深い意味はありませんが、これまた思いつきで鹿児島市電の写真を出してみました。
鹿児島市電には、平成4年8月『九州一周私鉄巡り』で訪れたのと、先日紹介した宮崎に行ったときに、『ドリームつばめ』に乗り換えるために、時間つぶしで乗ったのとで2回だけです。
朝の谷山
鹿児島駅前
この当時から、ここでは信号扱を運転士自らが行っていました。これには大変驚いた事を覚えています。今ではウチでも横川駅で行っていますが…
ビール電車 交通局車庫
検査中の連接車704号
散水車 今でも居るのでしょうか?
ピットに乗っていた謎の台車。カルダン駆動のようなので、700型の予備品?
昔から、西鹿児島駅といえば緑色の三角屋根のイメージがあり、是非とも鹿児島に来た証にと撮影した1枚です。早朝の撮影なので、スッキリとした写真になったと思います。
鹿児島へは路面電車もですが、焼酎を楽しみにも行きたいですね。
鹿児島市電には、平成4年8月『九州一周私鉄巡り』で訪れたのと、先日紹介した宮崎に行ったときに、『ドリームつばめ』に乗り換えるために、時間つぶしで乗ったのとで2回だけです。
朝の谷山
鹿児島駅前
この当時から、ここでは信号扱を運転士自らが行っていました。これには大変驚いた事を覚えています。今ではウチでも横川駅で行っていますが…
ビール電車 交通局車庫
検査中の連接車704号
散水車 今でも居るのでしょうか?
ピットに乗っていた謎の台車。カルダン駆動のようなので、700型の予備品?
昔から、西鹿児島駅といえば緑色の三角屋根のイメージがあり、是非とも鹿児島に来た証にと撮影した1枚です。早朝の撮影なので、スッキリとした写真になったと思います。
鹿児島へは路面電車もですが、焼酎を楽しみにも行きたいですね。
嗚呼、鹿児島でさつま揚げを肴に地元の焼酎を呑みたい…(息)
(駅名自体も鹿児島中央駅になってしまったのでしたっけ?)
この駅に降り立ったのは今を去ること26年!も前の1981(昭和56)年の夏。大学時代のクラブ活動の合宿で鹿児島青年の家を訪ねた時の事。まだまだ近隣ローカル列車には客レが健在な頃でした。
ここの青年の家は山の高台にあり見晴らしは良かったのですが、風向きによってはモロに櫻島の降灰の洗礼を喰らいました。
合宿が終わって青年の家を辞する時、入れ替わりにバスを連ねてやってきたのが串木野の女子高生の団体。野郎ばっかりの我がクラブの面々、皆一様に悔しがる事悔しがる事…(爆)
この時市電に遊んでもらうチャンスが無かったのが心残りです。
(まだ鹿児島交通も元気だったのに…)
駅はその街の顔と申します(最早死語か?)。確かに素晴しい、常に刺激のあふれた場所になっているのは良い事ですが、たまたま2005年、鹿児島と長崎を訪ねる事が出来ましたが、両駅舎とも何だか似たり寄ったりダナア、と言う印象を持ちました。
鉄道業以外の収入も必要ですし、多くの人が集る事は大切です。ただチョッピリぬっぺらぼうと化しているのは如何なものかと。
そう言えば両駅とも昔は三角屋根でしたね。
でわまた。
昨夏、YS乗りに鹿児島に行った時は隣に立派な建物も出来ててビックリしました。
長崎を訪れたのはまだあの三角駅舎はありましたが、今思えば、撮っておけば良かったです。
鹿児島や長崎はまた行ってみたいですね。
三角駅舎といえば、
焼失した下関駅もそうでしたね。
西鹿児島駅といえば、三角屋根が印象的でしたね。今の鹿児島中央駅は、何だか奇抜過ぎるような印象があるのは私だけでしょうか…
この撮影した翌夕方には、長崎に行ったのですが駅舎の写真を撮影しておりません。次の日に台風が直撃して撮影どころか旅行も中止しました。
長崎から広島まで約10時間掛かって帰りました。
>安芸路ライナーさま
焼けた下関駅は、撮影どころか降り立った事がありません。乗換でホームを歩いた程度でしょうか…
味わいのある駅舎は、気が付いたところからでも記録しておきたいですね。
焼けた下関駅は私は撮影してますが、
バスでバックに三角屋根が写ってるというものだけです。
味わいのある駅舎は、気が付いたら撮っておくべきですね。
仰るとおりで…まずは近所から攻めて見ましょうか? 実は以前からJR西広島駅が気になっているんですが、案外行けないものでして(笑)
そうですね。西広島駅なんかもいいかもしれませんね。
あと私がほぼ毎日の様に利用する向洋駅とかいい味出してるかと思います。
向洋駅もですか? 利用した記憶が殆ど無いんで駅舎を思い出せませんが…
やはり、駅舎の記録もしないといけないのでしょうかね?