どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

色々な事が動き始めている

2016年06月17日 | 日記
OCNのカフェがブログの始まりだった

粗忽者の私は それが何かもわからずにただゲームしたさにうっかり入った

そして今に至る

あの時のうっかりが無ければ それでもいつかはこうしてブログを書いていたか あるいはそうではなかったかはわからない

たとえ書いていたとしても 何を利用し いつ始めたかでまったく違う人生になったはずで そう大げさに考えるほどのことでもないが それでも幾つかの良き出会いがあったことを考えると これはこれで良かったのだと思う


最近 そのカフェ時代から知っている人と遂に会う約束をした

カフェにはミニメールというものがあり 使い方次第ではあろうけれど コメントとは違って当人しか見ることのできないこのメールはとても便利だった

そこで私たちはメルアドと名前だけを交換をした

一度だけ お互いの写真を送りあったこともあるが 私が忙しかったこともあり また会わなくても時々のメールで話すことは出来たし それで互いのことは理解できたし 会うかどうかはそうたいした問題でも無かった

お互いに東京に住んでいるから機会を作ろうと思えば可能だったのだが どちらからもそれを言い出すこともなく十数年の時は流れて行った


彼女とはそうした関係だったが 実際に会ったことのある人もいる

そして どの人にも裏切られることは無かった

疎遠になった人もいるけれど 今も変わらずお付き合いいただいている人もいる


この家の事で疲労困憊していた頃 ブログも途絶えたのを心配して彼女は何度かメールをくれたが 私はそれに返事を書く気力も無かった

彼女だけに限ったことではなかったのだが

それでも私は不死鳥のように蘇った(どこがだ~~!)

家を建てることは私の残りの人生を考える上でも重要な転機となることであり 互いに絡み合った問題でもあった

健康や経済や生きる意味や自分の死に至るまで 計算通りにはいかないだろう多くの事をそうと知りながらも考えることになった

また今年になって あるひとの困難に対してただ思うしかできない無力な自分を感じるという出来事もあった


そして私は この一番暇でゆとりのある時に 彼女と会っておこうと決めた

この先何が起こるかわからない

しかもその危険性は すぐにではないにせよ いずれ確実に上昇することはわかっている

たとえ会わなくとも 彼女がどんな人かはもうわかっている

それでも会うのは 顔を見て人と話すということがどれほど大事なことか 退職後 極端にその機会が減った私には痛切にそれが感じられるからである


私から提案したその計画に 私も会いたいと言ってくれ 快く承諾してくれた

場所だけは決めたが お互いに暇なものの この梅雨だから天気の良い日がいいねと 日にちは未定

来月早々には 友人が仮住まいに遊びに来てくれるという

色々な事が動き始めている

コメント
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