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欧州メディアが6日報じた。週休3日制は労働生産性の向上につながるとして、世界的に注目を集めつつある。

2020-01-07 | 市民のくらしのなかで

フィンランド

週休3日制検討 働き方改革で「家族と時間を」

1/7(火) 7:47配信

時事通信

 【ロンドン時事】フィンランドマリン首相は、働き方改革の一環として、週休3日制の導入を検討する考えを表明した。

 欧州メディアが6日報じた。週休3日制は労働生産性の向上につながるとして、世界的に注目を集めつつある。

 報道によると、マリン首相は「人々はもっと家族や愛する人、趣味などに時間を費やすべきだ」と述べた。1日6時間労働制も検討するという。

 フィンランドでは現在、日本を含む多くの国々と同様に1日8時間、週休2日制が定着している。隣国スウェーデンでは2015年から1日6時間制を試験的に導入し、生産性向上に効果があったとされる。

 週休3日制をめぐっては、日本マイクロソフトが昨年8月に実施し、生産性が向上したと公表。従業員の92%が評価しているという。 

 

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下地議員のほか、自民党の岩屋毅前防衛相(大分3区)、宮崎政久法務政務官(比例九州)、中村裕之前文部科学政務官(北海道4区)、船橋利実氏(比例北海道)です。

2020-01-07 | 科学的社会主義の発展のために

維新・下地氏100万円受領

闇献金まず一人認めた

カジノ汚職、徹底解明が必要

 カジノ汚職事件で、日本維新の会の下地幹郎衆院議員(比例九州)が贈賄側とされる中国のカジノ企業からの闇献金100万円の受領を認めました。中国企業による一連の資金提供疑惑で本人が事実を認めたのは、これが最初です。

 中国企業側から370万円相当の賄賂を受けたとして逮捕された自民党衆院議員(離党)の秋元司容疑者は逮捕前、関係者に「一切身に覚えがない」として、現金受領を強く否定していました。

 中国企業側が秋元容疑者への贈賄に近接する2017年9月から10月にかけ、100万円を提供したとされる5人の衆院議員は、下地議員のほか、自民党の岩屋毅前防衛相(大分3区)、宮崎政久法務政務官(比例九州)、中村裕之前文部科学政務官(北海道4区)、船橋利実氏(比例北海道)です。

 このうち宮崎、船橋両議員は中国企業からの金銭提供を否定しています。

 岩屋、中村両議員は、より入り組んだ説明をしています。

 当時、中国企業と組んで北海道留寿都村でのカジノ事業をもくろんでいた札幌市内の観光会社から、中村議員に200万円の資金提供があり、そのうち100万円が中村議員を通じて岩屋議員に寄付されたというのです。

 観光会社側からの資金は中国企業が準備した疑いがありますが、2人は「適法な政治資金。中国企業のお金があったとすれば返金する」(中村議員)、「中国企業から金銭を受け取った事実は断じてない」(岩屋氏)と主張しています。

 日本のカジノへの参入に向けた足掛かりを得ようと中国企業が幅広い政治家に資金提供したという疑惑。その信ぴょう性が高まっており、徹底した解明が求められます。(竹腰将弘)

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連載 NO.35 竜山墓地・墓参、遺骨収集問題と朝鮮・韓国・日本人遺骨相互返還

2020-01-07 | 東アジアの文化と歴史を学ぶ会

NO.35

3、 竜山墓地・墓参、遺骨収集問題と朝鮮・韓国・日本人遺骨相互返還問題

 新聞やテレビで、北朝鮮に遺骨収集に行かれた「龍山墓地墓参団」のニュースを覚えておられるでしょうか。そのときの団長・佐藤知也さんは日朝協会会員で、本部機関紙第831号にその報告が寄せられています。日朝協会の会員が、いろいろな目的を持って北朝鮮や韓国に行かれる日本人のお世話をして、その訪問の目的が達成されるよう援助することは、日朝協会の活動としても大変大切なことです。

佐藤さんは、次のように述べておられます。

1945年8月15日の日本敗戦後、当時の北朝鮮・平壌には旧満州や朝鮮北東部から逃れてきた日本人避難民が何万と溢れていました。学校、工場、倉庫、馬屋など劣悪な生活環境の中で、飢えと寒さ、伝染病によって多くの人が命を落しました。

朝鮮当局、墓地を提供

死亡者の埋葬に困っていた「日本人会」の要請に応えて朝鮮当局は、大同郡龍山面の朝鮮人墓地の一角を提供してくれました。そこに2400余の日本人死亡者が埋葬されました。多くがか弱い乳幼児、子ども、年寄り、婦人でした。

戦争の犠牲者

医者もいない、薬もない、食べ物はわずか、という中で乳の出ない若い母親は、可愛いわが子がみすみす息を引き取っていくのを泣きながら見守るしかなかったといいます。

これが当時、国策によって大陸へ送り出された私たち同胞の末路でした。この人たちは普通の生活をしていれば決して命を落とすことはなかったのです。戦争の犠牲者だといって間違いありません。

2421体の名簿・人道上の問題

 45年9月から翌46年4月まで龍山墓地に埋葬された2421人の名簿を私の父が日本に持ち帰りました。その後この名簿をもとに遺族探しをはじめ14件の遺族が判明しました。関係者とマスコミ、朝鮮総連の協力などで2011年9月に訪朝し、慰霊式を行うことができました。お世話いただいた皆様に心から御礼申し上げます。

各界に感謝

初めての訪朝墓参は無事、大成功のうちに終わり10月4日元気に帰国しました。

9月30日は日本のお盆の時期にあたるのもかかわらず、朝鮮の方々は、私たちのために時間を費やされたことに感謝します。と述べておられます。

 

日本には強制連行で連れてこられて日本で死亡された方や、治安維持法で拘束され拷問で虐殺された方、軍人として日本で亡くなられた方や、帰国途中の浮島丸が爆発してなくなられた方々の遺骨が日本に残されたままです。日・朝・韓国民が真の友好をすすめていくためにも「遺骨問題」の解決は大切な課題なのです。

          

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