どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

変化というよりも成長か?

2015年10月29日 | 日記
廊下には七つのゴミ袋 庭には一袋 部屋には回収用の衣類と捨てる衣類の山

したがって 今日は自分の部屋を少し整理して終わりとする


年齢を重ねるうちに変わってくることがある

スタイルや肌のつや 髪などの見かけの変化は当たり前だろうが 体力の減退も感じるし 味覚や精神面 物の見方や考え方が変わることもある

基本的趣味嗜好は大きく変わることは無いけれど 最近 クラシック音楽に耳を傾けることが多くなった

以前は好きでも嫌いでもなかった

サティなんかは大好きだったし ラヴェルのボレロなんか朝に聞くとやる気が湧いてきたもの

ピアノを習っていた時は なぜかバッハが好きだった

誰もが耳にするような楽曲は当然耳にしてきているし CMや映画の中でも効果的に使われることがあり あれだ と思うこともあったが 自分から意識的に聞こうするまでにはいたらなかった

子供の頃は ピアノの先生に誘われたりで何度かコンサートに行ったこともあったが 正直言って退屈以外の何物でもなかった


それが 最近 身に染みるような感じでごく自然に入ってくるようになったのだ

ジャズだ ソウルだ ブルースだ ロックだ とさんざん聴き倒してきた私がだ

ただ基本は 自分がかじったことがあるせいだろうか ピアノが一番である

先生の ここはこうしたタッチで とか 強弱 指を下ろすことから離すことまで一つ一つ注意され それを忠実に守ろうとして出来ずに せっかちな私はジレンマに陥って 4年間ほどやったピアノを8歳になる頃にやめてしまった

あんなに一生懸命だったのになぜ と先生に言われたが これは私の退職の時と同じことで もうこれまで これ以上は無理と思ったからだ

だが今では その先生の指導の意図がはっきりとわかる

曲想を掴むことはテクニックを学ぶことと同じくらいに大事なのだ

だがその曲に惚れなければ何も表現はできないし 表現するにはまずはテクニックのための練習しかないのだが 練習のための練習では疲れるのは当たり前だった

あとあと楽典を習えば もっと多くのことがわかってくる


もしかすると変わったわけではなくて 眠っていた親不知の歯がもぞもぞと動き出したということかもしれない

変わるものなのか それとも 潜在的なものがある時突然に表出するものなのかはわからない

昔 父の酒の肴に卯の花を食卓に出すことがあったが こんなものはおかずにはならんと子供の頃に密かに思ったそれを いつの間にか美味しいと感じるようになったのは 味覚が成長したせいだろう

私の耳も変化したというよりは やっと少し成長したということかもしれないと思うと 少し嬉しくなる 
コメント (4)
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