今日は、東京の某所で目覚めました。
パソコンを持ってこなかったので、予約投稿です。
12日は都議選の投開票日でしたが、中日新聞の社説がとてもよかったので、
その場で、切り抜いておきました。
そのほか、裁判員制度と冤罪、の関連の記事も紹介します。
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12日は都議選の投開票日でしたが、中日新聞の社説がとてもよかったので、
その場で、切り抜いておきました。
そのほか、裁判員制度と冤罪、の関連の記事も紹介します。
【社説】裁判員の「市民の目」とは 週のはじめに考える 中日新聞 2009年7月12日 裁判員裁判がいよいよ始まります。市民の常識を司法にという期待の半面、人を裁くことへの裁判員の不安はもっともです。一緒に考えてみましょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元裁判官で今は弁護士の秋山賢三さんに話を聞きました。戦後の著名冤罪(えんざい)事件のひとつ、徳島ラジオ商殺しの再審開始決定に陪席裁判官としてかかわった人です。こう言います。 ラジオ商殺しの不可解 「被告の冨士茂子さんは夫と包丁を奪い合い十一カ所の傷を負わせて殺害したとして懲役十三年に処された。でもね、自分の顔や手、体の正面部に格闘傷がない。元海軍軍人の夫を相手に小柄な茂子さんが無傷ですむはずがない。ここに裁判官が疑問を持って検討したのなら結論は違ったでしょう。そういう常識的な事実認定こそが市民に期待されているのです」 では、当時の裁判所はどうして間違えたのか。あるいはわざと見なかったのか。そこには長く築かれてきた検察と裁判所の癒着のようなもの、すなわち構造的な欠陥すら推察されます。一般に検察官は自白調書とそれを裏付ける豊富な証拠をそろえて提出します。無理やりとった虚偽の自白だとしても、それを補完する形の証拠類をずらりと並べられれば誤りでも本当に見えてしまう。足利事件でうその自白が当時は新鋭のDNA型鑑定で補強された事例は記憶に新しいところです。 法廷で被告や弁護士がいくら無実を訴えても、職業裁判官は逆に「だまされないぞ」という観念にとらわれ、有罪の方へと傾斜しがちなのだそうです。すると被告はあきらめるしかありません。絶望の内に無実の叫びをのみ込むのです。 十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜(むこ)の人を罰してはいけない。米欧刑事裁判の哲学です。魔女裁判や幾多の誤判の歴史とそれに伴って培われてきた人権思想が到達した理念です。 冤罪を生まないために 要は冤罪を生まないことです。 でも真犯人がまんまと逃げおおせるのは許せないし、もしそうなら社会の治安は低下してしまう。そういう心配はだれもが持つでしょうが、ではどう考えたらいいのか。秋山さんは少し考えてこう答えました。 「真犯人が逃げれば治安は保てない。それは確かだ。でもその不安を一億人全員がいっしょに持つのなら不安は一億分の一になる。冤罪を一人たりともつくらないとは、たとえばそういう考え方をすることです」 この説明は一般に社会規範意識の強い日本人にはある種の変化を迫るものかもしれません。でも、もし自分が冤罪被告だったらと考えてみてほしいというのです。 昭和三年十月二十三日、大分地裁で日本初の陪審裁判が開かれました。三十歳代の工場職長が年上の愛人女性の心変わりに怒って包丁で刺し重傷を負わせた事件で、読み書きや納税の条件を満たした陪審員十二人が選ばれた。裁判長は、有罪または無罪と心の中で決めてしまってはいませんね、と確かめたあと、法廷で被告の犯行時の酒量や包丁の持ち方を調べたり、証人尋問を行ったそうです。焦点は殺意の有無。陪審の評議は殺意なしで、被告は懲役六月の判決を言い渡された。当時の市民の常識では、検察官の描いていた殺人未遂ではなく、傷害罪程度という判断だったのでしょう。日本の陪審は戦時中まで続き、約四百八十件のうち約八十件が無罪判決でした。 秋山さんは著書(「裁判官はなぜ誤るのか」岩波新書)で裁判官に対する十戒を提案しています。いわく(1)「『法壇の高さ』を意識せよ」。判事から弁護士になって目前にそびえる法壇の圧迫感に気づいたそうです。壇上からは高くて被告の表情もよく見えない。そこで壇の高さを意識せよ、が一番目の戒め。 続けて(2)「疑わしきは被告人の利益に」を実践する(3)秩序維持的感覚(前科などへの予断)を事実認定の中に持ち込まない(4)「人間知」「世間知」の不足を自覚する(5)供述証拠を安易に信用せず、その誤謬(ごびゅう)可能性を洞察する(6)公判廷における被告人の弁解を軽視しない(7)鑑定を頭から信じこまない(8)審理と合議を充実する(9)有罪の認定理由は被告人が納得するように丁寧に書く(10)常に「庶民の目」を持ち続ける。 裁判官の十戒ですが 十戒は裁判官へ贈るものでしたが、裁判員にも無論役立ちます。裁判員制度に反対という人は、職業裁判官ゆえに陥る旧弊もあると考えてみてはどうでしょうか。十戒の最後にいう「庶民の目」とは裁判員の皆さん自身の目です。不安ばかりを思うよりも、むしろ自信を持って法廷に臨んではどうでしょうか。 中日新聞 2009年7月12日 |
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「冤罪なくすため」、裁判員制度と向き合う河野仁志さん 信濃毎日新聞 6月27日(土) 松本サリン事件から15年となる27日、松本市内で開く裁判員制度を検証するシンポジウムで、同事件の第一通報者で当初容疑者扱いされた河野義行さん(59)の長男仁志さん(30)が事務局を務め、準備を進めている。市民が務める裁判員に分かりやすく、早く審理を進める仕組みの中で、疑われる側にとって大切な事実が見落とされることもあるのではないか-。冤罪(えんざい)を強く意識する立場から、制度に問題提起するつもりだ。 「わたしも『やった』『やってない』という押し問答を警察官とやりました」 6月上旬、松本市の県松本勤労者福祉センターの一室。シンポジウムを前に開いた勉強会で、仁志さんは出席者を前にこう訴えた。その手には、「足利事件」で無期懲役確定後、無罪の可能性が強まり、17年半ぶりに釈放された菅家利和さんを取り上げた新聞記事のコピーを持っていた。 1994年夏。県警は、被疑者不詳のまま殺人容疑で河野さん宅を家宅捜索。農薬など薬品類を押収した。多くのメディアが義行さんの関与を疑う報道をし、市民の見方にも反映された。 当時15歳だった仁志さんも、自宅で刑事2人から任意の事情聴取を受けた。「薬品や容器はどこに捨てたの。どこに隠したの」と問う刑事に、仁志さんは「知らない」。だが、刑事は「きちんとした目撃情報もある」と続けたという。それでも否定し続けると、父親が薬品を捨てたとする趣旨の内容を発言している-とも言われたという。 そんな体験をした仁志さんはこの春、サリン中毒で意識不明となり、14年余の闘病の末に昨夏死去した母澄子さん=当時(60)=を供養するため、都内の会社を辞め、松本市の自宅に戻った。父の弁護士を務めた永田恒治さん(72)をあいさつで訪ねた際、裁判員制度に問題意識を持つ立場から「体験を基に世に問うことはないか」と聞かれた。 仁志さんが裁判員制度を学び始めると、冤罪を生みかねない-との疑問が浮かんできた。まずは「公判前整理手続き」だ。裁判に入る前、検察側と弁護側が持っている証拠を出し合い、証拠を整理、争点を絞り込む仕組みで、争点を明確にし、審理を迅速に進めるのに必要とされる。だが、非公開で行われるため「被告の無実を証明するかもしれない小さな証拠が切り捨てられてしまう危険性があるのではないか」と感じる。 捜査方法の見直しも十分には見えない。警察は裁判員制度に備え、容疑者の取り調べをビデオ撮影するなどの「可視化」を始めたが、「現状は部分的な導入」と仁志さん。自白の強要など捜査の行き過ぎを防ぐためには、「全面可視化でなければ意味がない」と指摘する。 松本サリン事件直後、仁志さんは自宅で1日100件を超える脅迫、無言電話に苦しみ、「あの人が犯人」と思い込んだときの群集心理の怖さを身をもって経験した。裁判員となる市民がすべてを知って裁判に臨むわけではない以上、「科学的、合理的な判断をしてくれるのだろうか」との心配もぬぐえない。 新たな職を探しながら、シンポを準備する仁志さん。「冤罪をなくすため、小さくても声を上げ続けていく」ことが、15年間、自分たち家族を支えてくれた人たちに感謝の気持ちを示すことにつながると考えている。 (信濃毎日新聞 2009.6.27) |
冤罪:日弁連、東京で防止訴え集会/富山で菅家さん、横浜事件と重ね「過ち似ている」 毎日新聞 2009年7月5日 ◇「取り調べ全可視化を」 取り調べの全過程の録音・録画(全面可視化)を訴える集会が4日、東京・霞が関の弁護士会館で開かれた。裁判員制度スタートを機に、市民に必要性を理解してもらおうと日本弁護士連合会が主催して約270人が参加、冤罪(えんざい)被害者らが「全面可視化されていれば冤罪は起きなかった」と訴えた。 富山県の強姦(ごうかん)事件で再審無罪が確定した柳原浩さんが「被害者宅の見取り図は警察官が私の手をつかんで描いた」と語った。足利事件で再審が始まる菅家(すがや)利和さん(62)も電話でメッセージを寄せ「刑事に何度も怒鳴られ、どうでもいいと思って『自白』した。裁判でも、その刑事がいるのではないかと思い本当のことを言えなかった」と話した。 パネリストを務めたジャーナリストの鳥越俊太郎さんは「裁判員が取り調べの一部だけを見ると調書より信用し、冤罪が増える恐れがある」と指摘した。【安高晋】 ◇富山で菅家さん、横浜事件と重ね「過ち似ている」 また菅家さんは4日、戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」ゆかりの地、富山県朝日町の老舗旅館「紋左(もんざ)」を訪れ、同事件の再審報告集会であいさつした。菅家さんは、再審で免訴判決が確定した横浜事件と足利事件を重ね合わせ、「警察や裁判所が過ちを犯した点が似ている」と指摘した。 横浜事件では、同旅館で撮影された写真が証拠とされ、共産党再建を謀議したとして、出版社社員らが治安維持法違反容疑で逮捕され、約30人に有罪判決が下された。 この日は、横浜地裁での再審で主任弁護人を務め足利事件も担当した佐藤博史弁護士の講演に、菅家さんが同行した。横浜事件の支援者らを前に、菅家さんは支援を呼びかけた。【岩嶋悟】 (毎日新聞 2009年7月5日) |
各社の紙面 紙面展望(2009年)誤判の究明が不可欠 足利事件の再審決定をめぐる社説 取り調べ全面可視化を (日本新聞協会 7月7日付) 4歳の女児が誘拐、殺害された足利事件で無期懲役が確定していた菅家利和さんは6月4日、逮捕から17年半ぶりに釈放された。再審開始も決まった。弁護側の再審請求を受け、東京高裁が専門家に依頼してDNA型を再鑑定した結果、菅家さんの型は、女児の下着に付着した体液の型と一致しなかったためだ。菅家さん逮捕当時の鑑定は精度が低く、間違った鑑定結果が科学的な証拠として有罪の根拠とされてきた。折しも裁判員制度がスタートした。釈放から再審決定まで70本を超える社・論説が取り上げ、冤罪(えんざい)をなぜ防げなかったのか、徹底した究明を求めた。 DNA鑑定の過信は禁物 《捜査・取り調べ》岩手日報「『髪を引っ張られたり、足でけ飛ばされたりもし、どうにもならなくなって「やりました」と言ってしまいました』。釈放直後の記者会見で、菅家さんは一語一語、絞り出すように言葉を発していた。(略)『当時の警察と検察官を許すことはない』という言葉が、一層重々しい。『自白』した瞬間の絶望を垣間見る思いがした」、琉球「菅家さんは公判途中まで犯行を認めていたことについて『傍聴席に刑事がいるのではとビクビクしていた』と述べ、自白を迫った警察捜査の苛烈(かれつ)さをうかがわせた」。 《DNA鑑定》読売「(鑑定の)精度が飛躍的に向上したのは、新たな分析装置が導入された03年以降だ。それ以前に実施されたDNA鑑定は4000件を超えるという」、毎日「DNAは万能ではない。不一致が無罪の証明となっても、一致が有罪の証拠とは限らない、と考えねばならない。技術が向上し、精度が格段に高まった今も、過信は禁物だ。(略)足利の事件当時と同じ鑑定方法で多数の有罪判決が下され、死刑を執行された元被告もいるという由々しき問題もある。鑑定の検証や証拠の見直しを急ぐ必要がある」、産経「精度が上がっても検体採取の際の人為的なミスなども考えられる。科学捜査の活用と同時に、真相を明らかにする地道な捜査能力の向上が欠かせない」。 《裁判所の責任》下野・長崎など「裁判所にも責任の一端はある。当時のDNA鑑定の信頼性に専門家から疑問が投げかけられる中で『重要な積極証拠』として評価。その後、弁護側が、女児の着衣から採取された体液と菅家さんのものと一致しない疑いがあると指摘したのに対し証拠能力を認定して、無期懲役が確定した。(略)裁判所は引き返す機会を何度も逸している」、朝日「一、二審、最高裁、再審請求一審の審理にあたった計14人の裁判官はなぜ誤ったのか。その答えを国民は聞きたいはずだ。(略)無実の男性が服役したあと真犯人が分かった富山事件の再審で、裁判所は誤判原因の解明に背を向けた。こうした姿勢は許されない。そもそも誤判を究明する仕組みがないことも問題だ」、北海道「(逮捕時の)鑑定の誤りを実証するため、弁護側は当時の担当技官らの証人尋問を求めた。ところが、東京高裁は弁護側の主張を退け、実質的な審理に踏み込まなかった。弁護側は裁判官の忌避を申し立てたが、これも却下された。これでは裁判所が冤罪(えんざい)の真相に目をつぶり、誤判から逃げているとみられても仕方がない」、中日・東京「逮捕から釈放までに十七年半もかかった。司法の真摯(しんし)な姿勢があれば、もっと早く菅家さんを救えたはずだ。検察庁が再検証するのは当然だが、裁判所も再調査して誤判防止に役立てるべきだ」、日経「1990年代以降、再審の門戸を狭める裁判所の判断が目に付く。(略)宇都宮地裁はDNA鑑定をやり直さないまま再審請求を退けた。再審請求の審理でも『疑わしきは被告人の利益に』が鉄則だ」。 裁判員候補の不安なくせ 《取り調べ可視化》日本海「警察の取り調べ状況や冤罪となった過程が連日報道され、裁判員候補者たちに大きなプレッシャーを与えている。鳥取県東部の30代の男性会社員は『もし裁判員になれば、提示された証拠をうのみにするしかない。足利事件で人を裁くことの怖さを強く感じた』と不安を口にし、『取り調べすべてを公開しないと、われわれが冤罪を起こす危険性もある』と指摘する。(略)一般市民が人を裁く場面は間近に迫っており、取り調べの全面可視化問題は待ったなしの状況である。早急に国会で論議すべき課題である」、京都「冤罪を招いたもう一つの要因は、(略)密室での取り調べと、根強い自白偏重の傾向だ。警察庁は取り調べの可視化を進めているが、裁判員制度の対象となる殺人や強盗傷害事件などに絞っているうえ録音、録画の場面を限っている。一部の可視化では、逆に裁判員を誤った方向に導く恐れがある。裁判員になる国民の不安をなくすためにも全面可視化が不可欠だ」。(審査室) |
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