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3、 竜山墓地・墓参、遺骨収集問題と朝鮮・韓国・日本人遺骨相互返還問題
新聞やテレビで、北朝鮮に遺骨収集に行かれた「龍山墓地墓参団」のニュースを覚えておられるでしょうか。そのときの団長・佐藤知也さんは日朝協会会員で、本部機関紙第831号にその報告が寄せられています。日朝協会の会員が、いろいろな目的を持って北朝鮮や韓国に行かれる日本人のお世話をして、その訪問の目的が達成されるよう援助することは、日朝協会の活動としても大変大切なことです。
佐藤さんは、次のように述べておられます。
1945年8月15日の日本敗戦後、当時の北朝鮮・平壌には旧満州や朝鮮北東部から逃れてきた日本人避難民が何万と溢れていました。学校、工場、倉庫、馬屋など劣悪な生活環境の中で、飢えと寒さ、伝染病によって多くの人が命を落しました。
朝鮮当局、墓地を提供
死亡者の埋葬に困っていた「日本人会」の要請に応えて朝鮮当局は、大同郡龍山面の朝鮮人墓地の一角を提供してくれました。そこに2400余の日本人死亡者が埋葬されました。多くがか弱い乳幼児、子ども、年寄り、婦人でした。
戦争の犠牲者
医者もいない、薬もない、食べ物はわずか、という中で乳の出ない若い母親は、可愛いわが子がみすみす息を引き取っていくのを泣きながら見守るしかなかったといいます。
これが当時、国策によって大陸へ送り出された私たち同胞の末路でした。この人たちは普通の生活をしていれば決して命を落とすことはなかったのです。戦争の犠牲者だといって間違いありません。
2421体の名簿・人道上の問題
45年9月から翌46年4月まで龍山墓地に埋葬された2421人の名簿を私の父が日本に持ち帰りました。その後この名簿をもとに遺族探しをはじめ14件の遺族が判明しました。関係者とマスコミ、朝鮮総連の協力などで2011年9月に訪朝し、慰霊式を行うことができました。お世話いただいた皆様に心から御礼申し上げます。
各界に感謝
初めての訪朝墓参は無事、大成功のうちに終わり10月4日元気に帰国しました。
9月30日は日本のお盆の時期にあたるのもかかわらず、朝鮮の方々は、私たちのために時間を費やされたことに感謝します。と述べておられます。
日本には強制連行で連れてこられて日本で死亡された方や、治安維持法で拘束され拷問で虐殺された方、軍人として日本で亡くなられた方や、帰国途中の浮島丸が爆発してなくなられた方々の遺骨が日本に残されたままです。日・朝・韓国民が真の友好をすすめていくためにも「遺骨問題」の解決は大切な課題なのです。
