政府の事故調査・検証委員会が最終報告書をまとめた。
先日は国会の事故調が報告書を出したばかり。
報告書で一区切りにしたいと思っているのかもしれないが、
報告書を出しても、事故は終わっていないし、原因も究明できているとは思えない。
なにより、原発事故の被害者が放置されている。
「ひと」を見捨てる政治に対する国民の怒りと失望感は広がっている。
けさの新聞各紙の社説も「政府原発事故調査報告』を取り上げ、
「原因究明は終わらない」「これで終わらせるな」「国会が率先して解明を」「「人災」の総括では済まない」などほとんど同じ論調。
「事故は人災」。
原因究明も再発防止策もないまま、大飯原発3号機に続いて、
また4号機が25日未明にフル稼働になる。
やりきれない思いだ。
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政府の原発事故調の報告要旨 (2012/7/23 日本経済新聞)
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先日は国会の事故調が報告書を出したばかり。
報告書で一区切りにしたいと思っているのかもしれないが、
報告書を出しても、事故は終わっていないし、原因も究明できているとは思えない。
なにより、原発事故の被害者が放置されている。
「ひと」を見捨てる政治に対する国民の怒りと失望感は広がっている。
けさの新聞各紙の社説も「政府原発事故調査報告』を取り上げ、
「原因究明は終わらない」「これで終わらせるな」「国会が率先して解明を」「「人災」の総括では済まない」などほとんど同じ論調。
「事故は人災」。
原因究明も再発防止策もないまま、大飯原発3号機に続いて、
また4号機が25日未明にフル稼働になる。
やりきれない思いだ。
【社説】原発事故報告 国会が率先して解明を 中日新聞 2012年07月24日 福島第一原発の政府事故調査・検証委員会が最終報告書をまとめた。地震による原発の損傷を否定するなど、先の国会事故調報告との違いが目立つ。国会の場で真相解明を開始すべきときだ。 なぜ原発がレベル7の過酷事故を起こしたのか。政府や東京電力の事故後対応の問題点は何か。今後の原発対策に生かす方策は何か…。事故調査委員会に課せられた任務は、それらの要求に応えるものでなければならないはずだ。 だが、今回の政府事故調の報告は、根本的な原因にも迫れず、責任の所在も不明確で、重要な点は「解明に至らなかった」と書かれている。調査の限界は見えていたとはいえ、“落第点”といえる。 国会、民間、東電と合わせて、四つの事故調の報告書が出たが、国会事故調との違いに注目したい。「1号機の地震による損傷の可能性は否定できない」と国会事故調は指摘したのに対し、政府事故調は「津波到達までに原子炉の閉じ込め機能を損なう損傷はなかったと考えるのが自然」とした。津波が原因だとする東電の報告に寄り添った形だ。 この点は政府事故調が新たに原子力安全基盤機構に解析を依頼し、その結果に基づいた。国会事故調も同機構の解析を引用しているが、同じ組織のデータで結論が異なるのは、一般の国民には理解されまい。非常用冷却装置を運転員がなぜ止めたかという、人間の行為まで見解が異なるのは、どちらかが誤っている証左だ。 政府事故調は一部を除き、匿名を前提に、かつ全面非公開で調査を行った。自由な証言を引き出すのに有効な手法と思ったのだろうが、「原子力村」を甘く考えすぎた。匿名と非公開に安住し、関係者はむしろ自分に都合のいい証言しかしなかったのではないか。 政府事故調は「人間の被害」という言葉を用い、その全容について、今後も国が率先して、総合的な調査をすることを「国家的責務」と記した。だが、福井県の大飯原発を再稼働させた政府が、その責務を果たし得ると考えること自体が楽観的すぎる。 むしろ国会の出番だ。国会事故調は国会が設けた組織なのに、その報告を精査しないのは、国会の怠慢である。政府事故調の報告とを照らし合わせ、新たな調査が不可欠だ。公の圧力のもとで、官僚や東電関係者、学者らに国会の場で証言させ、一段と真相解明に努力すべきだ。 |
社説:原発事故調―これで終わらせるな 2012年7月24日(火)付 朝日新聞 福島第一原発をめぐる政府の事故調査・検証委員会が最終報告をまとめた。民間、国会それぞれの事故調を含め、第三者による検証は一区切りとなる。 しかし、事故の発生と拡大の詳細な経過は、どこも解明できなかった。原因究明を続けることが不可欠だ。 それぞれの事故調を通じて、事故を招いた土壌や背景はずいぶんと明らかになった。 重大な事故は起きないという「安全神話」が形づくられた過程、行政の怠慢、東京電力ら事業者の当事者意識の欠如、有効な防災対策を講じ得なかった自治体の備えの甘さ――。 そうした構造的要因が、事故時の混乱につながった。原子力規制委員会を中心とする新たな体制は、教訓をきちんといかさなければならない。 問題は、「事故炉で何が起きたか」について、未解明な部分が多く残ったことだ。 巨大事故の究明を語るとき、お手本とされるのは、1986年に起きた米国のスペースシャトル・チャレンジャー事故の報告書である。 破片や写真を可能な限り集めて、想定される原因を一つずつつぶし、固体燃料ロケットの部品不良を割り出した。千分の1秒単位で何が起き、爆発にいたったかを解明している。 もちろん今回の事故は、状況に違いがある。とくに事故炉の内部は、強い放射能のために直接調べることは困難だ。 しかし、国内にある同じ型の炉を使ったり、小さなプラントを造ったりして再現実験をすることは可能だったはずだ。 コンピューターを使った解析も、電源喪失後の個々の作業について、「この弁を開いていたらこうなる」「この時点で窒素を投入したら水素爆発が防げたか」など、枝分かれしていくシナリオを検証する。 そうすれば、問題が炉や建屋の構造にあるのか、作業のミスなのかといった核心に、もう少し迫れただろう。 委員長の畑村洋太郎氏自ら、23日の会見で「再現実験をやりたかった」と言及している。時間や陣容が足りなかったというが、まさにそのための政府事故調ではなかったか。 これで終われるはずもない。世界に向けて、事故原因を解明する責任が日本にはある。 たとえば、原子力規制委員会のもとで、研究者や技術者を糾合した専門チームをつくり、事故の工学的な検証にあたってはどうか。 不断の取り組みを続けない限り、「収束」はやってこない。 |
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社説:原発事故調査報告 原因究明は終わらない 毎日新聞 2012年07月24日 議論のとっかかりとして、事故調報告を読んでみることを提案したい。福島の過酷事故を経験した私たちが、今後、どういうエネルギー政策を望むのか。それを考える土台は原発のリスクにある。 この悲惨な原発事故はどうして起きたのか。事故の拡大や放射能の拡散を抑えることはできなかったのか。ここから、私たちは何を学び取ればいいのか。 東京電力福島第1原発の過酷事故発生から1年4カ月。政府の事故調査・検証委員会の最終報告が公表され、主な検証報告が出そろった。 政府事故調は772人から1479時間、国会事故調は延べ1167人から900時間以上、聞き取りを行った。それでも、事故の全容は解明されていない。国民の疑問に答え切ったということはできない。 ◇すべき対策を直ちに ひとつには、事故そのものが収束せず、現場で確認作業をすることが困難なためだ。再現実験もできなかったのは残念だ。 検証結果に食い違いも残されている。放射能の拡散を予測する「SPEEDI」に活用の余地はあったのか。地震による重要機器損傷の可能性はあるのか。今後の事故対応や全原発のリスクにかかわる問題であり、このまま放置してはならない。 結局のところ、今はまだ事故検証の中間段階に過ぎない。国会も政府も、当事者である東電も、原因究明を続けなくてはならない。そのために、政府からも、その時々の政権からも独立した、恒常的な調査委員会を設置すべきだ。 検証の結果、はっきりしたこともある。事前の備えや的確な事故対応がなされていれば、事故や被害をここまで拡大させずにすんだろう、という点だ。 東電自身の事故防止策に不備があったことは動かしがたい事実だ。津波対策も過酷事故対策も極めて不十分だった。政府事故調の調査で事故対応にも不手際があったことがわかったが、これも備えが不十分だったからだろう。 作業にあたった人々を責めることはできないが、過酷事故のリスクより経営のリスクを優先した東電の責任は重い。東電自身の事故報告書は言い訳に終始したが、政府や国会の報告を真摯(しんし)に受け止め、検証もやり直すべきだ。 政府にも大きな問題があった。規制する立場でありながら規制される側の電気事業者にとりこまれ、必要な安全規制の導入を怠ってきた。国会事故調の「人災」との指摘はもっともであり、電力会社と政府は事故の「共犯」といってもいいだろう。 政府の危機管理にもさまざまな不手際があった。官邸自身の問題に加え、官邸に正確な情報と助言を提供する専門家集団であるべき原子力安全・保安院や原子力安全委員会がまったく役に立たなかった事実に改めて愕然(がくぜん)とする。 政府事故調が検証した双葉病院の実態は、弱者の救出が遅れるリスクも浮き彫りにした。結果的に亡くなった人も多く心が痛む。このケースに限らず避難は混乱を極め、多くの人が何回も移動を余儀なくされた。現場への情報伝達、事前の避難計画の不備が多くの人を放射能のリスクにさらした。大きな反省材料だ。 ふに落ちないのは、検証でこれだけ多くの課題が示されているにもかかわらず、野田内閣や国会の反応が鈍いことだ。真剣に取り組む意思が見えず、姿勢に問題がある。 ◇みんなで読み考えよう 指揮命令系統の整理や、緊急時の広報専門官の配置、地元への情報提供の仕組み作りなど、すでに終わっていなければならない対応は多い。使用済み燃料プールの事故防止対策もそうだ。 にもかかわらず、こうした作業が実質的に進められている形跡はない。同じような事故はすぐには起きないとたかをくくっているのだとしたら、考えが甘い。検証結果が公表される前に大飯原発を再稼働させたことにも改めて疑問を感じる。 政府は、まず、これまでの検証を基に政府として対応すべきことを早急にまとめる必要がある。そのためにも、国会で各機関の検証を踏まえた集中審議を行うべきだ。この中で検証の食い違いについても議論を尽くし、政府として対応策を決定しなくてはならない。 その上で、それぞれの対策が実際に実行されているかどうかを追跡し、国民に示していく必要がある。それに責任を持つ組織を設置した方がいい。 政府は今、2030年までのエネルギー政策の選択肢を示し、国民の意見を聞く作業を進めている。私たちは、政策を選びとるための課題と対策を、これから社説シリーズで考える。 議論のとっかかりとして、事故調報告を読んでみることを提案したい。福島の過酷事故を経験した私たちが、今後、どういうエネルギー政策を望むのか。それを考える土台は原発のリスクにある。 政府と国会の事故調報告は膨大だがインターネットからダウンロードして読める。国会事故調は論点がはっきりしていて比較的読みやすい。政府事故調の報告は読みにくいという欠点があるが、細かい分析では優れている点がある。夏休みの「宿題」としてみんなが読み、周りの人と議論してほしい。日本の未来を選ぶ鍵が、そこにはあるはずだ。 |
社説:政府原発事故調/「人災」の総括では済まない ひとたび悪化すると、もはや押しとどめることが不可能になる恐ろしさ。それが原子力の本質ではないか。 「福島第1原発事故は人災だ」と結論付けた国会の事故調査委員会に続いて、政府の事故調査・検証委員会が23日、最終報告書をまとめた。 報告書を読むと、いったん過酷な事故が起きてしまったら、手に負えないほどの状況になることがよく分かる。そして被災を防ぐのが至難の業になることにも、がくぜんとさせられる。 政府事故調は測定データを使って事故状況を説明したが、最初に危機に陥った1号機は早ければ東日本大震災当日の午後8時すぎに、原子炉かまたは周辺部が破損して放射性物質が漏れていた可能性があるという。 格納容器も午後10時前には破損していた可能性が指摘された。地震の影響は取りあえず否定しているが、原子炉の破損や放射性物質の漏出が急激に進んだとすれば、揺れとの関わりはさらに詳しく解明すべきだ。 1号機に消防ポンプによって水が入れられたのは、12日の午前4時。既に相当に破損が進んでからだった。緊急冷却装置が稼働していると誤認したのが、遅れにつながった。 遅くとも昨年3月12日未明の時点でメルトダウンも放射性物質の外部放出も確実であり、原子炉の冷却と住民の避難が最優先課題になっていた。 しかし、海水注入でまた手間取る。菅直人前首相が海水による再臨界の可能性を聞いた際、原子力安全委員長と経済産業省原子力安全・保安院次長、東電の専門家のいずれも的確には答えられなかったという。 「司令部」がこのありさまでは、最善の事故対応ができるわけがない。せめて「多少の問題はあっても、何が何でも冷やさなければならない」くらいは助言してしかるべきだった。 避難に必要な情報提供も問題だらけだ。保安院は12日にメルトダウンの可能性を説明しながら、14日になって否定した。報告書によると「否定しがたい事実を積極的に否定」したのだから、罪は重い。福島県内ではこのころ、多くの人が放射能の恐怖に右往左往していたのだ。 政府と国会の報告書から読み取れるのは、事故を防ぐ可能性があったとするなら、事前にあらゆる努力を注ぎ安全対策を取るしかなかったということだ。 ところが「意図的な先送りや不作為」(国会事故調)の末に震災を迎えた。その意味ではまさに人災だった。今回の報告書も原因を「『長時間の全電源喪失は起こらない』との前提の下に全てが構築・運営されていたことに尽きる」(委員長所感)と、人の問題に求めている。 二つの報告書は多くの判断ミスや能力の欠如など、人間の問題に触れている。責められるべき行為は多いが、それと同時に原子力に内在する膨大な危険性もまざまざと感じ取れる。 その技術を採用していくべきかどうかこそ、最も問われていることではないだろうか。 2012年07月24日火曜日 河北新報 |
政府の原発事故調の報告要旨 (2012/7/23 日本経済新聞)
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