どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

そうだ 父の日だった

2016年06月19日 | 日記
六月も下旬に入り 湿度も気温も高くなってきた

これから先まだ一か月は梅雨が続き それが終わると約二か月近くの暑さとの戦いが始まることになる

まだ昼間から冷房を入れるほどでは無いけれど それでも今日のように少し大がかりな掃除などすると 汗がポタリと落ちてくる


友人が遊びに来るのに備えて封印していた段ボールも開封するはめになり そのおかげでドイツ語の辞書が見つかった

その一からやり直しのドイツ語であるが 文法にせよ 単語にせよ しっかり覚えたことは記憶の片隅に残っていて ああ そうだったと割と早く思い出せたりするのだが 当時から不得意だった あるいは間違えた箇所はやはり今でも同じ

時間をかけて上った山の途中で せめて留まっていられたのならまだ良いが すっかり登山口まで滑り落ち そこからまた登り始めるのは知った道とはいうものの 前回の到達ポイントにたどり着くのにどれだけの時間がかかるのだろうか

経験が早めてくれるとも言えるし 年齢がそれを遅くするとも言えるけれど まああまり年齢のことは気にしていない

面白ければそれでいいのだ


そういえば今日は父の日だったが ここに引っ越してきてからというもの 親の事を思い出す機会が減った

環境の変化と新しい生活や諸々の事で手一杯だったこともあるが やはり 家そのものの物理的存在が無くなったせいだろうか

それを格別寂しいこととも思っていない

すっかり消えたわけでは無いのだから


地鎮祭には こっそり親の写真を持って行こうと思っている

30歳を少し過ぎた男と まだ20代半ばの若い女性が 60年近く前にあの土地で地鎮祭をした

人生で最初で最後のそれを のちのちその二人は あれは面白かったと笑顔でこどもに語った

こどもは まさかそれを同じ土地で自分がやることになるとは少しも思いもせずに 同じように笑って聞いていた

ただでさえ恥ずかしいのに(誰にも見られたくない!) 儀式のやり方も知っておかなければならない

こんなことならあの時 笑ってなんかいないでもっと真剣にそれを聞いておくんだった

でも親の子だから多分 きっと 祝詞がおかしかっただの 鍬入れなんてするのだとか 不謹慎にも面白がってしまうんだろうなあ 

コメント
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