今日は こまごまとした家事をこなす
我が家から徒歩5分ほどの場所での古着回収は 月に二回しか無いので欠かすことはできない
朝 駅に向かう人が意外に多いことに気が付き そうか 前回は日曜だったけれど今日は土曜日なんだと気が付く
古着は透明もしくは半透明のビニール袋に入れて出すことになっているので 私はゴミ袋に入れたものを風呂敷で包み 肩にかけた袋に数点を入れて行き 現場で風呂敷を広げて一つにまとめて出すことにしている
風呂敷というものを昔は誰でも使っていたというかすかな記憶はあるが 着物を着る人が少なくなるのと並行して見かけることはなくなった
30年ほど前だろうか 銀座の松屋デパートで一枚の風呂敷と出会った
今はどうか知らないが 当時のここは意匠にすぐれたものを扱っていたように思う
それは綿100%で 黒地に朱色の柿がデフォルメされたカタチで幾つも描かれた 新しいデザイナーの手によるものだった
そのテキスタイルが気に入って 私は買ってしまった
買ってから使ってみると 風呂敷というものは 包装と持ち運ぶための袋という用途をこれひとつに凝縮したものだ ということに気が付いた
勿論 紙袋やエコバッグ トートバッグなども使うし 実際にはこちらの方が頻度は高いが 両親の入院中の時にも使ったし クリーニングに衣類をもって行く時などにも重宝している
適切な大きさと結び方を知っていればどんなカタチのものでも包めるし 用事が済めば畳むこともできて しかもエコでもある
何より 紙の袋などのようにガサガサと音がしないのも良い
二つ目を買ったのは 旅の途中で寄った静岡県の芹沢(けい)介美術館でのことである
この美術館は白井晟一の作品でもあり 私にとっては一粒で二度美味しい場所として是非行きたかったのだ
芹沢氏の作品としては 「いろは文」や「春夏秋冬文」などの文字で構成されたものが有名かと思う
少なくとも私は入口がそこだった
まだ20代の頃だったが まったくの理屈無しで 身体全体で私はこれが好きだと感じてしまった
これが民芸の持つ力だろうか
そして 建物も作品もすっかり堪能した最後に まだ旅の途中だというのに売店でこれを見た途端 欲しくなってしまったのだった
私が買った風呂敷の「小川紙漉村文」と呼ばれる意匠は 彼の作品の中では比較的初期のもので 埼玉県小川町(当時は村だったか)の姿を描いた型染めである
彼の作品が彼独自のものとなるべくきっかけを与えたのが 沖縄の紅型との出会いであり これもその直後の作品である
以降 彼の生み出す文様は色彩豊かに 独自性を増して のびやかになっていく
家を整理していると 素材も染め方も大小もまちまちではあるが 思いのほか風呂敷が多いのに驚かされる
昔は 適材適所で頻繁に使用していたのだろうと察する
風呂敷はこんなにも便利で環境にも優しく しかもオシャレでもあるからもっと使おう などという運動をする気は無いし そんなことを言えばそれこそ「大風呂敷を広げる」ことになってしまう
ただ 私は生来 高級バッグを持つことよりも(第一 私の雰囲気には似合わない) こういった物に目が行ってしまうようにできているみたいだ
我が家から徒歩5分ほどの場所での古着回収は 月に二回しか無いので欠かすことはできない
朝 駅に向かう人が意外に多いことに気が付き そうか 前回は日曜だったけれど今日は土曜日なんだと気が付く
古着は透明もしくは半透明のビニール袋に入れて出すことになっているので 私はゴミ袋に入れたものを風呂敷で包み 肩にかけた袋に数点を入れて行き 現場で風呂敷を広げて一つにまとめて出すことにしている
風呂敷というものを昔は誰でも使っていたというかすかな記憶はあるが 着物を着る人が少なくなるのと並行して見かけることはなくなった
30年ほど前だろうか 銀座の松屋デパートで一枚の風呂敷と出会った
今はどうか知らないが 当時のここは意匠にすぐれたものを扱っていたように思う
それは綿100%で 黒地に朱色の柿がデフォルメされたカタチで幾つも描かれた 新しいデザイナーの手によるものだった
そのテキスタイルが気に入って 私は買ってしまった
買ってから使ってみると 風呂敷というものは 包装と持ち運ぶための袋という用途をこれひとつに凝縮したものだ ということに気が付いた
勿論 紙袋やエコバッグ トートバッグなども使うし 実際にはこちらの方が頻度は高いが 両親の入院中の時にも使ったし クリーニングに衣類をもって行く時などにも重宝している
適切な大きさと結び方を知っていればどんなカタチのものでも包めるし 用事が済めば畳むこともできて しかもエコでもある
何より 紙の袋などのようにガサガサと音がしないのも良い
二つ目を買ったのは 旅の途中で寄った静岡県の芹沢(けい)介美術館でのことである
この美術館は白井晟一の作品でもあり 私にとっては一粒で二度美味しい場所として是非行きたかったのだ
芹沢氏の作品としては 「いろは文」や「春夏秋冬文」などの文字で構成されたものが有名かと思う
少なくとも私は入口がそこだった
まだ20代の頃だったが まったくの理屈無しで 身体全体で私はこれが好きだと感じてしまった
これが民芸の持つ力だろうか
そして 建物も作品もすっかり堪能した最後に まだ旅の途中だというのに売店でこれを見た途端 欲しくなってしまったのだった
私が買った風呂敷の「小川紙漉村文」と呼ばれる意匠は 彼の作品の中では比較的初期のもので 埼玉県小川町(当時は村だったか)の姿を描いた型染めである
彼の作品が彼独自のものとなるべくきっかけを与えたのが 沖縄の紅型との出会いであり これもその直後の作品である
以降 彼の生み出す文様は色彩豊かに 独自性を増して のびやかになっていく
家を整理していると 素材も染め方も大小もまちまちではあるが 思いのほか風呂敷が多いのに驚かされる
昔は 適材適所で頻繁に使用していたのだろうと察する
風呂敷はこんなにも便利で環境にも優しく しかもオシャレでもあるからもっと使おう などという運動をする気は無いし そんなことを言えばそれこそ「大風呂敷を広げる」ことになってしまう
ただ 私は生来 高級バッグを持つことよりも(第一 私の雰囲気には似合わない) こういった物に目が行ってしまうようにできているみたいだ