気ままに

大船での気ままな生活日誌

ナポリの鯉のぼり

2011-04-26 09:51:26 | Weblog

ナポリというと、アパートとアパートの間に紐を渡して、洗濯物を干す風景が有名です。いたち川沿いを散歩している途中、みかけたナポリの洗濯物?・・・よくみると鯉昇りだった。集合住宅では、大きな鯉のぼりをたてられませんから、いい考えですね。もうすぐ端午の節句。

いたち川は柳がすっかり一人前の緑になって、川辺には、子供のようにかわいい、ハルジオンが咲き始めました。

 日本のこどもたち、すくすく育ってね。おじさんたちのせだいが、わるい、ごめんね。

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三春の滝桜

2011-04-25 10:34:21 | Weblog

三春の滝桜は、母さんが5月2日に亡くなった2年前の春を除いて、毎年、観にいっている。今年も是非にと思っていた。ただ、大震災や原発事故の影響で、交通事情がどうなるか、心配だった。新幹線も福島までは通るようになり、郡山から三春までの磐越東線もはしっている。そして町役場に聞いたたら、三春駅から滝桜までのバスも例年通り、出ているとのことだった。ちょうど満開になったことを新聞で知り、今日しかないと、好天の日曜日に出かけてきた。

バスから降りてすぐには、滝桜はみえない。少し歩いて、建物の影を過ぎると、突如、姿を表す。滝桜の神々しい姿に、いつきても感動する。白洲正子が富士山と並ぶ神々しさと評した那智の大滝をぼくも観たが、その神々しさは、三春の滝桜も負けないと思う。千年の歳月を経て、この華やかさ、そしてこの静けさはなんだ。神が宿っているとしか考えられない。

それに今年の滝桜は特別だ。なぜなら、当地は、未曽有の大震災におそわれ、50キロ先では、人類史上最悪の、フクシマ原発事故がまだ進行中だ。ご神木は大きな揺れに耐え、しっかりと身を守った。そして、今、かなたの不幸を悲しげに見続けている。ご神木の千年の歴史で、はじめてみる暗い光景だろう。

ご神木は、名前の通り、滝のような下垂枝に、これ以上ないといった多くの花房をつけて、ゆっくりと揺れて、まるで人々の頭をなでているように、なぐさめているようにみえた。

ぼくは、大勢の人のあとにつき、次第にご神木に近づき、すぐ前まできた。本当にどの枝の花も満開だった。太い根元もしっかりとしていて、その横に祠がみえた。ぼくは黙礼し、災害復興とフクシマの奇跡をお祈りした。

 そして、ぼくはそこを離れ、滝桜をぐるっとひと回りするように、歩きながら眺めた。そして、丘の上に戻り、滝桜を見下ろしながら、弁当を食べた。それから、そこを離れ、湖の方まで歩いた。農家の庭や道路沿いの満開のソメイヨシノや枝垂れ桜がとてもきれいだった。こんなうつくしい山里をぼくらは決して、汚してはならない、とまたフクシマを想ってしまった。すでに郡山のある公園の土は放射線量の基準値を越えているのだ。

2011年4月24日の滝桜見物は、終生わすれられないものとなるだろう。

 

左から

丘の上から(お弁当を食べたところ)

右から

滝のように
 

 

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リサとガスパールちゃんと三春へ行く

2011-04-24 07:22:47 | Weblog

リサとガスパールちゃんに、今日、三春の滝桜を観にいくよ、と言ったら、連れってってというので、条件があるといいました。

そして、この写真をみせました。新宿御苑で撮った写真です。このようにしてね、と言いました。この写真、おじさんみたいにぼけてるね、と言われました(汗)。うんーん、なんだろう?・・・花の名前は?と助け舟を出しました。分からないので、教えてあげました。ふ・た・り・し・ず・か(本当は二輪草だけど、わからないと思うから)。新幹線の中で二人静かにすること。はーーい、静かにします、と約束してくれたので、連れていくことにしました。

これから出発。日帰りです。帰りは遅くなりますので、たぶん満開の滝桜の写真をおみせできるのは明日になると思います。

しんかんせんでおとなしくしていているリサとガスパールちゃん

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新宿御苑の八重桜

2011-04-23 10:52:02 | Weblog

新宿御苑の八重桜はすごいと思う。一葉、関山、普賢象の御三家だけで300本以上、その他の貴重な種類もいくつもある。大阪造幣局の八重桜には本数、種類ではかなわないかもしれないが、御苑のは、大きな、年を重ねた樹が多く、それに、広い場所で、自由にのびのびと育てられているので、姿がいいし心もひろびろしている。巨大な花傘の下には人々が自然とあつまり、お弁当を食べたり、写生をしたり、話したり、なごやかな時間をすごしている。

だから、ぼくは毎年のように、八重桜の新宿御苑を訪れる。この日も、どの樹もほぼ満開で、とても満足した。いつも今頃、総理大臣主催の花見の会が開かれるが、今年は大震災で、中止となった。福島の、三春の滝桜の下で総理主催のお花見を、という厳しい意見もあるが、それだけはやめてください。ご神木が迷惑します。ぼくのような、けがれのない(うそどす;汗)人間がお参りに行くところです。

全体の様子は、前回、リサちゃんのレポートでお知らせしたので、今回は品種別に八重桜の写真を載せたいと思います。

福禄寿 (ワイフが好きな品種)

関山

普賢象

 御衣黄

兼六園菊桜

 一葉

鬱金

太田桜

梅護寺数珠掛桜

花みずきも見頃でした。

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リサとガスパール しんじゅくぎょえんにいく

2011-04-23 08:30:39 | Weblog

リサとガスパール しんじゅくぎょえんにいく

かまくらのおじさん、おばさんにつれられて、しんじゅくぎょえんにいってきました。リサたちのすんでいる、ふらんすのパリではみられない、きれいなさくらがいっぱいさいてました。ふつうのさくらより、すこしあとにさく、やえざくらというさくらだそうです。おはなみのひともいっぱいいて、リサびっくりしたの。

じょしこうのおねいさんもいっぱいいて、おじさんがよろこんでいました。

 リサのともだちになれそうなこもたくさんいて、つつじのしたでおえかきをしてました。わたちもしたいな。

おなかがすいてきたら、きがきいているおじさんが、おべんとうにしようと、しばふのうえにしんぶんしをしいて、みんなですわりました。あれ、おべんとうがひとつたりない、とおばさんがすっとんきょうなこえをだしました。すると、えへへとペネロペちゃんがリックのなかからでてきました。コアラのペネロペちゃんは、きのう、おばちゃんのこうぶつのどらやきをぬすみぐいし、はしらにしばられていたのです。ひもをほどいて、でかけるまえにリックのなかにしのびこんで、とちゅう、おなかがすいたので、べんとうをたべてしまったのです。こまったこだねー、とおばさんはそれいじょうしかりませんでした。リサとガスパール はひとつのべんとうでいいといいました。おいしいおむすびでした。

べんとうをたべていると、かぜがふいてきて、さくらのはなびらがいっぱいおちてきました。おじさんが、さくらふぶきだといって、かめらをもってたちあがりました。ぱらぱらとおちてきてゆきのようでした。

リサのうさぎのようなみみにも、はなびらがはいってくすぐたかったです。ペネロペちゃんはおおきなくしゃみをして、はなみずをたらしました。すると、おばさんが、はんかちのきからはんかちをもらってペネロペちゃんのおはなをかんであげました。そのときはじめて、ペネロペちゃんが、きのうはごめんなさいとあやまりました。おばさんはいいのよといって、ちょこれーとをあげました。リサとガスパールにもくれました。

やえざくらのむこうに、たかいびるがみえました。リサがすんでいるポンピドー・センターをおもいだしました。すこしほーむしっくになりました。でもとってもたのしい、しんじゅくぎょえんのいちにちでした。おじさん、おばさん、ありがとう。

 

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リサとガスパール えんかくじへいく

2011-04-22 08:45:31 | Weblog

リサとガスパール えんかくじへいく

かまくらのおじさんにつれられて、えんかくじのもんをくぐりました。わかばがとってもきれいでした。なつめそうせきというおじちゃんが、ここに住み、あとで”もん”というしょうせつをかきました。そうせきおじちゃんはどうぶつがすきで、ねこをしゅじんこうにした、ほんもかきました。おじさんがおしえてくれました。

しょうれいいんという、おうちにはおはながいっぱいあります。リサちゃんは、おはなの、じょうおうさま、ぼたんがすきよ。ガスパールちゃんはあしにおできができたので、はないかだがすきです。おじさんはえんれいそうがすきです。かんじで延齢草とかくのですきなのだといってました。ここには、たなかきぬよさんやかいこうけんさんのおはかがあります。おじさんはおはかまいりがすきです。

こくほうの、しゃりでんというおてらのまえのもみじも、みどりできれいでした。とおくのおやまはわかばのなかにやまざくらもさいていて、うっとりしました。こういうけしきを”やまわらう”というそうです。やまがわらう、なんておかしくてわらってしまいました。

にほんの、きゃんでぇーずという、うたのぐるーぷの、すーちゃんがてんごくにいってしまった、とおじさんがさみしそうなかおをしていました。だから、おじさんもいったことのある、リサとガスパールのすむ、ぱりのえっふぇるとうのはなしをしてあげてなぐさめてあげました。おじさんがにっこりしたので、うれしかったです。きょうはしんじゅくぎょえんにつれていってくれるそうです。

 

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吾輩も猫である

2011-04-21 22:26:42 | Weblog

吾輩も猫である。

どこにいるの?吾輩はここにいる。

おやすみなさい。

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リサとガスパール&ぺネロぺ展

2011-04-21 10:31:59 | Weblog

横浜をうろうろしていたとき、そごう美術館に何気なく入った。入り口のかわいらしい、うさぎのようなキャラクターに誘われてしまった。”リサとガスパール&ぺネロぺ展”と大きな看板があった。フランスの絵本だそうで、日本語訳が、はじまってから10周年になるのでその記念展覧会ということだ。

会場に入ると、ぼくがいつも入る展覧会と客の年齢層が違う。こちらは、おばさんクラスはほとんどいなくて、若いお母さんクラスが多い。たまにはこうゆうのもいい(汗)。ほとんど予備知識なしだったが、ほのぼのとした情景、そして明るい色彩の、リサとガスパールの絵本の原画に、こちらの心もほのぼのと、明るい気持ちになる。子供たちがにこにこしてお母さんに読んでもらっている姿が目に浮かぶようだ。

リサは赤いマフラーをした女の子で、パリのポンピドー・センターのパイプの中のおうちに住んでいる。ガスパールは青いマフラーをした男の子でいつもリサにふりまわされている(うちみたいだ;汗)、強がりだが、やさしい性格である。この二人がコンビでいろいろなところに遊びにいく。ぺネロぺちゃんは別のシリーズで、からだも、ふたりとちがって、コアラのようで、体色が青い。

おわりの部屋に、実際の絵本が置いてあって、手にとることができる。立体絵本もあって、いかにも子供が喜びそうである。”リサとガスパール にほんへいく”は面白かった。作者のアン・グットマン(文)とゲオルグ・ハレンスレーン(絵)が実際、日本へ旅行したときの印象だろう。富士山と桜が出てきて、おかしいことに、水洗トイレがでてくる。リサとガスパールがいたずらして、お尻を洗う水が飛び出してきて顔にひっかかるシーンだ。フランスには、こういう精巧なトイレはないのだろうか(笑)。そして、ぼくがちょっと驚いたのは、案内する日本人の苗字はフクシマさんで、なんとリサとガスパールが庭に落ちてきて、フクシマさんに怪我をさせてしまうのだ。”フクシマさん・怪我”ずっと前にフクシマ原発事故を予言していたのだ。それにフクシマさんが大怪我したとき、フランス大統領がすぐお見舞いにきたじゃないですか。

作家のインタビュービデオが流れていた。まるでリサとガスパールのようなほのぼのしたご夫婦だった。

 

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世田谷の春

2011-04-20 18:16:09 | Weblog

大震災後、なかなか、世田谷に出向けなかったが、ようやく今日、念願を果たすことができた。世田谷美術館で開催されている”白洲正子展”だ。田園都市線の用賀駅で降りて、美術館に向う道、そして美術館のある砧公園は、”世田谷の春”でいっぱいだった。展覧会を観る前に、こんなに楽しませてもらって、グリコ・アーモンドチョコレートみたいに、一粒で二度おいしい、一日だった。白洲正子展については、後日ということで、今日は”世田谷の春”だけお届けします。

・・・・・
美術館へのプロムナードでみかけた、ピンク色の花ズオウと躑躅。そして、めずらしい菊桃。

 砧公園では、桜はもうすっかり八重桜の時代。そして、山吹と花ズオウ。白いズオウの花、久しぶりにみた。

そして美術館前では、紅白の花みずきが、もう見頃。くぬぎの花はあまりきれいとはいえませんが・・・。一応、撮ったので仕方なく。(くぬぎの怒り)

世田谷の春。番外編。

つくば市役所のおたんこなす。非科学的なことするな。
 

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黒澤明の世界 ”生きる”

2011-04-20 09:12:43 | Weblog

鎌倉市川喜多映画館で”黒澤明の世界展”をやっているはずだと出掛けた。うまくすると、黒澤映画も上映しているかもしれない、できれば”生きる”がみたいなと念じていたら、本当にそれをやっていた。

映画のはじまる前に、展示室で展覧会をみていた。映画ポスターやスチル写真がたくさん並んでいる。七人の侍、椿三十郎、用心棒、羅生門、等。ほとんどの作品の主演を三船敏郎がつとめている。若き日の加山雄三がいた。”赤ひげ”だった。江ノ電が出てくる、天国と地獄も。これらは全部、ぼくも観ている。黒澤作品は面白い。国際的な賞もいくつもとっていて、それらのトロフィーも飾られている。

黒澤監督のスタッフとして働いた野上照代の、十数冊の撮影台本や年賀状26点なども興味深かかった。野上照代は、山田洋次監督の”母べえ”の原作者(実話をもとにしている)で、映画では、照代の母役に吉永小百合が演じた。サユリストであるぼくは、もちろんみている(汗)。そのとき彼女の名を知った。”生きる”でもスタッフの一員になっていて、前日、彼女の講演会があったそうだ。一日遅れで残念。

いきなり胃のレントゲン写真が出てきて”生きる”が始まった。もちろん、黒澤監督の代表作のひとつだから、もう何度もみている。何度みても、飽きないのが名作の名作たるゆえんだろう。誰でも知っているので、筋は書かない。(でも少しは書く;笑)。初老の無気力な市民課長、志村喬が胃癌になり、余命半年と宣告される。ショックを受け、役所を無断で休み、貯金を下ろし、酒におぼれ、キャバレー通いをする。しかし、ある日突然、決意し、役所に戻り、地元住民から要望のあった、懸案の公園つくりに全力をつくしはじめる。さまざまな困難を克服して、公園ができあがる。もう命の途絶える間際だった。雪のふりしきる夜中の公園のブランコで、”ゴンドラの唄”を歌う。その顔は、満足そうに晴れ晴れとしていた。そして、そこで静かに息が絶える。

この物語の後半部は、葬儀の会食の席での仕事仲間の、志村喬への回想シーンによって成りたっている。そのストーリーの節目節目に左卜全が発する、あの独特のうなり声で、話の流れが変わっていく。はじめは、公園の設立は志村の功績ではなく、助役らのおかげだということになっていたが、次第に志村の懸命に努力する目撃談が次々と出てきて、最後は左卜全が”くず助役”とうなり、仕留める。志村喬の”功績”が認められた瞬間だった。

死を直視することにより生が浮き出てくる。死中生あり、といってもいい。ただぼっけと生きているのは死んでるのと同じだ、生き生きと生きよう、そんなテーマだと思うが、映画のあちらこちらに、くすくす笑いを忍びこませていて、観客を楽しませながら、雪のブランコに収斂してゆく。今回もまた、いい映画だと思った。

帰りに八幡さまの倒れた大銀杏を観に行った。ひこばえからもう若々しい芽が出ていた。

生きる

ゴンドラの唄 (作詞 吉井勇 作曲 中山晋平)

いのち短し 恋せよ乙女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを 

 

 

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