どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

小雨の中 納付書を持って

2016年06月22日 | 日記
6月は色々な納付書が舞い込んでくる

とはいっても昨年までは固定資産税と都霊園使用料のものだけだったが 今年からはすでに退職後に見知っている住民税と国民健康保険料が増えた

前年度の給与収入から計算されるので当然のことだが 昨年は支払うべき残りの住民税も また新たに入った国民健康保険料もそれはそれは高かった

本年度分でも今の私にはまだ高いと感じるが 幾分は下がった

来年は土地売却の収入のために 私にとっては目の玉が飛び出すほどの金額になるはずなので その分も計算しておかなければならない

従って 今後の人生でこれらの支出がどれほどになるのかはっきりするのは 二年後ということになる

わずかな年金以外には収入の無い私(のはず)は その支払額に喜ぶべきか悲しむべきか 


こうなると高齢者を世の中のお荷物と思う人がいたり いつまで生きるつもりだと言う人が出るのもわからないでも無いが 年金は今までの支払いの対価だ 文句あっか! とも言いたい

そもそもそれを回収できるまで生きていられる保証書は持ち合わせていない

それに誰もが何が何でもやみくもに長生きしたいと思っているわけでもない

死にたいわけでも無いけれど お迎えが来るまでは生きているのがにんげんだ

だから辛くて だから喜びもある

東北の震災以来 危険だから会社にもう来るなと社長に言われて素直に従った会長は それ以前にもすでに人生退屈で早く死にたいよ などと言っていたくらいだから 更にそれが大きくなり 私は何度もそんな考えではだめと叱咤したけれど それでもその日が来るまではすることが無いと言いながらも生きた(当たり前か^^)

お迎えが来る前にあっちに行く あるいは強引に行かされるというのは 色々な意味で悲しいことなのだ


話をそらすが いつまで生きるつもりか発言は弁護をするわけでは無いが 金のある奴は残すことを考えるよりも使ってくれ と言いたかったのだろうと思う

ただ彼自身が銀のスプーンを口にくわえ 両手にも持って生まれたような境遇であり 彼のさまざまな能力からあの配慮の足らない発言になったのだろうと思っている

彼自身が子孫にお金を残さず きれいさっぱり使ってお手本を見せて欲しいと思う

それでなくとも すでに資産以外のもっと大きな遺産が代々受け継がれているわけだし


今日 100億で自分の会社を売却して引退した人の話をラジオで聞いた

初めは贅沢な暮らしをしていたがそう使い切れるわけでもなく 段々顔色も悪くなり 次第に空しくなり 最後には鬱状態にまでなったという

莫大な金額の宝くじに当選して 寄付や資産になるものの購入などではなく 単に消費としてしか使ってはいけないとしたら何をして使い切ることができるか といった話を誰もがしたことがあるのではないか

よほどはちゃめちゃな事でもしない限り 残りの人生で100億を使い切るのは・・・やがて飽きるだろう 

消費行動というのものが必ずしも人を幸せにするとは限らないということか

でも一度くらいそんな気分にもなってみてもいいかなぁ~

そんなことを考えながら小雨の中 各種納付書を持って 家賃も含めた支払いを済ませてきた

コメント
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