昨日講演を聴いた信田さよ子さんも少なからずかかわりのある(らしい)、
医学書院《シリーズ ケアをひらく》の 『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』。
10月の岐阜新聞の書評に載っていたので、すぐに買いに行きました。
まず信田さんちの「いつものカルコス」に行ったのですが、まだ置いてなかったので、
その足で、岐阜高島屋の自由書房へ直行。

自由書房はその週の新聞書評に載った新刊書を集めて並んでいるので、
欲しい本を手軽に手にとって買うことができます。

すぐに読んだ『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』。
予想通り、とってもよいです。
《シリーズ ケアをひらく》の本は、はずれがないですね。

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評者の宮地尚子さんの本も、おススメのよい本が多いので紹介します。

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医学書院《シリーズ ケアをひらく》の 『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』。
10月の岐阜新聞の書評に載っていたので、すぐに買いに行きました。
まず信田さんちの「いつものカルコス」に行ったのですが、まだ置いてなかったので、
その足で、岐阜高島屋の自由書房へ直行。

自由書房はその週の新聞書評に載った新刊書を集めて並んでいるので、
欲しい本を手軽に手にとって買うことができます。

すぐに読んだ『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』。
予想通り、とってもよいです。
《シリーズ ケアをひらく》の本は、はずれがないですね。

医学書院≪シリーズ ケアをひらく≫その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち 著:上岡 陽江/大嶋 栄子 判型 A5 頁 272 発行 2010年09月 定価 2,100円 (本体2,000円+税5%) 普通の生活の“有り難さ” 暴力などトラウマティックな事件があった“その後”も、専門家がやって来て去って行った“その後”も、当事者たちの生は続く。しかし彼らはなぜ「日常」そのものにつまずいてしまうのか。なぜ援助者を振り回してしまうのか。そんな「不思議な人たち」の生態を、薬物依存の当事者が身を削って書き記した当事者研究の最前線! はじめに ダルク女性ハウスで二週間のフィールドワークをおこなったのは二〇〇三年冬のことである。私(大嶋)はその前年に札幌で「それいゆ」という女性のための施設を立ち上げたばかりで、薬物依存症の当事者であり施設長でもある上岡陽江さんの実践に学ぼうと思ったのだ。 当時、ダルク女性ハウスは荒川区の町屋にあった。まだ下町情緒の残るその道をメンバーと歩きながら感じた、かさかさとした寒さが今も記憶の底にある。その後何度も上岡さんやメンバーから聞き取り調査をおこない、そのたびにダルク女性ハウスに寝泊まりさせてもらうおつきあいが続いた。 彼女たちに話を聞くなかで、あるいは精神科病院や女子刑務所での出会いを通じて、多くの女性たちが理不尽な体験を生き延びる自己対処としてアルコールや薬物を使っていることを知った。そして、そのような自分自身を深く恥じていることも知った。 罪悪感と恥の感覚は事態をさらなる悪循環に誘い込み、彼女たちが表出する“症状という言葉”は他者を巻き込む。そこで付けられた「依存症」「境界性パーソナリティ障害」といった診断名は、彼女たちを救うどころか“厄介者”のレッテルとして機能する。再発すれば“恥知らず”の代名詞として使われる。 しかし、「女性嗜癖者の回復は難しい」などとわかったような顔で解説する前に、何が彼女たちの回復を難しくしているのかを探る必要があるのではないだろうか。 本書は、暴力をはじめとする理不尽な体験そのものを生き延びたその後、今度は生きつづけるためにさまざまな不自由をかかえる人たちの現実を描いている。 上岡さん自身がそのように生きてきた当事者であり、同時に彼女たちの支援にも携わっている。私は精神科医療現場でソーシャルワーカーとして仕事を始め、その後民間カウンセリングルームや地域の社会復帰施設を経て、みずからが施設を立ち上げて現在に至る。 このように違う立場ではあるが、ふたりには共通点がある。第一に彼女たちの体験を特別な人に起こった特別なことと見なさずに、いくつかの条件が重なってしまうときに誰にでも起こりうると考えていること。第二に「当たり前に生活が送れる」ような変化は、長い時間経過のなかでしか起こらないと知っていること。第三に、だからこそ支援する人たちにも疲れや諦めが出やすいので、援助者自身が多くのサポーターをもつことを勧め、みずからも実践していることである。 本書はまた、理不尽な体験を生き延びている渦中のご本人が読んでくれることも想定して書かれている。日々の暮らしのなかで、きっと普通にできるはずと自分では感じることが思うようにならずに、苦労されているのではないか。そんな経験の全部というわけではないけれど、ここに書かれている具体的エピソードのいくつかに“自分”を見つけてくれたらいいなと思う。いまは出会っていなくとも、必ずつながっていける誰かがいるはずである。 上岡さんも私も、これまでつきあってきたたくさんの「その後の不自由」を生きる人たちを思い浮かべながら本書を書いた。彼女たちの、症状にかき消されがちな言葉を、ひとりでも多くの人に届けられたらうれしい。 大嶋栄子 目 次 はじめに 1 私たちはなぜ寂しいのか 1 境界線を壊されて育つということ 2 境界線を壊された子どもは何を感じるようになるか 3 「健康な人」に出会うとなぜか寂しい 4 援助者に対してもニコイチを求めてしまう 5 私たちにとって「回復」とは 6 相談する相手が変わるとトラブルの質が変わる 7 回復には段階がある focus-1 回復しても「大不満」!? 2 自傷からグチへ 1 相談はなぜ難しいのか 2 相談といっても実はいろいろある 3 閉じられたグチは危険 4 グチにも効用があるらしい 5 開かれたグチを正当化しよう focus-2 同じ話を心の中で落ちるまで話せ 3 生理のあるカラダとつきあう術 1 なぜ「生理」をテーマに選んだのか 2 研究の方法 3 研究の結果 4 生理と向き合うことでわかったこと 5 生身はつらい! focus-3 なぜ怒りが出てくるのか? 4 「その後の不自由」を生き延びるということ Kさんの聞き取りから focus-4 「普通の生活」を手助けしてほしい 5 生き延びるための10のキーワード 1 身体に埋め込まれた記憶 2 メンテナンス疲れ 3 遊ぶ 4 時間の軸 5 “はずれ者”として生きる 6 人間関係のテロリスト 7 セックス 8 流浪のひと 9 だるさについて 10 それでも希望について focus-5 トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしない 6 対談 では援助者はどうしたらいい? 上岡陽江×大嶋栄子 援助者に出会うまでには長いプロセスがある 「電話してね」と言っても電話がこない理由 テレパシーで伝わると思っている 自己覚知はフィードバックから 「迷惑」じゃなくて「痛い」んだ 消え入りたい思い 「あなたは悪くない」は難しい 失望する必要はない とにかく生き延びろ! あとがき |
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医学書院MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内 《シリーズ ケアをひらく》 その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち 上岡 陽江,大嶋 栄子 著 《評 者》宮地 尚子(一橋大大学院教授・精神医学) 「なんでできるの?」と「なんでできないの?」をつなぐ本 黄色と青のコントラストの装丁がいい。図や挿絵,表紙の写真がいい。まずそう思った。内容がいいことはわかっていた。前半の数章は,以前「精神看護」誌に掲載されたときに読んで「うわーっ!」と思って,友人に紹介したり,患者さんにコピーをあげたり,大学院の講義で使ったりしたからだ。 この本は,ダルク女性ハウスで薬物依存症の女性たちに長年かかわってきた上岡陽江さんと,DVや性暴力被害者のためのシェルターを運営している大嶋栄子さんが二人で,トラウマを受けた女性の回復の在り方を,当事者の目線から描いた本である。 「サバイバー」という言葉はよく使われるが,それが「嵐」をなんとか生き延びた人という意味だけではなくて,「嵐」のあとを生き続ける人だということは,あまり理解されていない。「嵐」はあとに,がれきや溝やさまざまな爪痕を残していく。そういう「残骸」の中を生き続けるのは,「嵐」を生き延びるより,終わり(ゴール)がないだけにつらいことも多い。まさに「その後の不自由」。タイトルどおりである。 生き続けるのは,苦しい。自傷や薬物で飛ばしていた現実感や身体感覚が戻ってきて,「なまみのからだ」を生きなければいけない。しかも,染み付いた恐怖や自己否定感と,過去の苦しい記憶のフラッシュバック付きで。「なまみーず」(註:「生身はつらい」から派生し,ダルク女性ハウスで用いられる呼称)には生理もあれば,頭痛・肩こりもある。「もうそろそろ忘れたら?」とか「いいかげん普通の生活してよ」とか「いつまで,あれもこれもできないって言ってんの?」とか,周囲からプレッシャーをかけられるちょうどそのころ,深~いうつや,だるさが襲う。 彼女たちの回復を支援する人たちも大変である。まじめな支援者ほど息切れするだろう。溝を感じるだろう。「なぜよくならないの? 私がこんなにがんばって支援しているのに」「なんでこれくらいのことができないの? 後で自分が困ることはわかってるのに」「なぜこれくらいですぐめげちゃうの? 励ましてるだけなのに」「なぜいきなり怒りだしちゃうの? こっちは悪気なんてないのに」と。一方,当事者たちも,「なんで“そんな簡単なこと”って言うの? 普通の人はそんな簡単にできるものなの? ラクに生きられるものなの?」「なんでそんなに責めるの?」と,一生懸命やってくれる支援者に戸惑い,苦しくなって,ためこんで,爆発する。 この本は,そんな当事者の「なんでできるの?」と,支援者の「なんでできないの?」とをつなぐ本でもある。例えば,ノーを言うこと,自分の身を守ること,危ない人には近づかないこと,時と場所にかなった服装をすること。「普通の人」には簡単なはずのそんなことが,彼女たちにとっては,富士山に登れと言われているみたいに聞こえる。けれども,彼女たちが身に付け(させられ)てきた暗黙の前提や人との距離感(のなさ)を,「わたしたちはなぜ寂しいのか」の章のように説明されたら,支援者も彼女たちを見守ることや待つことがもっとラクになる。思い通りにいかなくても,自分を責めたり,相手を責めたりしなくなる。 傷つきながら育ってきた人たちの対人的距離について,これまでこのようにわかりやすく書かれたものがあっただろうか? 生理と精神症状と行動の変化について真正面からとりあげ,すぐに役立つ対処法を示したものが精神医学関係の本にあっただろうか? 精神分析にあっただろうか? これまでの専門的知が男性中心主義的なものだったことは周知の事実だが,まさに何が欠けていたのかをこの本は見せてくれる。 当事者であるKさんからの聞き取りは,貴重な証言である。多くの人が「ドン引き」するものかもしれない。けれども,この話を読んで救われる当事者もたくさんいるはずだ。似たような被害を受けながら,「ドン引き」されるから誰にも言えなかったり,実際に言ってみて「ドン引き」されてしまって,こんな目に遭うのは自分だけだと思ってきた人たち。でもKさんの加害者のようにひどいことをする人間は,残念ながらこの世の中にたくさんいる。不潔恐怖もパニック発作も,そりゃあ,出ないほうが不思議だろうと思う。でもKさんは確実に回復しつつある。上岡さんは,Kさんの話を公にするのはちょうど今だと思ったと書いている。時期をちゃんと選んでいるのだ。長い経過を知ってくれている人がいるからこそ,Kさんのこの語りはある。 この本は,全編フラバ(フラッシュバック)注意である。が,それがどうした。フラバの起きない当事者本なんてある? 私はあえて,そう言いたい。特にこの本は,フラバを起こしても安全だと思う。それくらい包容力がある。フラバを起こしながらも,手足のどこかを現実にとどめておくことができる。でも,安心できる仲間やパートナーや支援者と読むと,もっと安全で効果的だろう。だから支援者の人もまずは自分で読んで,それから当事者の人にも安心して勧めてあげてほしい。 頭でっかちな精神病理学や精神分析学のおじさんたちは,読まないほうがいいかもしれない。女性の精神病理についての,これまでの理論が崩れてしまうから。「なまみのからだ」抜きでしか成り立たない議論に,へばりついていてください。机上の空論で遊んでいてください。その間に当事者たちが言葉を紡ぎ始めます。語り合い始めます。理論を作り始めます。それを邪魔しないでください。 頭の柔らかい人は大丈夫! 読んでびっくりして,それからしみじみ納得しましょう。かくいう私も,まだまだ驚きと納得のさなかです。 A5・頁272 定価2,100円(税5%込)医学書院 ISBN978-4-260-01187-7 |
評者の宮地尚子さんの本も、おススメのよい本が多いので紹介します。


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