初めての粗大ごみ体験
今はもう車の無い家の駐車場のところに 朝 シールを貼った4枚の布団をシートの上に置いた
捨てる物とはわかっていても 直に置くのはためらわれたのだ
あっという間の出来事で 簡単に終わった
今日はいよいよ桐の箪笥を開けてみた
すっかり使わなくなっていた母の小ぶりのバッグが一番上の引き出しにあったので(それなら捨てておいて~) 捨てようと思い中を見たら 祖母からの手紙が何通か入っていた
父の弟のことで厄介ごとが舞い込んだりした頃なのだろうか 詳細はわからないが まだ若かった娘を心配しての母親としての祖母の手紙があった
まだ電話がどの家にもあるような時代では無かったとはいえ 父方の祖母はそういう事は一切しない人だった
楽しいことが大好きで 財布がザルのような人で さっぱりとしたじゃじゃ馬タイプの女性だったが 両極端のような二人の祖母のどちらも大好きで 違うタイプの人であってもそれぞれに魅力があるものだということを 私は二人から学んだように思う
私たちが祖母に宛てて手紙を送ったのは 祖母が病気で倒れた頃だろうか
後々そんなことがあったと聞いたことは覚えているが 当時の私の記憶には無く 孫の手紙に対する返事らしい文面からそのように察した
私が祖母の顔を描いて送ったらしく「とてもうまくかけていました。おばあちゃんはふうとうから出て、やれやれと大息をしましたよ。そしてごはんをたくさん食べました。おかしなことを書くおばあちゃんだね。」とあり こんなにもユニークで夢のある事を書いてくれる祖母だったのかと感動した
消印からして私が6歳になったばかりの頃だろうか
同封されていた姉宛ての手紙には「お見舞いにきていただいてとてもうれしかった・・」とあるから 姉は行ったのか それとも私の中でかすかに残っているあの時の記憶が そのお見舞いだったのか
「けれど帰ってしまったら一寸さびしい気がしました。」(なんて素直で可愛いことを)
当時の母が読んでくれたかとは思うが 幼い子供の手に託すことはしなかったのだろう
私は6歳の子供にもどって 今日初めて読んだ
母宛ての手紙には 「親ゆずりでしかたがありませんが、なるべく気持ちをゆるやかに持ちなおすように日々心がけてください。子供をおころうと思ってもそこで一寸考えて落ち着くようにしてください。母のたのみです。」とあった
ほうら みなさい 母親はちゃんと見ているものですよ~~だ
そのあと祖母は 自分もあとへは戻れず後悔しているけれど 自分と違ってあなたはたった二人の子供なのだからと言いつつ 今と昔は違うからなかなか難しいことですね とも書いている
母は優しかったが 怒ると本当に怖かった
虐待のようなものこそ無かったけれど 若干ヒステリックというか まあとにかく躾けには厳しくて 子供が男の子だったらどうなったかと思うほどだった
祖母の目から見ても母のまだ幼い子に対する言いようは 子供の芽を摘むようにも見えたのかもしれない
色々な家庭の孫を見ている祖母には とりわけうちの母は子供に厳しいと見えたことは確かだと思う
娘や婿 孫への感謝の言葉あり 親としての娘への忠告もあり みんなの健康を気遣う気持ちもありと 親はありがたいと本当に思うよねっ お母さん!
そのバッグには 6歳離れた母の妹からの手紙もあった
結婚したばかりのことで この叔母が嫁ぐまでは祖母と暮らしていたのだが 要件を書いた最後にその時が懐かしいと書いてあった
その後 長男がダウン症で生まれ 嫁ぎ先の家の人々はみな冷たかったと退職の報告を電話で伝えた時に初めて話してくれたが 家庭の雰囲気が違うことで寂しく思ったこともあったのだと思う
かなり前に書いたのだが 自分の生き方について考えた時のこと 私は彼のことも思い出していた
私が 力の限り 能力の限りは尽くす 力の出し惜しみや計算はしないで生きていくと覚悟したのは 彼から学んだことでもあった
この手紙の数年後には我が家にも電話が入り また祖母も一年に数回我が家に泊まりにきてくれるほど元気になり もう手紙を書くことも無くなってしまったと思われる
古い手紙からあれこれと思い出してみれば 多くのものを今ふたたび貰ったようで ほんわか幸せ気分になり また真っ当な人間を目指していかなあかんなとちょっと背筋を伸ばす思いもする
話好きで いただく手紙もいつも長い叔母からは 「遊びに来て。大人になった(すっかりだ)○子と話がしたい。」と言われて 退職後のことが落ち着いたらと返事をしたが こうした手紙や古い写真を持ってそのうち遊びに行こうと考えている
今はもう車の無い家の駐車場のところに 朝 シールを貼った4枚の布団をシートの上に置いた
捨てる物とはわかっていても 直に置くのはためらわれたのだ
あっという間の出来事で 簡単に終わった
今日はいよいよ桐の箪笥を開けてみた
すっかり使わなくなっていた母の小ぶりのバッグが一番上の引き出しにあったので(それなら捨てておいて~) 捨てようと思い中を見たら 祖母からの手紙が何通か入っていた
父の弟のことで厄介ごとが舞い込んだりした頃なのだろうか 詳細はわからないが まだ若かった娘を心配しての母親としての祖母の手紙があった
まだ電話がどの家にもあるような時代では無かったとはいえ 父方の祖母はそういう事は一切しない人だった
楽しいことが大好きで 財布がザルのような人で さっぱりとしたじゃじゃ馬タイプの女性だったが 両極端のような二人の祖母のどちらも大好きで 違うタイプの人であってもそれぞれに魅力があるものだということを 私は二人から学んだように思う
私たちが祖母に宛てて手紙を送ったのは 祖母が病気で倒れた頃だろうか
後々そんなことがあったと聞いたことは覚えているが 当時の私の記憶には無く 孫の手紙に対する返事らしい文面からそのように察した
私が祖母の顔を描いて送ったらしく「とてもうまくかけていました。おばあちゃんはふうとうから出て、やれやれと大息をしましたよ。そしてごはんをたくさん食べました。おかしなことを書くおばあちゃんだね。」とあり こんなにもユニークで夢のある事を書いてくれる祖母だったのかと感動した
消印からして私が6歳になったばかりの頃だろうか
同封されていた姉宛ての手紙には「お見舞いにきていただいてとてもうれしかった・・」とあるから 姉は行ったのか それとも私の中でかすかに残っているあの時の記憶が そのお見舞いだったのか
「けれど帰ってしまったら一寸さびしい気がしました。」(なんて素直で可愛いことを)
当時の母が読んでくれたかとは思うが 幼い子供の手に託すことはしなかったのだろう
私は6歳の子供にもどって 今日初めて読んだ
母宛ての手紙には 「親ゆずりでしかたがありませんが、なるべく気持ちをゆるやかに持ちなおすように日々心がけてください。子供をおころうと思ってもそこで一寸考えて落ち着くようにしてください。母のたのみです。」とあった
ほうら みなさい 母親はちゃんと見ているものですよ~~だ
そのあと祖母は 自分もあとへは戻れず後悔しているけれど 自分と違ってあなたはたった二人の子供なのだからと言いつつ 今と昔は違うからなかなか難しいことですね とも書いている
母は優しかったが 怒ると本当に怖かった
虐待のようなものこそ無かったけれど 若干ヒステリックというか まあとにかく躾けには厳しくて 子供が男の子だったらどうなったかと思うほどだった
祖母の目から見ても母のまだ幼い子に対する言いようは 子供の芽を摘むようにも見えたのかもしれない
色々な家庭の孫を見ている祖母には とりわけうちの母は子供に厳しいと見えたことは確かだと思う
娘や婿 孫への感謝の言葉あり 親としての娘への忠告もあり みんなの健康を気遣う気持ちもありと 親はありがたいと本当に思うよねっ お母さん!
そのバッグには 6歳離れた母の妹からの手紙もあった
結婚したばかりのことで この叔母が嫁ぐまでは祖母と暮らしていたのだが 要件を書いた最後にその時が懐かしいと書いてあった
その後 長男がダウン症で生まれ 嫁ぎ先の家の人々はみな冷たかったと退職の報告を電話で伝えた時に初めて話してくれたが 家庭の雰囲気が違うことで寂しく思ったこともあったのだと思う
かなり前に書いたのだが 自分の生き方について考えた時のこと 私は彼のことも思い出していた
私が 力の限り 能力の限りは尽くす 力の出し惜しみや計算はしないで生きていくと覚悟したのは 彼から学んだことでもあった
この手紙の数年後には我が家にも電話が入り また祖母も一年に数回我が家に泊まりにきてくれるほど元気になり もう手紙を書くことも無くなってしまったと思われる
古い手紙からあれこれと思い出してみれば 多くのものを今ふたたび貰ったようで ほんわか幸せ気分になり また真っ当な人間を目指していかなあかんなとちょっと背筋を伸ばす思いもする
話好きで いただく手紙もいつも長い叔母からは 「遊びに来て。大人になった(すっかりだ)○子と話がしたい。」と言われて 退職後のことが落ち着いたらと返事をしたが こうした手紙や古い写真を持ってそのうち遊びに行こうと考えている