2011年もあと数日となった一昨日、3月11日に起きた福島第1原発事故の
調査・検証委員会の中間報告が出た。
年の背のあわただしい時期に重大発表をするのは、
なんか都合の悪いことを隠したいときに、よく使う手で既視感がある。
それとも、原発事故については今年のうちに終わらせておきたい、
または、野田首相の事故終息宣言に合わせたのだろうか。
中間報告は500ページにも及ぶかなり厳しい内容、とのことだけど、
うがった見方をすれば、マスコミは年が変われば、紙面も新年企画に変わるので、
年末の発表なら、追及を振り切ることもできる。
毎日新聞と中日新聞に載っていた要約を読む限り、
一つずつの検証や原因究明、責任がどこにあるのかがあいまいで、まだまだ甘い。
とはいえ、読んでいて胸がわるくなり、さらに読みすすめるうちに、涙が出てきた。
こんなことは原発事故が起きた時に、きっとそうなるだろうと予想できたこと。
じっさい、わたしは事故直後に「メルトダウン」と書いて、
事故を過小評価し原発を擁護する人から「大げさに言うな」と非難を受けている。
昨日の新聞各社は、社説で「事故は人災」と断じているけれど、
取り返しがつかない被害は、解決されないまま、いまこの瞬間もつづいている。
年が変わっても、今日も明日も、来年も再来年も、
この先何十年も続いていくのだろう、と思うと、胸ふさがる思いです。
社説:福島原発事故調 住民を守る態勢の貧弱さ(2011年12月28日 西日本新聞)
【社説】原発事故報告 設計欠陥に迫る姿勢で(2011年12月28日 中日新聞)
原発事故報告―危機を想定せぬ愚かさ(2011年12月27日 朝日新聞)
社説:原発事故調 最終に向け踏み込め(2011年12月27日 毎日新聞)
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東京電力福島原子力発電所における「事故調査・検証委員会 」中間報告
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調査・検証委員会の中間報告が出た。
年の背のあわただしい時期に重大発表をするのは、
なんか都合の悪いことを隠したいときに、よく使う手で既視感がある。
それとも、原発事故については今年のうちに終わらせておきたい、
または、野田首相の事故終息宣言に合わせたのだろうか。
中間報告は500ページにも及ぶかなり厳しい内容、とのことだけど、
うがった見方をすれば、マスコミは年が変われば、紙面も新年企画に変わるので、
年末の発表なら、追及を振り切ることもできる。
毎日新聞と中日新聞に載っていた要約を読む限り、
一つずつの検証や原因究明、責任がどこにあるのかがあいまいで、まだまだ甘い。
とはいえ、読んでいて胸がわるくなり、さらに読みすすめるうちに、涙が出てきた。
こんなことは原発事故が起きた時に、きっとそうなるだろうと予想できたこと。
じっさい、わたしは事故直後に「メルトダウン」と書いて、
事故を過小評価し原発を擁護する人から「大げさに言うな」と非難を受けている。
昨日の新聞各社は、社説で「事故は人災」と断じているけれど、
取り返しがつかない被害は、解決されないまま、いまこの瞬間もつづいている。
年が変わっても、今日も明日も、来年も再来年も、
この先何十年も続いていくのだろう、と思うと、胸ふさがる思いです。
社説:東日本大震災 原発事故中間報告/東電と国による「人災」暴く 過酷事故への備えや、当然講じるべき対策をことごとく怠っていた。発生後の対応もお粗末の一語に尽きる。東京電力と規制機関である経済産業省原子力安全・保安院とのなれ合いも、事故の一因となった。 福島第1原発事故をめぐる政府の調査・検証委員会の中間報告。安全神話を過信し、あぐらをかいてきたことのつけが、いかに大きかったかを指弾する内容と言える。 事故後、「想定外の事象が起きた」との発言が繰り返されたことについては、たとえ発生確率が低くても「あり得ることは起こり得る」と考えるべきだったと厳しく批判した。 決して事故を起こしてはならない原発を手掛ける関係者の災害、事故への心構え、対策があまりに不適切だったことに、驚きを禁じ得ない。ここまで不手際が重ならなければ、被害拡大を防げたのではないか。 最終報告は来年夏で、今回は判断を先送りした事項もある。当時の閣僚の聴取を含め、どこまで真相を明らかにできるか。慎重に見極めていきたい。 中間報告の要点の一つは、事故を未然に防止する機会はなかったかだ。東電が、政府の地震調査推進本部の見解に基づく2008年の試算で、最大15.7メートルの津波が起こるとの結果を得ていたことが重視された。 この時、東電の担当者は防潮堤を造れば数百億円の費用と約4年の時間が必要だと指摘。幹部らは「そんな津波は実際には来ない」と断言したという。 貞観津波の研究でも9.2メートルの津波が起こると評価され、09年に東電が保安院に説明。しかし、保安院側は対策工事を求めず、上司にも報告しなかった。 08年の試算については、保安院が大震災直前のことし3月7日になって把握。「早く津波対策を検討し、報告書を出してほしい」と述べたものの、対策工事を求めることはなかった。 東電は安全性の確保を第一に考えるべきなのに、経済性にこだわるあまり、津波による過酷事故への備えを放棄した。そう非難されても仕方あるまい。対策を指示すべき保安院も、自らの役割を全く果たさなかった。 両者のなれ合い、原発を推進する経産省に規制機関の保安院があることの弊害が、最悪の事態を招いたのは間違いない。 事故後、官邸と関係省庁、東電との情報共有が不十分だったことや、原子炉冷却作業で不手際が続いたことも指摘された。 第1原発1号機では、原子炉冷却の最後の手段である非常用復水器を作動した経験がある運転員が1人もおらず、作動状況を正しく認識できなかった。 これが1号機への海水注入を遅らせ、蒸気を放出して圧力を下げるベントに時間がかかった原因とされる。停止した装置が稼働していると誤認したことが燃料溶融を早めたことも分かった。あぜんとするばかりだ。 十分起こり得る複合災害を「想定外」に追いやり、対策を怠ったことが招いた事故。「人災」だったことは誰の目にも明らかだ。これでは原発維持を肯定することなど到底、できない。 2011年12月28日水曜日 河北新報 |
社説:福島原発事故調 住民を守る態勢の貧弱さ(2011年12月28日 西日本新聞)
【社説】原発事故報告 設計欠陥に迫る姿勢で(2011年12月28日 中日新聞)
原発事故報告―危機を想定せぬ愚かさ(2011年12月27日 朝日新聞)
社説:原発事故調 最終に向け踏み込め(2011年12月27日 毎日新聞)
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東京電力福島原子力発電所における「事故調査・検証委員会 」中間報告
福島第1原発:東電ミス連鎖で深刻化 事故調中間報告書 東京電力福島第1原発事故の原因などを調べてきた政府の「事故調査・検証委員会」(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)は26日、中間報告書をまとめた。炉心溶融を防ぐための冷却装置への東電の対応に問題があったと認定し、「極めて遺憾」と指摘。政府の対策本部が機能不全に陥っていたことにも言及した。深刻な被害にいたった背景として、自然災害と原発事故の複合災害という視点がなく、政府や東電の備えの欠如があったと分析した。 報告書は一連の事故で、(1)東電の対応(2)政府の対応(3)市民の被ばく防止(4)過酷事故(シビアアクシデント)対策--の4点で問題があったとしている。 東電の対応では、1号機の冷却装置「非常用復水器」(IC)の稼働状況で誤解があった上、3号機の冷却装置「高圧注水系」(HPCI)の操作で不手際があったと分析している。具体的には、ICは津波到達後に機能を失ったが、現場ではICの役割を十分把握していなかった上に、吉田昌郎所長(当時)や本店は稼働していると誤解。誤解に気づく機会は何度もあったが見逃された。 HPCIの操作では、運転員が吉田所長らの判断を仰がず、別の注水操作をしようとして稼働を停止した。その後、バッテリーがなくHPCIの再起動はできなかった。 検証委は1、3号機で「より早い段階で現状を認識し、別の方法で注水に着手していれば炉心損傷の進行を緩和し、放射性物質の放出量は減った可能性がある」と分析。ただし、最善の対応が実施できても1、3号機の水素爆発が防げたかは判断が難しいと評価した。 政府対策本部の問題では、原子力災害対策特別措置法に基づき、首相官邸の地下に官邸対策室が設置されたが、携帯電話が通じない上に菅直人首相(当時)らは官邸5階にいて、情報共有ができず円滑に対応できなかった点を挙げた。経済産業省原子力安全・保安院は、東電のテレビ会議システムの活用に気づかない上、職員を東電に派遣しないなど情報収集に消極的な姿勢を問題視している。 このほか、放射性物質の拡散を分析し、被ばく防止に役立てる政府の「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)に言及。地震に伴うシステム損傷で本来の機能が発揮できなかったほか、暫定分析の公表も遅れたために、被災者の避難に混乱を招いたとしている。 シビアアクシデント対策では、巨大津波の来襲を予想できたにもかかわらず実施していなかったことから、東電など電力事業者による自主的な運用には限界があるとした。 一方、地震による重要機器の損傷は確認できないが、現場の調査が実施できていないとして最終判断は先送りした。 検証委は6月から調査を開始。原因解明に主眼を置き、責任は追及しない方針を打ち出し、今月半ばまでに関係者456人から延べ約900時間聴取した。時間的な制約で閣僚の聴取は終わっておらず菅前首相ら官邸中枢の具体的な関与などは来年夏の最終報告書に盛り込む。 中間報告書は本編507ページと資料編212ページで構成。検証委のウェブ(http://icanps.go.jp/)で公表し、来年1月末まで意見を募集する。【奥山智己、岡田英】 ◇IC(非常用復水器)とHPCI(高圧注水系) ICは古いタイプの原子炉に特有の緊急時用冷却装置で、福島第1原発では1号機にしかない。交流電源が失われた時に、炉内の核燃料を冷却するために使用する。HPCIは、非常時に原子炉内に注水するために備えられた緊急炉心冷却装置(ECCS)の一つで、原子炉内の水位が異常に下がった場合に働く。停電時でもバッテリーで使用できるのが利点。 毎日新聞 2011年12月26日 |
【福島原発事故調 中間報告】 2011年12月27日 東京新聞 政府の福島第一原発事故調査・検証委員会中間報告の詳報は次の通り。 <第1章>はじめに 当委員会は、事故の原因と被害の原因を究明する調査・検証を行い、被害拡大防止と事故再発防止に関する政策提言を行うことを目的として、五月二十四日の閣議決定で設置された。来年夏に最終報告を取りまとめる。 <第2章>事故の概要 三月十一日午後二時四十六分、マグニチュード(M)9・0の地震が発生し、津波の第一波は十一日午後三時二十七分、東京電力福島第一原発に到達した。主要建屋エリアはほぼ全域が浸水。浸水高は一一・五メートル~一五・五メートル。運転中の1~3号機は自動スクラム(緊急停止)が達成されたとみられるが、地震と津波でほぼ全ての交流電源が失われ、原子炉や使用済み燃料プールが冷却不能に陥った。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略) ------------------------------------------------------------------------------------------------- 【福島原発事故調 中間報告】 <第5章>発電所外の事故対応 2011年12月27日 東京新聞 ▽SPEEDI 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は外部電源喪失でデータ伝送ができず、放射性物質の拡散予測ができなかった。管理する原子力安全技術センターが単位量放出を仮定して予測したが、文科省、原子力安全委は活用しなかった。しかし拡散方向や相対的分布量を予測でき、少なくとも避難方向の判断に有効だった。各機関はさまざまな仮定で計算したが、結果はしばらく公表せず避難に活用されなかった。 ▽住民避難 避難指示は現地対策本部長が市町村に伝えることになっていたが、電話がつながるまで時間を要し、自治体が認知したのはほとんど、テレビなどの報道によってだった。避難用バスの割り振りはスムーズにいかず、道路損壊や渋滞で必要な自治体に行き渡らなかった。 ▽東電の放射線管理 東電は当初、社内規定による管理区域を指定し直さなかった。五月十日ごろまで、放射線業務従事者に三十分程度の簡易な説明や指導を受けさせただけで作業をさせた。放射線管理手帳を持たずに作業する者も生じた。 東電は警報付きポケット線量計約五千個を配備していたが、大部分は津波で使用できなくなった。三月十二~十三日に柏崎刈羽原発から五百個が届いたが、担当者間の連絡が不十分で四月一日まで保管されたままだった。 ▽住民の被ばく 福島県は三月十一日夜からスクリーニングの実施を決め、翌日開始。人手が足りず国や大学などの支援を得た。県内の初期被ばく医療機関のうち三病院は第一原発から半径十キロ圏内。避難区域に含まれ、機能しなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <第7章>問題点の考察と提言 ▽事故後の政府対応 現地対策本部の設置場所のオフサイトセンターが、放射性物質による汚染に十分配慮しておらず、使用不能に陥った。大規模災害でも機能を維持できるよう速やかに整備を図る必要がある。 事故対応の意思決定が行われたのは主に官邸五階で、五階と地下の参集チームのコミュニケーションが不十分だった。情報の入手ルートが確立されておらず国民への情報提供にも課題が残った。 ▽原発の事故後の対応 1号機のICの機能の認識や操作の習熟が不足しており、対処遅延の連鎖を招いた。3号機ではHPCIを手動停止した後、代替注水の操作に失敗、事後報告が遅れ、注水が途切れたことは極めて遺憾。代替注水の緊急性の認識が欠如していた。適切に対処していれば炉心損傷の進行を緩和、放射性物質の放出を少なくできた可能性がある。 ▽被害拡大の防止対策 避難の判断材料となるモニタリング装置の多くが津波や停電で使用不能になった。SPEEDIが避難指示の意思決定に活用されず、指示は「ともかく逃げろ」というに等しく、きめ細かさに欠けた。汚染された水を、周辺諸国への事前説明をしないまま海洋放出したことは、わが国の対応に不信感を招いた。 ▽不適切だった津波・過酷事故対策 津波対策の基準を提示するのは保安院の役割だが、その努力がなされた形跡はなかった。 東電は対策を見直す契機はあったが、見直しはなされず事故を防げなかった。具体的対策を講じておくことが望まれた。 過酷事故対策が実施されたのは機械故障や人的ミスなどだけで、地震や津波など外的事象は対象にならなかった。民営である電力事業者が、発生確率が低い津波などへの対策に前向きでないのは、ある意味当然で、自主保安の限界を示す。 ▽安全規制組織 政府は新組織「原子力安全庁」(仮称)発足を目指している。安全規制機関として実を挙げるため、独立性と透明性の確保、緊急事態に対応する組織力、情報提供の役割の自覚、人材確保と専門能力の向上に留意するよう要望する。 ▽まとめ 問題の多くは(1)津波による過酷事故対策の欠如(2)複合災害という視点の欠如(3)全体像を見る視点の欠如-が影響している。いったん事故が起きると重大な被害を生じる恐れのある巨大システムの災害対策は、考え方の枠組み(パラダイム)の転換が求められている。 事故後、関係者から「想定外の事象が起こった」との発言が相次いだが、どんなに発生確率が低い事象であっても「あり得ることは起こり得る」と考えるべきである。(人物の肩書は断りのない限り今年三月時点の肩書) |
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