代姫の華麗な婚礼調度品の数々、絢爛たる衣装の数々。3代将軍、家光が2才の娘の嫁入りのために、当時の最高の工芸品、衣装をつくらせたのです。家光さんの親としてのせつない心のうちがみえるようです。

そして、ラストを飾る、うるうる宝物。14代将軍、家茂に嫁いだ皇女和宮所用、”空蝉の袈裟”。家茂は長州征伐に出掛け、その凱旋土産として望んだ西陣織は、結局、形見として和宮に届けられることになります。

”空蝉の 唐織り布 なにかせん あやも錦も 君ありてこそ”

いかにすばらしい織物でも、あなたがいてこそのものです、この歌を添え、織物を袈裟に仕立て、家茂の追善法要に用いたそうです。オレンジ色を基調にした、鮮やかな、華やかな袈裟の衣ですが、肩のあたりの重なりのあいだから、皇女和宮の泪が流れているようでした。

・・・
会場を出て、しばらく休憩して、一般展示会場へ。特集陳列”板碑、中世の供養塔”を覗いてみました。ボクは石仏とか供養塔にもちょっと関心をもっていて、将来、ケンキューしてみたいなと思っているブンヤなのです(汗)。板碑は、いたひ、と呼びますが、いかにも語呂がワルイので、ボクはこれをノリピーのマネをして、イタピーと呼んでいます。

関東のイタピーは緑泥片岩(長瀞で採れるそうです、うすい石板にしやすいのです)でつくられていますので、イタピー全体が緑色がかっています(ボクは緑色が好きなのです)。そして、イタピーの上部には種子(しゅじ)と呼ばれる、阿弥陀如来などのシンボルマークみたいのが彫られています。中世のはじめの頃は、豪族のがものが多かったのですが、後期は庶民の供養塔になっていったようです。

イタピーもこうして、博物館に展示されると、なんだか一流の彫刻作品みたいです。シンプルな美です。さきほどの豪華絢爛の徳川さんの宝物が三つ星レストランのフランス料理とすれば、こちらは、町のおいしいお蕎麦屋さんのもりそばと言ったところでしょうか。

フレンチとお蕎麦を頂き、満腹した一日でした。緑のライオン像のある表慶館の前に、小田原城の前で発掘された、母親の一周忌供養のための自然石イタピーがあるというので、それを観て帰りました。







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散り際が見事

2007-10-17 09:50:53 | Weblog
早朝散歩のコースの、お寺の境内の一画に、見上げるような大きな金木犀の木があります。しばらくの間、金色の花と共に、漂ってくる甘い香りを楽しませてもらっていました。4,5日前から、急に香りがうすくなり、どうしたのかと、木を伺うと、花も落ち始めてきていました。

そして、今朝、その金木犀の木の下に、オレンジ色の花びらの絵の具で塗られた大きな円に気づきました。この数日で、すっかり散っていたのでした。とても、うつくしい光景でした。ここのお寺の、あちこちの普通の地べたに生えている苔をボクはとても気に入っていますが、そのうつくしい緑の苔に負けないくらいです。例えてみますと、オレンジ色の円形の花むしろでしょうか。

金木犀 花むしろしき お別れ会 (汗)

それにしても、散り際が見事です。こうゆうふうに去りたいものですね。それにしても、最近散り際のワルイ方が多いですね(笑)。



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平塚馬入のコスモス畑

2007-10-16 09:37:54 | Weblog
コスモスは日本人が大好きな秋の花の筆頭です。そのコスモスが、相模川の河口近くの河畔、”馬入・光と風の花づつみ”で花盛りというので、ワイフと一緒に出かけてきました。

馬入橋のバス停を降り、少し歩いて、相模川の土手を登ると、左手前方に、一面ピンク色のコスモス畑(3万平米だそうです)が拡がっていました。遠目では一面ピンクですが、近づいてみると、濃いピンク、うすいピンク、白色の花が、ちょうどいい案配に混っじていました。こうゆうときの、白花がなかなかの存在感を示しますね。お塩が甘味を引き立たせるように。少しですが、黄花コスモスも縁取りに植えられていました。いずれも、最高の見頃といっていいでしょう。こんな、すばらしいコスモス畑は久し振りに(初めて?)みたような気がします。

コスモス畑内の小径に入り、あちこち、きょろきょろ見渡しました。どこもかしこも見渡す限り、コスモス、コスモス、壮観です。観客も多く、あちらこちらでパチリパチリ。ボクも、コスモスの中に笑顔を埋めたポーズのワイフをパチリ。もちろん、今はコスモスの花摘みは花泥棒になって花罪(ツミ)ですが、10月28日(日)は、花摘みは罪になりません、思いきっり採ってくださいとのこと、その日が最終日だそうです。

なかなか離れがたく、コスモス畑内のいくつもの小径を何度も何度も往き来して、飽きるほどコスモスを観て、コスモスを触ったりして戯れました。そして、土手に登ってお弁当を食べながらも、また眼下のコスモス畑を見続けていました。

ついでに、恒例の(笑)一句。”秋桜(あきざくら)アキるほどみて 秋日和” 評:アキばかりでアキル句。・・ではと、”老妻の 笑顔うずめて 秋桜” 評(ワイフの):いくら句上でも、老妻とはひどいとクレーム。・・”句上でも 老妻いやよと 妻苦情 ”(汗)

ここは江戸時代、馬入の渡しがあったところで、広重の”東海道五十三次之内 平塚馬入川舟渡しの図”にも描かれています。その、もっと昔、鎌倉時代には頼朝が相模川(馬入川)に架かる橋を渡っているとき、奥州平泉で最期を遂げた義経の亡霊が現れて、驚いた頼朝が馬ごと川の中に落下したという伝えがあります。それで馬入橋というのです。

そんな歴史、ワタシ達何も知らないわ、と馬入のワタシのコスモスチャン達は、気持ちよさそうに、秋風に揺れていました。




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お十夜 

2007-10-15 10:13:39 | Weblog
映画「不都合な真実」を観たあと、とくに不都合なことがありませんでしたので(自由人ですので、うふふ)、500年も続いているとゆう伝統行事、十夜法要(お十夜)を材木座の光明寺まで観に行きました。

20数分歩いて、お寺に近くなると、バス通りにお祭りらしい雰囲気が出てきます。植木市や”お十夜名物、ゆで栗”の旗をたてた出店とかが目立ってきます。山門までくると、夜店(このときはまだ昼店ですが、笑)がずらりと並んでいるのが目に飛び込んできます。さらに、山門をくぐると、あの広い境内が、所狭しと出店で埋まっています。いつもみかける、野良猫ちゃんはどこに行ってしまったのでしょう、一匹も見当たりません。

本堂前には、六角の大きな角塔婆が立っていました(写真)。この上部から、白布で編んだ綱が本堂の阿弥陀如来さまの御手とつながっています。”善の綱”と呼ばれています。参拝者が握る綱は、このときはまだ横の桜の木の枝に掛けられていましたが、夜には下ろされ、参拝者が次々とこの綱をにぎり、阿弥陀如来さまと間接的に「握手」をしていました。

このお十夜は平安時代に唐から比叡山に伝わり、のちに後花園天皇が京都の真如堂(紅葉がきれいだったな、また行きたいな)に伝えたものだそうです。十日十夜、念仏を唱えれば、極楽で1000年修行したと同じことになるのだそうです。

3日間、いろいろな式典が行われますが、この日、ボクは5時から7時ぐらいまで、大殿説教、初夜法要、稚児礼賛舞を本堂で見学させてもらました。お説教といっても、怒られるわけではなく(笑)、結構、面白いお話でした。ボクが今、市民講座で勉強している平家物語の講義のようでした。それもちょうど講義と同じ時代の話でした。法然上人は、生涯たった1日だけ、ある修行(よく覚えていない)をしなかった日がありましたが、その日が木曾義仲が京都に攻め入った日なんだそうです。法然上人はそういう戦乱、飢饉の時代に修業をつんだ方ですので、争いを嫌い、平和を愛する仏教(浄土宗)を広めたのだとゆうことでした。

稚児礼賛舞は近くの小学校の女生徒たちが、おそろいの衣装をつけ阿弥陀如来さまの前で踊りを披露しました。今日のハイライトでフラッシュが飛びかっていました。とても可愛いらしかったです。

帰る頃は、夜店はすっかり本当の”夜店”になっていました。すごい人出になっていました。昔は小田原方面から、三浦半島一円からと、たくさんの参拝者があったそうです。現在でも地元の人に愛さている行事であることがよく分かりました。きっと、地元の学校の卒業生は、お十夜で仲間たちと会うのを楽しみにしているのだと思います。今日は幾人もの友達に会ったよ、とゆう嬉しそうな声を耳にしました。

屋台で、おでんとお酒をいただいてから、光明寺をあとにしました。ワイフの好きな、ゆで栗を買って帰ろうかと思ったのですが、ずいぶん大きな包みでしたので止めました。これ以上、メタボ体型になられると困るので(汗)。
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青い地球は誰のもの ”不都合な真実”

2007-10-14 09:23:17 | Weblog
「不都合な真実」は是非観てみたいと思っていた映画でした。それが、昨日、ようやく実現しました。グリーンかまくら連絡会主催の設立5周年記念イベントとして鎌倉駅前の市の施設で上映されていたのです。本当にタイミングよく、その日の朝刊のトップニュースが、この映画の”主役”アル・ゴアさんのノーベル平和賞受賞でした。そのせいか、会場は満席でした。

大統領戦に破れたゴアさんは、その後の人生を、地球の温暖化問題を世界の人に伝えることに専念しました。そのときの講演を中心に構成されたドキュメント映画なのです。ですから、映画をみているとゆう感じではなく、国際学会のキーノートスピーチを聴講しているような感じです。それだけ、科学的で説得力もあります。

1969年に、アポロ11号が月面着陸したときに、飛行士が撮った一枚の、宇宙に浮かぶ青く輝く地球の写真。これが、人々が地球の環境問題を考えるきっかけになったといいます。ところが、それ以後の地球環境の悪化は目を覆おうばかりです。炭酸ガスの急激な増加に伴い、うすい、ナイーブな大気圏が犯されて、余分な太陽の熱をじょうずに逃がすことができなくなり、気温の上昇が目立ってきました。そしてそれに伴う、海水の気温の上昇、異常気象、巨大ハリケーンが生じるようになり、各地の氷河や北極、南極などの氷も溶け始めています。さらにこれが進行すればと、マンハッタンも、世界の主要都市も海水に埋まってしまう、まるで、小松左京さんの”日本沈没”みたいになるとゆうのです。

映画では、多少誇張した表現はあるかもしれませんが、実際に、青い地球は瀕死の重体であることは間違いありません。そして、その原因が、ここ100年ほどの間に、異常に増殖しすぎた生物、ヒトのせいであることも間違いありません。そして、そのせいで、すでに多くの動植物の種が絶滅したり、その危機に瀕しています。

前途は決して明るいとはいえませんが、我々、ヒトは猛省し、少しでも、永くあのうつくしい青い地球を守る責任があると思いました。♪青い地球は誰のもの♪とゆうテーマソングがムカシありましたね。本当に、青い地球はヒトだけのものじゃありませんよ、ダンゴムシちゃんだって、苔ちゃんだって、♪みんな、みんな、生きている 友達なんだ♪です。

そして、”不都合な真実”を隠し、♪青い地球はオレのもの♪と言って、のさばっている”バカ殿”連中は絶滅希種にしたいですね(笑)。



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平家物語 そして木曾塚

2007-10-13 10:43:17 | Weblog
今日は朝からどんよりした天気ですね。朝の散歩はいつもと違う方向に足が向いていました。粟船山(大船の地名の由来になっています)常楽寺です。その裏山に木曾義仲の嫡男、清水冠者義高のお墓があるのです。昨日の講義で、ちょうど義高のことが話題になっていたので、しばらく振りに訪ねてみようと思ったのでした。

去年から、近くの女子大の市民講座で「平家物語」の講義を聴いています。お昼を食べたあとの講義ですので、つい、うつらうつらしてしまうことがよくありますが、そうゆう楽しみも含めて(笑)、もちろん内容も面白く、3期つづけて聴講しています。先生は鎌倉にお住まいの、この分野の権威の元大学教授の女性の方です。お声が若々しく、艶やかで、まるで平家物語の女琵琶法師の語りを聞いているようです。ついうっとり(汗)。

19年度後期講座、第1回のテーマは「頼朝と義仲、宿命の対決」です。ボクの関心のあるところですので、ちゃんと聴いていました。2時間の講義のうち、15分ほどは、うつらうつらしましたが、これぐらいは許してもらえるでしょね(汗)。「平家物語」巻7にあたります。岩波文庫本をテキストに使用していますが、その他に、今回は、参考資料として、歴史年表、延暦本(平家物語には、それぞれ内容が微妙に違う本があるのです)、方丈記などが用いられました。多角的な解説がされますので、よく分かります。平家物語は、史実に従ってはいますが、やはり物語であるので、ある人物を実際より早く死なせてしまったりすることもあるようです。また、この時期は日照りや台風などの天災で、都は大飢饉に遭遇していたのですが、平家物語は貴族の物語ですから、そうゆうことは、さらりとしか記述していません。しかし、方丈記をみると、飢饉による惨状が実にこと細かに記載されています。鴨長明はルポライターみたいです、と先生がおっしゃっていました。

ボクはこちらに引っ越してすぐに、偶然、義高のお墓、木曾塚を見つけて、こんな近くにあったのかと、大変びっくりしました。義高は、ほとんど人質のように、頼朝の娘、大姫の婿となり、義仲が滅ぼされたあとは、頼朝に惨殺されます。義高を心から愛していた大姫は、その後すっかり身体が弱り、二十歳前後で短い生涯を終えることになります。

講義でも、木曾塚のことが触れられました。時代が下がって江戸初期に、常楽寺の南西に「木曾免」と名の水田(木曾義高の供養のための費用を出す水田だから、雑税はあ免除になっている田とゆう意味)から枯骨の入った青磁の瓶が見つかり、それが今の木曾塚に移された、ゆうことです。

早朝の木曾塚は、常楽寺の裏山の頂の大きなイチョウの木の下に、静かに佇んでいました(写真)。そのすぐ坂の下に、大姫の墓ともいわれている、(北条泰時の娘の墓との説が有力ですが)姫宮の墓があります。粟船山常楽寺略記によると、常楽寺は北条政子が、二人のために「粟船御堂」を建てたのが、始まりとされています。大姫の墓の真偽はともかく、二人の魂がここで一緒にななっているのは、間違いないとボクは思います。






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