昨日夜10時からのETV特集は、「花を奉る 石牟礼道子の世界」。
石牟礼道子さんの本は、『苦海浄土』を若いころに読んでから、
ほとんど読んでいます。
文字だけでなく、独特の語り口に引き込まれ、見入ってしまいました。
水俣病の被害は、何十年たっても、今なお、終わっていないのです。
一夜明けて、きょう、福岡高裁で水俣病溝口訴訟の原告の逆転勝訴の判決が言い渡されました。
判決は、国の認定基準を否定し、原告を水俣病患者と認定するよう義務付けるもの。
応援クリック してね
本文中の写真をクリックすると拡大します。
夕方届いた夕刊のテレビ欄下の「特集ワイド」には、
水俣と原発の問題にずっとかかわってきた
アイリーン・美緒子・スミスのインタビューが大きく載っていました。
別表の「水俣と福島に共通する10の手口」は、長良川河口堰問題やゴルフ場問題、産廃問題とも共通する「手口」です。
最後まで読んでくださってありがとう
人気ブログランキングへ クリックを
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
石牟礼道子さんの本は、『苦海浄土』を若いころに読んでから、
ほとんど読んでいます。
文字だけでなく、独特の語り口に引き込まれ、見入ってしまいました。
水俣病の被害は、何十年たっても、今なお、終わっていないのです。
ETV特集 花を奉る 石牟礼道子の世界 2012年2月26日(日) 夜10時 水俣病問題の本質を問い続ける作家がいる。石牟礼道子さん、84歳。半世紀に渡って、文明の病としての水俣病を、そして近代日本が捨て去ってきた、人と自然が共に生きていた豊かな世界を描き続けてきた。 水俣病は今、“最終解決”に向かっているように見える。2009年、水俣病の特別措置法が成立、国は10年5月から“未認定”被害者の救済受付を始め、これまでに約5万人が申請している。しかし一方で、大阪地裁は10年7月、国の認定基準を否定する判決を下した。これまで2万4千人以上が認定を申請、認定された人は1割にも満たない。改めて水俣病とは何かが問われ、公式確認から半世紀以上たっていっそう混迷の度を深めている。 石牟礼さんは、熊本県天草に生まれ、水俣で育った。昭和44年、主婦の傍ら水俣病患者の悲しみと怒りを書きつづった『苦海浄土』を出版、水俣病を鎮魂の文学として描いた作品として絶賛された。現在は、熊本市に住み、パーキンソン病の症状に悩まされながらも、執筆活動を続けている。石牟礼さんは、作家やジャーナリストとしてではなく、水俣で暮らす者の視点から自分にとっての水俣を、ひとひらひとひら“花を奉(まつ)る”がごとく書き続ける。今、水俣病問題が一時金などの支給ですべて解決されようとしている現状に対しては、疑問を感じている。水俣病の解決とは何か。患者さん達の魂が救済されない限り、水俣病が終わることはない・・・。 石牟礼さんのインタビューと、交流のある患者さん達の現状、そして作品の朗読を交えながら石牟礼さんの人生をたどる。さらに、近代とは何かを問い続けてきた石牟礼さんに、1年前に起きた東日本大震災はどのように映ったのか、水俣病が問いかけるものを見つめる。 |
一夜明けて、きょう、福岡高裁で水俣病溝口訴訟の原告の逆転勝訴の判決が言い渡されました。
判決は、国の認定基準を否定し、原告を水俣病患者と認定するよう義務付けるもの。
水俣病溝口訴訟:原告側が逆転勝訴 福岡高裁判決 母親(故人)の水俣病認定申請を熊本県が放置し21年後に棄却したのは違法として、次男で熊本県水俣市の農業、溝口秋生さん(80)が県を相手に、棄却処分の取り消しと県に水俣病認定義務付けを求めた「水俣病溝口訴訟」の控訴審判決が27日、福岡高裁であった。西謙二裁判長は、いずれの請求も退けた1審・熊本地裁判決を取り消し、溝口さんの請求を全面的に認めた。判決は10年の大阪地裁判決に続き、国の水俣病認定基準の妥当性を事実上否定した。 確定すれば現行の認定基準や、09年の水俣病被害者救済特別措置法に基づく被害者救済など国の水俣病対策は抜本的な見直しを迫られることになる。 原告側によると、水俣病認定を巡る行政訴訟で認定基準を否定する判決は高裁レベルで初めて。原告を水俣病患者と認定するよう義務付ける判決は10年の大阪地裁に続き2例目。 国の認定基準は感覚障害の他、運動失調や視野狭さくなど複数の症状の組み合わせを求めている。 西裁判長は「四肢末端の知覚鈍麻と口の周辺の感覚障害が認められる。地区住民の水俣病発病状況などからすればメチル水銀のばく露歴を有すると推認するのが相当。水俣病と認定することができた」と述べた。 判決によると、溝口さんの母は水俣市に1899年に生まれ、市内の水俣病多発地域の農家に嫁いだ。魚介類を多食し、体調を崩して74年に水俣病認定を申請したが、認定に必要な検診が完了しないまま77年に死亡した。 県は94年に生前のカルテなどを探す作業を始め、95年に判断資料がないとして申請を棄却した。 溝口さんは01年、棄却取り消しを求めて提訴。05年には県に対し認定を命じるよう求める「義務付け訴訟」を追加提訴した。 溝口さん側は生前の母の診断書に「四肢末端に知覚鈍麻を認める」との記述があることなどから「04年の水俣病関西訴訟最高裁判決に従えば水俣病」と主張。県側は「腎臓病による尿毒症が原因」と反論した。 1審・熊本地裁は08年、病状に関する客観的な資料が乏しいとして、溝口さん側の請求を退けていた。【岸達也】 毎日新聞 2012年2月27日 |
水俣病患者の認定を義務付け 遺族が逆転勝訴 国の厳格な認定基準によって水俣病の患者認定の申請を棄却されたのは違法だとして、熊本県水俣市の女性の遺族が県の棄却処分の取り消しと患者認定の義務付けを求めた訴訟の控訴審判決で福岡高裁は27日、「国の認定基準は十分とは言い難い。メチル水銀にさらされた状況などを考えれば女性は水俣病と認められる」として、遺族の請求を退けた一審熊本地裁判決を取り消し、患者として認定するよう県に命じた。患者認定を義務付ける判決は2010年の大阪地裁に続き2例目、高裁では初めて。 国の認定基準より幅広く救済せよとの司法判断は重い。国が水俣病20+ 件被害者救済法に基づいて未認定者に一時金を支給する救済の在り方にも影響が及び、認定基準の見直しを求める声も高まりそうだ。 国が1977(昭和52)年から採用する認定基準は、感覚障害や運動失調など複数の症状を組み合わせて判断する。西謙二裁判長は「現行基準だけで判断するのは不十分で、生活環境などを総合的に考慮する必要がある。個別的な事情を見ずに硬直的に基準を運用するのは適切ではない」と県を批判した。 訴えていたのは、故溝口チエさん=77年に77歳で死去=の次男秋生さん(80)=水俣市。チエさんは、水俣病20+ 件が相次いで発病した地区で生活し、メチル水銀で汚染された魚介類を日常的に食べていた。公的検診を受けられずに亡くなった。 西裁判長は、チエさんが水俣病20+ 件と認められるかについて「民間の医院で知覚障害やよだれが垂れるなどの症状があると診断された。手足や口に感覚障害があり、メチル水銀によるものと認められる」とし、チエさんの生活状況も考慮して水俣病と認定した。「水俣病と認めなかった県の処分は違法」と結論付けた。 遺族側は、県が申請から21年後に棄却処分としたことも違法だと主張した。これについて西裁判長は「県の処分自体が違法であり、判断するまでもない」とした。 水俣病をめぐって最高裁は2004年、国の認定基準よりも緩やかに賠償責任の基準を示したが、国は基準を見直さなかった。10年には、この訴訟で勝訴した女性について大阪地裁が申請の棄却処分を取り消して患者認定するよう県に命じた。 =2012/02/27 西日本新聞= |
応援クリック してね
本文中の写真をクリックすると拡大します。
夕方届いた夕刊のテレビ欄下の「特集ワイド」には、
水俣と原発の問題にずっとかかわってきた
アイリーン・美緒子・スミスのインタビューが大きく載っていました。
別表の「水俣と福島に共通する10の手口」は、長良川河口堰問題やゴルフ場問題、産廃問題とも共通する「手口」です。
特集ワイド:かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く ◇共通する「責任逃れ」「曖昧な情報流し」 繰り返してほしくない「被害者の対立」 「福島第1原発事故は水俣病と似ている」と語るのは、写真家ユージン・スミスさん(78年死去)と共に水俣病を世界に知らしめたアイリーン・美緒子・スミスさん(61)だ。今回の原発事故と「日本の公害の原点」との共通点とは何なのか。京都を拠点に約30年間、脱原発を訴えてきたアイリーンさんに聞いた。【小国綾子】 「不公平だと思うんです」。原発事故と水俣病との共通点について、アイリーンさんが最初に口にしたのは、国の無策ではなく「不公平」の3文字だった。 「水俣病は、日本を代表する化学企業・チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、水俣を使い捨てにすることで金もうけした公害でした。被害を水俣に押しつける一方、本社は潤った。福島もそう。東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福島に造り、電力は東京が享受する。得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じです」 都市のため地方に犠牲を強いている、というわけだ。 「『被害×人口』で考えれば被害量のトータルが大きいのは大都市で、少ないのは過疎地域かもしれない。でもこれ、一人一人の命の価値を否定していませんか。個人にとっては、被害を受けた事実だけで100%なのに……」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■ 大震災後、環境市民団体代表として何度も福島を訪れ、経済産業省前で脱原発を訴えるテント村にも泊まり込んだ。テーブルにA4サイズの紙2枚を並べ、アイリーンさんは切り出した。「水俣病と今回の福島の原発事故の共通点を書いてみました」。題名に<国・県・御用学者・企業の10の手口>=別表=とある。 「原発事故が誰の責任だったのかも明確にしない。避難指示の基準とする『年間20ミリシーベルト』だって誰が決めたかすらはっきりさせない。『それは文部科学省』『いや、原子力安全委だ』と縦割り行政の仕組みを利用し、責任逃れを繰り返す。被ばく量には『しきい値(安全値)』がないとされているのに『年間100ミリシーベルトでも大丈夫』などと曖昧な情報を意図的に流し、被害者を混乱させる。どれも水俣病で嫌というほど見てきた、国や御用学者らのやり口です」 福島県が行っている県民健康管理調査についても、「被ばく線量は大したことないという結論先にありきで、被害者に対する補償をできるだけ絞り込むための布石としか思えません」と批判する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「今、水俣の裁判闘争の先頭に立つのは50代の方々です。まだ幼い頃に水銀に汚染された魚を食べた世代です。だから、福島に行くたびに思う。小さな子どもたちに将来、『あなたたち大人は何をしていたの?』と問われた時、謝ることしかできない現実を招きたくないんです」 ■ 3時間にわたるインタビューの最後、腰を上げかけた記者を押しとどめ、アイリーンさんは「これだけは分かってほしい」と言葉を継いだ。 「水俣と福島にかかわっていて私自身、被害者と同じ世界にいると錯覚しそうになるけれど、でも違う。被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。分かっていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いです」 しばらく黙考した後、「それでも声を上げようと思います。福島に暮らす人、福島から逃げた人の両方が、水俣病との共通点を知り、互いに対立させられてしまった構図をあらためて見つめることで、少しでも癒やされたり救われたりしてほしいから」。かつて水俣を、今は福島も見つめる両目が強い光を放っていた。 ============== ■水俣と福島に共通する10の手口■ 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む 3、被害者同士を対立させる 4、データを取らない/証拠を残さない 5、ひたすら時間稼ぎをする 6、被害を過小評価するような調査をする 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む 9、海外に情報を発信しない 10、御用学者を呼び、国際会議を開く ============== ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を t.yukan@mainichi.co.jp ファクス03・3212・0279 毎日新聞 2012年2月27日 |
最後まで読んでくださってありがとう
人気ブログランキングへ クリックを
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね