どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

秋と日記

2015年10月07日 | 日記
先日 自分の子供の頃から二十歳にかけての日記を 何でこんなものを書いたのかと思いながら捨てた

たとえ子供の頃のものであっても その時の気持ちは読み返せば思い出せる

私の場合 主に自分の気持ちの整理をつけるために書いていたように思うし 実際に効果があることは証明されているから 書いていた時の子供の私がそれを認識していたわけでは無くても 結果そうなったことははっきり記憶している

だからこそ 書き続けたのだろう

家族や友人 教師を始め 他のさまざまな人や出来事 本や映画から刺激を受けて 良いと思うことも悪いと感じることも 好き嫌いも 批判も 全て 誰に見せるものでもないから正直に書くことができた


日記を書かなくなったのは おそらく母の入院・手術の頃からだと思う

当時 仕事が忙しかった上に母の事が加わった

週末の休みの日でさえ 自分の時間などまるで無かった

整理をしていて 父が 自分や私が病院に行った日の記録を 母の入院記録とともにちゃんとつけていたのを見つけて あらためてあの日々のことを複雑な気持ちで思い返した


身体的というよりもおそらくは心理的な理由で回復が遅くなった母が やっと少しずつ外に出て歩けるようになったのは 翌年の春も盛りになった頃だった

そして 私はその頃 初めての自分のパソコンを手に入れた

その後しばらくして そうとは知らずにうっかり入ってしまったOCNのカフェブログからこれは始まった

公開日記という性質上 どんなことでも書いてよいわけではないが 私は相変わらず 人の役にも立たず 他の人にとってはどうでも良いことを単に記録の一部として また 時には気持ちの整理という効用を求めて書きなぐっている

子供の頃と 何も変わってはいない


ここ数日のように秋めいてきた頃 母は入院した

私は午前中欠勤して父と付き添ったが 忙しかったとはいえ 一日休みにしなかった事を後悔した

10月9日の朝から始まった母の手術は 予定をかなり過ぎ 夕方までかかった

病室や廊下に入る暖かくて柔らかな木漏れ日 疲れと甘えから少しの間 母に寄り添って病室のベッドで横になったことや 手術から1年後に 新しいもう一つの誕生日だねと家族で祝ったあの日のことも 秋が訪れるたびに思い出す


こんな風に 他の誰にとっても意味の無いことを 私は今日も自分のために書いている

コメント (2)
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