してもらえると、うれしいな。
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昨日に続いて、愛知県のひとが書いた本。
書店に平積みになっていたのを手にとって読みはじめ、
前に新聞に紹介されていたことを思い出し、
読んでいたらおもしろくて、つい買ってしまった。
『オール1の落ちこぼれ、教師になる』宮本延春/角川書店
「いじめ、落ちこぼれ、引きこもり、勉強嫌い、すべての気持ちがわかる。
どんな子供にも可能性があることも知っている。
ちょっとした“キッカケ”があれば誰でも頑張れることを伝えたい」
『今週の本棚』(毎日新聞2006.8.27)
本には小学生でも読めるよう漢字にふりがなが付いている。
帰ってから寝るまでに、一気に読んでしまった。
37歳異色の新米教師奮闘 宮本延春さん 豊川高校
中卒▼大工▼アインシュタインの衝撃▼名大▼宇宙物理学▼豊川高
「一人ひとりの生徒ととことんまで向き合う」。それが宮本さんのモットーだ ◆「九九言えなかった自分より可能性大」
中学1年の通知表が「オール1」、「九九」も言えなかったが、猛勉強の末に名古屋大学理学部に合格した宮本延春(まさはる)さん(37)(愛知県豊川市)が、数学教師として、母校の私立豊川高校の教壇に立っている。中学卒業後は大工をしていたが、ビデオで見たアインシュタインの理論に衝撃を受け、小学生の勉強からやり直した。宮本さんは、落ちこぼれだった自分を振り返りつつ、「目標を見つける手助けをしてやりたい」と、生徒たちに熱い眼差しを注いでいる。
1年生を前にした2005年4月の最初の高校の授業で、宮本さんは、黒板に教科名を書き並べた。国、社、数、理、英……。そして各教科の下に「1」という数字を書き足した。
「これが何のことか分かるか」。生徒たちに問いかけるが、反応はない。「おれが中1だった時の通知表。オール1だったんだよ」
「うっそー」「なんで先生になれたの?」。静まり返っていた教室が、にわかに活気づいた。
小学生時代。気が弱く、体も小さかった宮本さんは、格好のいじめの標的だった。筆箱や上履きが隠されるのは日常茶飯事。休み時間に後ろからけられることや、足に画びょうを刺されることも少なくなかった。
中学に進み、最初にもらったオール1の通知表に、「やっぱり、おれはバカなんだ」と自分を見放した。義務教育を終えた時の通知表も、「2」が二つで、残りはすべて「1」だった。九九を全部言うことができなかった。
中学卒業後は大工の道に進んだが、親方の指導は厳しく、すぐに手が飛んできた。理解者だった母親を16歳の時に病気で亡くし、17歳で大工をやめた。その翌年には父親も病死した。
だが、20歳を迎えたころから人生の風向きが変わり始める。地元の建設会社に就職。後に結婚することになる純子さんと出会ったのも、このころだ。純子さんから、一本のビデオを手渡されたのは23歳の時。家に帰って再生すると、「光は波か、粒か」をテーマに、アインシュタインの理論を解説したテレビ番組が録画されていた。画面に吸い込まれ、我に返った時には90分の番組が終わっていた。
「もっと知りたい」。味わったことのない気持ちでいっぱいになった。「物理学を勉強するには、大学に入らなくては」。直感的にこう思い、その一歩として定時制高校を受けようと決意した。
夢への道は、九九のマスターから始まった。小学3年用のドリルを購入。中学3年までの数学と英語を独りで学んだ。「難しい知恵の輪を簡単に解くのを見て、やればできる人なのではと思ったんです」と、純子さんは振り返る。
自宅に近い豊川高校の定時制に入学したのは24歳の春。物理学科のある名古屋大に志望を定めた。
毎朝5時に起床し、出勤時間まで勉強。帰宅後も午前0時まで机に向かった。高校3年の3学期。大学入試センター試験で8割近い点を取り、名古屋大の理学部を受験した。
合格を知った時のことは忘れられない。自宅の郵便受けに入っていたレタックスを恐る恐る開き、その中に自分の受験番号を見つけた。「不合格者の番号が掲載されてるのでは」と何度も確認した。
1996年4月、27歳で名古屋大に入学した。
学部と大学院で過ごした9年間。宇宙物理学を専攻し、素粒子などの研究に没頭した。在学中に結婚、長男も生まれた。初めは研究者になるつもりだったが、満ち足りた日々の中で別の思いが芽生えた。
「自分の経験が一番役立つ仕事は教師ではないか。落ちこぼれだったから、生徒がどこでつまずくかがわかるし、いじめられた時の悔しさもよくわかる」
母校に電話をかけ、教壇に立ちたいと願い出た。
理科と数学の教員免許を持つ宮本さんは、週14時間の授業を担当している。
「三角形の内角の和は何度だい」。授業はしばしば、中学の内容に戻る。「先生の話は分かりやすい」と生徒たちは口をそろえる。
つまずく生徒もいないわけではない。しかし、九九もできなかった自分に比べれば、間違いなく、全員がより大きな可能性を持っている。
本格的に教壇に立つようになって1年。宮本さんは「毎時間、全力投球してきたけれど、生徒一人ひとりの個性に応じた指導をするのは、予想以上に難しい。まだまだ勉強は続きます」と話す。
「子どもたちが目標を見つける手助けをしてやりたい」。23歳で初めて人生の目標をつかんだ新米教師の、それが新たな目標だ。
(2006年3月5日 読売新聞)
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むずかしいことは何も書いてなくて、でも
『学ぶ』という原点がここにある。
痛快ですがすがしい本。
教育問題に興味がある人だけでなく、落ちこぼれている人や、
たぶん、いま悩んでる人にもおススメ。
教育基本法改正の強行採決にやりきれない思いをしているが、
留守中たまった新聞を整理していたら、
評論家の立花隆さんのこんなインタビュー記事も見つけた。
教育基本法改正背後に潜むもの~立花隆氏に聞く(2006.11.10)
ところで、こちらは、
昨日の毎日新聞、一面トップ記事。
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タウンミーティング:青森で県職員大量動員も 全国調査
政府が主催したタウンミーティング(TM)で「やらせ質問」などが発覚したのを受け、毎日新聞は13~17日、全174回のTMについて全国調査を実施した。その結果、青森県内で開かれた4回すべてで公務員が大量動員され、特に04年6月の「地域再生」をテーマにしたTM(青森市)では参加者の約3分の1に当たる約70人が県職員だったことが分かった。さらに同県八戸市で今年9月に開かれたTMでは、動員した校長らに県教委が4000円程度の「出張旅費」を出していたことも判明。このほか、内閣府や文部科学省が自治体を通じて質問者の人選依頼を行ったケースは少なくとも13件あった。
青森県関係者によると、04年6月の「地域再生」をテーマにしたTM開催にあたり、同県は内閣府から同年5月「応募が少ないので、県から参加者を出してほしい」と要請を受け、県政策調整課が取りまとめる形で約70人が出席した。当日の参加者206人のうち3分の1が県職員だった計算で、「小泉内閣の閣僚と国民との直接対話」をうたったTMの一部は、実は「官・官対話」だったことになる。
大量動員は同県で開かれた他の3回でも行われ、01年6月の青森市でのTMでは参加者190人のうち県が取りまとめた自治体職員が25人、02年7月の弘前市でのTMでは222人のうち県職員が41人を占めた。「やらせ質問」問題の発端となった今年9月の八戸市での「教育改革」TMでも、参加者401人のうち241人が同市教委やPTA関係など動員された人たちだった。
04年6月のTMに出席した県職員は、毎日新聞の取材に「国のイベントへの参加者が少ないと、地方自治体は国から皮肉を言われる。県職員でTMが埋め尽くされたわけではなく、問題はないと思った」と話した。
また、八戸市のTMでは、動員された人のうち同県上北郡内の県立高の校長1人が約4700円、教員1人が約3700円の出張旅費を県教委から受け取っていた。この校長は17日、毎日新聞の取材に旅費の受領を認め「研修との位置付けだった」と説明した。同県政策調整課は「研修に当たると判断できれば、TMでも旅費支出はありえる。八戸市のTM以外の3回でも支出された可能性はある」と話している。
内閣府や文科省からの人選依頼は既に判明している教育改革に関する5回のTMと、北海道内での3回のTM以外にも、▽前橋市(03年9月)▽富山市(01年10月)▽大津市(06年7月)▽和歌山市(01年11月)▽長崎市(04年5月)--の5回で新たに判明した。
前橋市の「市町村合併」をテーマにしたTMでは、内閣府が群馬県に「何も質問が出ないと困る。呼び水として発言してくれる人をお願いしたい」と要請。同県は近隣自治体との合併構想を推進していた同県沼田市長に出席を頼み、発言してもらっていた。【村松洋、平元英治】
(毎日新聞 2006年11月18日)
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・ ・ ・ ・ 。
今日の午後は、上野千鶴子さんの
『生き延びるための思想』読書会。プロジェクトe」。
そのココロは・・・「本を読むのはエクスタシー」。
さあっ、本を読むことにしよう。
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