どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

一日で子供から大人への旅をする

2015年10月02日 | 日記
朝 洗濯を済ませてから 自分の部屋の整理に入る

自分の持ち物なので どこに何があり どう整理しなければならないかのイメージはできている

今日は古い日記やアルバム お小遣い帳や手紙の類に手をつける

この古いという時代 一体いつ頃を指すかというと なんとひとケタから二十歳頃までの物を言う

勿論 それから先の物もあるのだが 今日はとりあえずそこから


小学校時代の作文を先生がまとめて下さったのだろうか

それとも 返してもらったものを私が綴ったのだろうか

卒業文集もあった

そんなことも書いたっけという記憶がかすかに蘇るが しかし あまりに稚拙でこの程度の事しか書けなかったのかと 読み返すのも恥ずかしくなる文章にがっかりする

今の子供と比較すると すごく幼稚に感じる

まぁ 子供が子供らしくいられた時代といえばそうなのだろう

斜め読みをしながら 次々にシュレッダーにかけた


日記は 成長するにつれて内容は深くはなっていくものの やはりお粗末

仲良しだった友人たちとの交換日記は 何冊に及んだのか 確か 3人で分けたはず

今のようにスマホを持ち ラインがあれば きっとそれをしていたのだろうと思う

小学校から高校まで続けたもので その時はそれなりに真剣だったのだろうが 内容はまるきり・・・

彼女たちは 今もまだこれを持っているのだろうか

捨ててくれていることを祈るのみ

高校を卒業する頃からは 日記も手紙もようやく少しはマシになってくるが 私の場合は 曲がりなりにも大人と呼べるようになるのは30を過ぎてからのような気がする

これ以降の日記はもうしばらく取っておいて もっと老後と呼べる時期が来たら 読み返しながらシュレッダーにかけることにする


文通をしていた京都の女の子 塩釜の男の子 そして 付き合っていたと言えるのかどうかは疑問だが 工学部に通っていた男の子からの手紙も 記憶以上に量が多くてびっくりした 

当時の私は 何を書いて送ったのだろうか

適切な分析とアドバイスがありがたい みたいな事を書いてくれているが 到底その当時の私がそうであったとは信じがたい

彼らは今 どんな人生を送っているのだろうか

それにしても青春時代というのは とことん未熟で 悩み多く そしてまた確かに真剣な日々でもあったことを 反省と懐かしさを抱きながらあらためて思った


お小遣い帳は シュレッダーにかけるほどでもないので 細かく破って捨てた

手帳には 色々と行った展覧会や映画のチケットが貼ってあったり 買った本の記録やらが書いてあるので これも老後の楽しみに取っておく  

いずれは けっこうな量の旅の資料も整理しようと思う


資源に回せる紙はそれでまとめ 散らかった部屋に掃除機をかけ 気が付けばあっという間に夕方になっていた

一日で子供から大人になるまでの旅をして 今日は疲れた

久しぶりに 今夜は明日の朝まで寝て過ごすことができそうだ

軌道修正 成功!


しかし つくづくと思う

誰がやれとも言わなかったのに この記録魔というか 何でも取っておくって

これは絶対に遺伝以外の何物でも無い 

そして とても 怖い
コメント (4)
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