昨日に続いて、「福島原発事故から半年」関連の毎日新聞の記事です。
事故から半年、マスコミが事故をどう総括したのか、記録に残しておきたいです。
そして、10年後に振り返ったとき、わたしが訪れた「10年目のチェルノブイリ」
と同じ経過をたどった、と言わなくてもよいように、と思います。
わたしたちは過去に起きたことから学ぶことができるのに、
ちっとも学んでいない、ようです。
明日は、9.11からもちょうど10年たちます。
「2001.9.11」と「2011.3.11」、
この数字は同じではないけれど、どこか似ていますね。
東日本大震災、福島第1原発事故から半年/原発放射能拡散を過小評価-暮らしの中の対策 被ばく、どう防ぐ
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事故から半年、マスコミが事故をどう総括したのか、記録に残しておきたいです。
そして、10年後に振り返ったとき、わたしが訪れた「10年目のチェルノブイリ」
と同じ経過をたどった、と言わなくてもよいように、と思います。
わたしたちは過去に起きたことから学ぶことができるのに、
ちっとも学んでいない、ようです。
明日は、9.11からもちょうど10年たちます。
「2001.9.11」と「2011.3.11」、
この数字は同じではないけれど、どこか似ていますね。
東日本大震災、福島第1原発事故から半年/原発放射能拡散を過小評価-暮らしの中の対策 被ばく、どう防ぐ
福島第1原発:収束いまだ見えず 事故から半年 3基の原子炉が同時にメルトダウン(炉心溶融)するという未曽有の事態に陥った東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)。世界最悪「レベル7」の事故は、半年を経ても放射性物質の放出が止まらず、現場では被ばくの危険と隣り合わせの作業が続く。終わりが見えない原発事故の半年を振り返った。 ◇水との闘い、壁に 半年の収束作業は「水との闘い」の連続だった。今なお、最大の課題となっている。 水は、核燃料を冷やして再臨界を防ぐと同時に、放射性物質を閉じ込める作用もある。1~3号機では全電源喪失から冷却水の供給が止まり、原子炉内が「空だき」になった。燃料棒と炉水の化学反応で水素が発生、水素爆発が起き、原子炉建屋が壊れた。 事故当初は、核燃料を冷やすため、あらゆる手段で原子炉や使用済み核燃料プールに水が注ぎ込まれた。自衛隊ヘリ、消防の放水車、コンクリートポンプ車などがかき集められ、海水を注入し続けた。一方でこの水は放射性汚染水となって、格納容器の損傷部分、配管などから漏れ出した。 3月末、1~3号機の原子炉建屋から海につながるトンネル状の穴で、放射性汚染水が見つかった。原子炉内の水の約4万倍という高濃度。応急処置により流出は止めたが、原子炉への注水を続ける限り汚染水は増え続け、あふれることが確実になった。「(高濃度汚染水に対応する)知識を持ち合わせていない」。内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長がこう漏らすなど、想定外の事態へのもろさが露呈した。 判明しているだけで、海への流出は2回。経済産業省原子力安全・保安院によると、1度目は4月1~6日に2号機から520立方メートル、2度目は5月10~11日に3号機から250立方メートル。流出を防ぐため、敷地内のタンクを総動員して汚染水を移動させる「玉突き」作業に追われた。環境への影響が比較的少ない低濃度の汚染水約1万立方メートルを海に放出、事故と関係ない建物もタンクとして代用したほか、1万立方メートル収容できる人工浮き島「メガフロート」を買い取り、原発まで運んだ。 一方、4月に東電が発表した事故収束のための工程表には、格納容器を水で満たして炉心を冷やす「冠水(水棺)」計画が盛り込まれた。冷却の切り札と頼んだこの手法も、予定水位になかなか達せず、5月の解析で格納容器に穴が開いていることが判明。計画は中止に追い込まれた。汚染水はさらに増え、8月末時点で、1~4号機の原子炉建屋・タービン建屋内に約9万立方メートル、その他も含めると約11万3000立方メートル(ドラム缶換算で約57万本)に上る。 代替手段として、汚染水から放射性物質を取り除き、原子炉の冷却に再利用する「循環注水冷却」の構築が新たな目標となった。この手法は冷却しながら汚染水をこれ以上増やさない利点がある。 循環注水冷却のための汚染水浄化システムは、米キュリオン社、仏アレバ社など複数の装置を組み合わせたもので、6月に本格稼働した。東芝などによる除染装置「サリー」を追加するなど処理能力向上を図るが、装置の一時停止や、総延長4キロに及ぶホースからの水漏れなど小さなトラブルは8月中旬までに32件発生。システムの安定運転は、原発から20~30キロ圏内の「緊急時避難準備区域」の解除要件にもなっているが、予断を許さない状態が続く。 榎田洋一名古屋大教授(原子力化学工学)は「事故後の汚染水に対する備えや想像力が貧困だったことを反省しなければならない。除染システムの稼働率の見込みの甘さは、原子力技術全体への信頼感を失わせてしまった」と指摘する。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 毎日新聞 2011年9月9日 |
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福島第1原発:京都大原子炉実験所・小出裕章助教に聞く 3基の原子炉が同時にメルトダウン(炉心溶融)するという未曽有の事態に陥った東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)。世界最悪「レベル7」の事故は、半年を経ても放射性物質の放出が止まらず、現場では被ばくの危険と隣り合わせの作業が続く。 原発に批判的な立場から福島第1原発事故を見続けてきた京都大原子炉実験所の小出裕章助教(62)に、今後予想される展開や課題を聞いた。 ◇遮水壁、一刻も早く --福島第1原発事故から半年が経過するが、感想は? 小出 事故が起きた時、私は「勝負は1週間で決まるのではないか」と考えていた。つまり、放射性物質を封じ込めることができるか、日本が破局に陥るかは1週間で決まると思っていた。しかし1週間たっても1カ月たっても、半年たってもどちらに転ぶか分からない不安定な状況が続いている。こうした事故の進展になるとは、だれも予測できなかったのではないか。 --今後予測されるリスクや懸念材料は? 小出 事故は現在進行中で、大量の放射性物質が外に出た。ただ、大量の放射性物質が、原子炉と使用済み核燃料プールの中にまだ残っている。今後もっと大量の放射性物質が環境に出る可能性があると考えている。 --具体的には? 小出 東電は5月、1号機については水位計を調整した結果「すでに炉心の中には水はない」と言い出し、メルトダウン(炉心溶融)を認めた。炉心に水がなければメルトダウンは避けられないし、圧力容器の底も抜け、溶けた燃料の溶融体が格納容器を損傷する可能性もある。その場合、溶融体が原子炉建屋の床を突き破って地面に潜り込んでいる事態もありうる。海洋や地下水に放射性物質が拡散しているかもしれない。溶融体が地下水に接触しないよう「地下ダム(遮水壁)」の建設を進めるべきだ。東電の試算によると1000億円レベルの費用がかかるため、株主総会前には建設を表明できないとして、発表を一時取りやめた経緯があった。本来は一刻も早く着手すべきだった。 2、3号機については「炉心の半分まで水位がある」という情報もある。ただし水位計が壊れている可能性もある。もしそうなら2、3号機もメルトダウンし、燃料が地下に潜り込んでいる可能性もある。正確な情報がなく、実際のところは分からないため、いろんな可能性を考えなければいけない。 もし炉心に水があって完全に溶融していない場合、冷却に失敗すれば2、3号機で水蒸気爆発が起きる可能性がある。もし水蒸気爆発が起きれば、圧力容器は破壊され、外側の薄っぺらい格納容器も破壊される。放射性物質の放出を防ぐ壁は完全に失われる可能性がある。 --汚染水をリサイクルする「循環注水冷却」が何とか稼働したが、どうみているか? 小出 政府や東電は「循環注水冷却」の稼働を喧伝(けんでん)しているが、そんなことは「瑣末(さまつ)なもののさらに瑣末なもの」だ。1号機のように燃料が格納容器の底に沈み込んでいるなら、水を注入しても同じではないか。東電のデータが正しいなら、1号機に関する限り、水を入れることはあまり意味がない。むしろ遮水壁を作る方に力点を移すべきだ。2、3号機についてはまだ燃料が溶け落ちていないことも考えられるので、水を送り続けなければならない。それよりも、放射性汚染水が11万立方メートルもたまっている現状を重視すべきだ。 4月に2号機の取水口付近のコンクリートの穴から汚染水が海に漏れているのが見つかった。あの場所だけから漏れていることはあり得ない。原発施設はコンクリートで覆われており、地震や津波でいたる所が割れていると考えられる。壊れないコンクリートなどあり得ない。2号機取水口の漏れは、たまたま見える場所にあったから見つかっただけで、氷山の一角だ。地下などでは亀裂からどんどん地下水へ漏れている可能性がある。「あと何センチであふれる」という視点ではなく、「今の漏れを何とかしなければいけない」という議論をすべきだ。 冷却方法を循環式にしたところで、放射性物質が消えてなくなるわけではない。鉱物「ゼオライト」は放射性セシウムを吸着するが、セシウムを吸い込んだゼオライトの塊が残る。 --東電は工程表で、1月までの「冷温停止」を目指しているが。 小出 「冷温停止」という言葉は専門用語だが、「圧力容器の中の健全な核燃料を100度未満にする」という意味だ。でも、今は炉心が溶け、圧力容器の底が抜けていると東電自身が言っている。それなら「冷温停止」も何もないのではないか。工程表が発表された4月、東電は「炉心は(健全な状態に)ある」と言っていた。そんな前提が崩れてしまっている以上、「冷温停止を目指す」目標にどんな意味があるのか教えてほしい。 --菅直人前首相は、事故にかかわる「中間貯蔵施設」を福島に造りたいと言った。 小出 今後、がれきや汚染水処理で生じる汚泥など、大量の放射性物質の保管が課題になる。世界中に飛んで行った放射性物質は、そもそも福島第1原発の原子炉の中にあったものであり、東電の所有物だ。それが東電の失敗で外部に出たのだから、東電に返還するのが筋だ。事故で出た廃棄物は(東京の)東電本店に持って行くべきだ。原発を地方に押しつけてきた東京の人たちはぜひ受け入れてほしいと思う。 それでは土地が足りないので、福島第1原発敷地の中へ運ぶべきだ。本当に言いたくもないが、福島第1原発周辺で人が帰れない場所を「核の墓場」にせざるを得ないだろう。ただし、一般の原発から出た使用済み核燃料の「中間処理施設」にすべきではない。どさくさに紛れて保管を福島に押しつけることは絶対にあってはならない。 --経済産業省原子力安全・保安院が環境省の外局に設置される「原子力安全庁(仮称)」として再出発することをどう見ている? 小出 経産省であろうが環境省であろうが、「原子力の推進」が国策なら立場は同じ。原子力推進の国策の中で、原子力の安全を確保できるわけがない。なぜなら、原子力は危険なものだからだ。 私は毎日毎日事故が起きると言っているわけではない。しかし原発は時として事故が起きてしまうものだということを理解しなければならない。原子力を推進しながら、安全を担保できるかのように言うことは間違いだ。つまり、原子力をやめる以外に安全の道はないというのが私の主張だ。あり得ないが、もし私に「原子力安全庁長官になってほしい」と要請してきてもお断りする(笑い)。どんなに願っても「安全な原発」はあり得ない。 --菅直人前首相が、中部電力浜岡原発の停止を決めたことの評価は? 小出 停止自体は評価できるが、防潮堤などの地震対策が完成すれば運転再開してもいい、という含みを残したまま今に至っている。中電が本当に運転を再開したければ、再開できる余地が残っている。 --緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の結果公表が遅れるなど、事故に関する国や東電の情報公開について。 小出 少しでも危険だと受け取られる情報は隠すべし、というのが国の姿勢。国が恐れているのはパニックであり、住民の安全は二の次だということが今回の事故ではっきりした。国など組織の前で個人が無力になるのは、第二次世界大戦中もそうだった。今は本当に「戦争」のような事態だ。 --原発内の情報も、東電を通じてしか出てこない。 小出 今も人々を被ばくさせ続けている当事者が、情報でも何でも一元管理しているのはあり得ない話だ。国も東電もふんぞり返って「データをやるぞ」という態度。とんでもない話だ。 --政府は国際評価尺度(INES)のレベルを事故当初、過小評価した。 小出 日本原子力学会に所属する研究者は山ほどいるが、事故がとんでもない状況になっているにもかかわらず「レベル4」と言い張る研究者もいた。原子力を推進した自分の責任を逃れたいと思い、事故ができるだけ小さくあってほしいと思いながら発言した結果だ。日本原子力学会は「個人の責任を問うべきではない」との声明を出しているが、自分が間違ったと思うなら公表するぐらいの気構えが必要だ。また、福島第1原発を誰が認可したのか。当時の原子力委員会、原子力安全委員会、そして経産省のたくさんのワーキンググループに入った専門家が責任をとることは当たり前だ。 --政府の事故調査・検証委員会(事故調)にはどんな事実関係を明らかにしてほしいか。 小出 一つ一つのデータをきちんと公表する。さらに、そのデータを東電が自分たちに都合のいいようにシミュレーションしている可能性があるので、シミュレーションのやり直しをさせるべきだ。もしそれが実現できれば、おそらく福島第1原発は津波ではなく、地震で壊れたことが明らかになるのではないかと思う。事故調は「個人の責任を追求しない」と表明しているが、事実関係を明らかにするだけでなく、責任を明確にすべきだ。 --廃炉はどう進めるべきか? 小出 メルトダウンした燃料をどうやったら回収できるのか、私には想像すらできない。米スリーマイル島原発事故(79年)では、燃料が圧力容器にとどまっていたため何とか回収できた。これだけでもずいぶん大変だった。しかし、福島の場合は核燃料が地面にまで潜り込んでいる可能性があり、回収には10年、20年単位の時間が必要だろう。私たちは人類史上、遭遇したことがない事態を迎えている。 こいで・ひろあき 東京都生まれ。74年、東北大大学院工学研究科修士課程修了。工学部原子核工学科在籍中の70年、東北電力女川原発の反対運動に参加したのを機に、反原発の研究者になることを決意。74年から現職。専門は放射線計測、原子力安全。 毎日新聞 2011年9月9日 |
特集ワイド:なぜここに? 何もたらした? 福島第1原発1号機 社会学者・開沼博さん ◇地域開発と試行錯誤の歴史 東日本大震災で放射能漏れ事故を起こした福島第1原発1号機は、日本で最も早く運転を開始した原発の一つだ。なぜこの地に建設され、地域に何をもたらしたのか。設計から携わった元東電副社長と、事故前からこの原発の歴史を研究していた若手社会学者に聞いた。【宍戸護】 ◇危険性わからぬまま、いち早く誘致に手を挙げた--社会学者・開沼博さん ◇初期はトラブル多く、実際には商業用と呼べるものではなかった--草創期を知る元東電副社長・豊田正敏さん セミが鳴く東大・赤門に、東大大学院生の開沼博さん(27)は自転車に乗って現れた。福島原発の歴史を通して戦後成長を論じる著書「『フクシマ』論」を6月に出版し、脚光を浴びる社会学者だ。 「福島第1原発は日本で最も古い原子炉の一つで、首都・東京に電力を送っている。原発はさまざまな矛盾を抱えた仕組みなのに、なぜ、かくも変わらないのか……。そんな思いで福島原発の歴史を調べ始めたのです」 福島県いわき市生まれ。実家は原発から約43キロの距離にあるものの、地元にいたときには、原発を意識したことはほとんどない。著書のために06年から原発周辺でインタビューを重ねた約50人の地元住民らさえ「発電所と大きな鉄塔、太い電線は日常風景。毎日意識することはない」と話していたという。 「『フクシマ』論」では、福島第1原発を抱える双葉郡の土地柄を「平坦(へいたん)地が少ないため農業は難しく、海岸線は絶壁で利用しにくい土地だった」と指摘したうえで、戦中戦後の経緯をこう記す。 <三八年、軍部は現在の福島第一原発の土地の一部である、台地三〇〇ヘクタールを強制買収する。それは熊谷飛行隊の分校を開設し、陸軍の練習飛行場とする目的だった。(略)敗戦後、数年間放置された荒地は堤康次郎率いる国土計画興業と地元住民へ払い下げされた。堤はここで大規模な塩田を営むようになる> 西武グループ創始者にして戦後、衆院議長も務めた堤氏が始めた塩田も、海水から直接塩を取る技術が発達し、数年で廃れた。他に産業がないこの地域の開発を目指し、当時の佐藤善一郎知事のもと、木村守江参院議員(後に知事)が57年ごろ、福島県出身の木川田一隆・東電副社長(後に会長)に原発誘致の相談を始めた。 <他に競合する自治体がいないようななかで原子力誘致に手をあげた>と開沼さんは書く。「けれど当時は、そもそも原発の危険性や、存在としていかなるものなのか、よく分かっていなかった」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 毎日新聞 2011年9月8日東京夕刊 |
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