まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

あの頃の『出雲号』

2011年02月12日 | 廊下から
特急出雲号が消えて、もう何年になるでしょうか…?
子供の頃、いつかは出雲号で東京に行って見たいと思っていましたが遂に夢は叶わず…

さて、国鉄の頃の寝台特急はそれは美しく輝いた存在でした。

その美しかった編成も国鉄末期になると微妙に変わってきました。まず目に付いたのが、西明石での脱線事故の被災車両と思われる、窓から屋根にかけて補修の跡が生々しい車両が頻繁にやって来たり、ハネには大窓の0番台が組み込まれたり、金帯車と銀帯車が混ざっていたりと、何か違和感のある編成が目立つようになりました。


出雲4号 昭和62年頃 波子にて

さて、オハネ25の“0番台”は、60年3月現在で38番が品川区に在籍しておりました。その後35~37番が加わり、その姿を頻繁に見かけるようになりました。
大変見苦しい写真ですが、オハネ25の0番台が2両連結された写真が手元にあります。


最後部のカニ24-100

で、この日の最後部はカニ24-100番台金帯車でした。
なぜ、この写真があるかと言うと、とある休日にたまたま見かけた浜田行出雲1号が凸凹編成だったので、折返し列車を狙っただけなんですけどね…(笑)

違和感があるとか文句言いながら、凸凹編成を取りに行くアタシ…やっぱりこの頃から道を…(黙)