みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

『たとへば君 四十年の恋歌』河野裕子・永田和宏共著/『紅梅』津村節子著。

2011-09-24 22:09:26 | ほん/新聞/ニュース
数日でかけていて、帰ってきたばかりです。

昨日は秋分の日、「お彼岸」とも言います。

「彼岸(ひがん)」とは、「仏教で向こう岸に渡るという意味。迷いのこの世(此岸(しがん)から、
川の向こうの悟りの世界に渡るために教えを守り、行いを慎むのが本来の彼岸の意味」だそうです。
わたしは無宗教なので、彼岸(ひがん)も(此岸(しがん)もありませんが、
大切なひとをうしなう、という意味を考える日でもありました。

最近読んだ本で、つれあいを失った人が、相手のことをつづった本があります。

   
   『たとへば君 四十年の恋歌』河野裕子・永田和宏共著

歌人の河野裕子さんと永田和宏さん夫婦の共著『たとへば君 四十年の恋歌』は、
乳がんで亡くなった河野さんと永田さんのエッセイと短歌で構成されています。

「相聞歌」
死の直前まで歌を詠みつづけた河野裕子さんの歌を、
ともに歌人の永田さんと子どもたちが口述筆記したそうです。
河野さん亡き後、永田さんが作った、心に残る一首があります。

 わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ 

(『たとへば君』P283)

かけがえのないひとの記憶はそのひとの心のなかに残る、のですね。


 短歌月評:巨大な「課題」=大辻隆弘 

昨年逝去した河野裕子に関する書物が多く出版されている。
 出版社名は省略するが、『河野裕子読本』『京都うた紀行』『家族の歌』『たったこれだけの家族』『たとへば君』、そして彼女の遺歌集『蝉声(せんせい)』、枚挙にいとまがない。テレビで放映された「この世の息」も多くの視聴者を得たという。
 主婦として母として、体当たりで生き、家族を愛し抜いた彼女のひたむきな生きざまが、今、多くの人に感動を与えている。震災によって人と人との絆の大切さを再認識した私たちにとって、河野の著作は深い共感を与えるものなのだろう。これらの著作によって、彼女の短歌に触れる人々が増えるのは、まことに喜ばしい。
 ただ、彼女は家族愛だけに生きた一女性ではない。河野裕子は、戦後に生まれた歌人のトップランナーであり、短歌史に大きな足跡を残した歌人だった。その巨大な歌人の全貌はまだ私たちには見えていない。
 「塔」の八月号が出た。「河野裕子追悼号」である。
 四百頁(ページ)以上にわたるこの大冊は、河野裕子という歌人の全貌を客観的に捉えようとする明確な意志に貫かれている。
 松村正直による初期作品の発掘や、学生時代の友人や教え子たちの証言、身体感覚や文体について詳細に研究した作家論、厳しい目で河野の作品歴を検証した座談会……。ここには結社指導者の追悼号にありがちなヨイショはない。あるのは、河野を歌人として客観的に位置づけようとするフェアな意志である。
 河野裕子は一過性の「話題」ではない。短歌史のなかでその本質の解明が待たれる巨大な「課題」である。この追悼号は、その課題を果たすための必須の一冊になるに違いない。(おおつじ・たかひろ=歌人)
毎日新聞 2011年8月28日 東京朝刊


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もう一冊は、津村節子さんの最新刊『紅梅』。

   
   『紅梅』津村節子著


津村さんは、つれあいである吉村昭さんの、がんの発病から死までを、
本のなかで、克明につづっています。
淡々としたことばのなかに、思いの深さを感じました。

  しあわせのトンボ:空を見上げて=近藤勝重

 豪雨禍をもたらした台風12号が去ってほんの数日、秋の気配がちらりとした。東京湾の上空には、さざ波のようにいわし雲が散り広がる日もあった。
 どういうわけか、いわし雲には郷愁を誘われる。その時は、革のグラブがほしいなあと思いながら川の土手に寝転んで、やはり雲を見ていた少年時代のことが思い出された。グラブは後日、中学校の先生をしていた長兄が野球部で使い古されたものを持って帰ってくれ、その夜、そのグラブを手にはめて寝たのを覚えている。
 今夏はまた、格別の思いで空を眺めたことがある。お盆休みのころ、がん告知も覚悟して大阪の病院で大腸の精密検査を受けた。胃がんの手術を受けているせいで、癒着があるらしく、内視鏡(ファイバースコープ)がくねくね動くつど、うめき声を上げた。しかし院長の「大丈夫そうやな」という声が聞こえた途端、痛みも吹っ飛び、結局、小さなポリープを三つ切除しただけですんだ。
 病院を出ると、ああと声を出し、思わず空を見上げた。太陽がギラつく炎天ながら、どうあれ空はありがたい。「幸せだなあ」とか、「この日、この空、この私」とか、こういう時によくつぶやく言葉と一緒に、天空の人となった2人の作家を思い浮かべていた。吉村昭、城山三郎両氏である。
 吉村氏が青空を眺めては「幸せだなあ」と言い、それを城山氏が「幸せ教だね」とからかっていたという話は、妻として、作家として吉村氏の最期を見つめた津村節子さんの近著「紅梅」にも出てくる。夫人はそういう言葉を交わす両氏の対談の内容を紹介したあと、こう続けている。
 <夫は対談のように、毎朝幸せだなあ、と言っていた。どこも痛くなくて幸せだなあ、と。
 舌癌(ぜつがん)の告知を受けるまでは……>
 がん告知と言えば、城山氏は一度下されたがん宣告が誤診だったという体験の持ち主だ。その体験をして以降の氏の思いは「この日、この空、この私」というエッセー集に書かれている。<それ以降、何でもない一日もまた、というより、その一日こそかけがえのない人生の一日であり、その一日以外に人生は無い--と、強く思うようになった>
 この先も、空に向かって「幸せだなあ」と声をもらし、「この日、この空、この私」で日々生きていきたいものである。(専門編集委員)
毎日新聞 2011年9月16日



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