NO.38
5、訪朝報告、思いつくままに・・・
日朝協会京都府連合会代表理事 木村幸一
木村幸一さんは友人である、彼が訪朝して帰ってきたとき、感想を聞いて文書にしたものが残っているので紹介する。しかし8年も前のことで発展している共和国を紹介するのにはあまりにも昔の話であるが、雰囲気だけはお分かりいただけると思う。2回に分けて掲載する。
最近では、中国周りで北朝鮮に行かれた方の報告を多く聞けるようになり、国民生活にも変化が起こっているといわれています。長い友人であり同じ京都府連の代表理事をしている木村さんが2012年4月に訪問された報告を載せておきます。
京都ネット訪朝団58名の一員として、「日朝協会京都府連合会代表理事」と言う肩書きで申し込みをして、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮と書く)を訪問した。
今、日朝協会が取り組んでいる、「国交正常化」は全国民の願いだということを痛感した。大阪から北京経由で訪朝したのだが、平壌までの往復運賃と滞在費などが私費負担で、北朝鮮国内の経費は北朝鮮が負担してくれたのだが、一人26万5千円もかかった。
もし平壌まで直行することができれば、大阪ー平壌往復5~6万円ですむはずなのだ。しかも、複雑なのは、一度中国に入国し、中国から北朝鮮に出国手続きをするのだが、パスポートの「査証」覧に北朝鮮と言う印鑑を押さず、パスポートや携帯電話は、中国税関に預けなければならない。帰るときは中国に入国手続きをする。フリーパスで入国するが、北朝鮮からと言う印鑑はない。勿論預けたものは返してくれるのだが、なぜか心配になる。
ところが、日本に入国するときが面倒で、パスポートには、中国を出てどこにいったか印鑑がなく、どこから中国に帰ってきたかもわからない。関西空港の税関では、中国からどこにいかれたのですか?と問われる。団体だからわかっているはずなのだが、「北朝鮮」に行ったと言えば、国交がない国だから、事情を聞くと、別の部屋に案内される。
荷物は全部あけて調べられる。みんな疲れているのに、いやな時間が相当かかるのだ。学者文化人の方で書籍などを買ってこられた方は、根折はおり聞かれると言う。
国交がないということは、二重・三重に国民に苦しみを押し付けている。心の中で早く国交正常化を実現しようとさけんだ。
北京で一泊したがホテルの外にはどこにも行けない。北京空港はまだ拡張工事中で、滑走路も増やしているらしい。国際線のゲートまで随分歩いた。空港内の売店もたくさんあって、世界中でも大きいほうではないかと思った。ドルやユーロでも買い物が出来る店があったが、コーヒーを飲もうと思ったら、「チャイナマネー」でないとだめだと言われた。
中国から北朝鮮にはフリーパスで何の心配もなく平壌のホテルに着いた。ホテルのテレビは、NHKのBS放送が映る。公園の大型テレビもNHKのBS放送が映っていた。案外日本の事も直接知らされているのだということがわかった。
自動車は右側通行だが、日本のように多くない、国民の移動手段は、自転車・バイク・ バス・地下鉄、職場の近くに労働者の住宅があり日本のような出勤時の混雑は少ない。アパート・マンションは、高層住宅が立っていて、日本の公営住宅より決して劣らない。
町並みが美しい、遠くの景色も美しい。農村地帯に行けばぼろをまとったような人が本当にいるのだろうかと、日本で見る「反朝鮮宣伝雑誌」の写真が頭をかすめた。
私は食べ物の好き嫌いが多く、キムチが苦手だ。カップラーメンを持っていこうと思っていたくらいだったが、前もって嫌いなものと、好きなものを言っておけば、滞在中あまり困った事はなかったが、一度だけカップラーメンを買って食べた。
心配していた窮屈さや、監視されているのではないかと言う雰囲気は全くなかった。どこでも自由に写真をとることが出来た。帰るときには、私たちの視察ビデオが出来上がっていたので買ってきた。
全体の雰囲気は述べた通りだが、ひき続き次のようなテーマで、報告したい。
2、金日成生家で説明員との会話
金日成の生家は、観光スポットの目玉でいつもお客さんの列が絶えない。外国のお客さんがくれば、優先して最前列で案内してくれる。説明する60歳くらいの婦人が、流暢な日本語で、金日成の生い立ちから少年時代、抗日パルチザンでの活躍、朝鮮人民の偉大な首領であると話す。
一応の説明が終わると、皆さんなにか質問がありませんかと聞くが、誰も質問する人がないので、私は、「金日成さんのことは知っていたが、4歳で朝鮮独立とハングルが書けたり13歳で論文を書いて指導されたと言う事だが、大変な状況の中でどこで勉強されたのですか」と質問した。彼女は、幼少の頃はおじいさんに教えられた。大きくなってからは、ソ連の将校にも教わった。と説明された。
私は、説明を終わって移動するときに歌でも歌ってくださいと注文を出した。彼女はどんな歌がいいのですかと言われるので、ピョンヤンマウメコヒャン(平壌は、心のふるさと)と言うと、長い間ここで説明してきたが、日本の方が朝鮮語でそんな歌を知っておられるのは初めてだと驚かれた。歩きながら一緒に歌った。彼女は涙が出てきたと感激されたようだった。なぜそのような歌を知っているのか?と言われるので、18歳から「日朝協会」に入って、日韓条約反対や日朝友好の運動をしていると話したら、また感激された。
金日成生誕100年を記念して4月~5月と平壌に来る国内観光客は、いつもより随分増えていると思うのだが、私たちがいる間は、途切れる事がなかった。
町の中に、金日成・正日父子の大きな銅像がいくつか目に付いたが、国民の目に見えるもので、団結を硬くしているのかなと思った。学校の教室には二人の写真が掲げられていた。
3、自由な雰囲気だったメーデー会場
5月1日は、北朝鮮もメーデーだ。 私たちも自由時間だったのでメーデー会場にいってみた。平壌メーデー広場では、労働者家族が集まって、日本の花見のような雰囲気で食事をしたり、酒を飲んでいる人もいた。日本の野外での集会に比べて人数は少なかったが、青年男女がわいわい言ってゲームをしていた。
私は、京都大学の小倉先生(NHKのハングル講座の先生)と娘さんと三人でその公園の中をぶらぶら歩いていた。小倉先生の通訳で私は、そこにおられた市民に、「私たちは日本から来たが、日本は好きか?」と質問した。答えは「アメリカの次に嫌いだと言う」他の方にも同じ質問をしたら、答えが同じだった。なぜ同じなのか、よく聞いてみると、土曜日には労働者のサークルごとに労働新聞で勉強会をしているのだと言う、なるほどと合点した。小倉先生は、もっと市民の声を直接聞こうといわれた。
小倉先生のような立派な通訳でなくても、日本人でハンブルの出来る方が、もっと沢山行く必要があると思った。
4、ビール大瓶一本81円、結構うまい 輸出したら外貨稼げるよ!
銘柄は、「大同江ビール」一本81円(大西先生が換算)、ホテルで飲んでも外の店で飲んでも同じ値段だったが、これが結構おいしかった。外貨を稼がなければならない北朝鮮にとって、このビールなら日本でもよく売れると思ったので、見学したビール工場で「輸出したらどうですか?」と聞いてみた。説明の方が、「そうですか」と嬉しそうだったが、まだ国内の需要にも追いついていない、製造量が少ないから今は無理です。という答えだった。
日本では水道水をがぶがぶ飲むことができるが、外国では毎日飲む水はペットボトルのところが多いが、北朝鮮もペットボトルだった。毎日ホテルにかえったら、新しいボトルが2本ずつ配られている。値段はわからなかった。
韓国の1万ウオンは、日本の800円~850円くらいだが、北朝鮮のウオンはよくわからない。大西先生と言う経済学者もおられたが、私もよくわからないと言われる。国際的にはそのまま通用せず、一度中国の「元」に変えてからさらにユーロやドルに変えねばならない。二度手数料を払わねばならず、目減りが大きすぎる。だからすぐに円に換算できないのと、ほかの物価との比較、無料のものや配給されるもの、一ヶ月の生活費は北朝鮮ウオンでいくらあればできるのか、すぐに計算できないので値段だけを見ていては値打ちがわかりにくいということだった。