ウォーキングから帰ってみた中日新聞。
一面の下のコラム「中日春秋」をを書いていらっしゃるのは、星浩さん。
今朝のコラムを読んで、思わず涙ぐんでしまいました。
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「中日春秋」に書かれていた臼田輝さんのことは、
一か月ほど前の朝日新聞にも記事が出ていました。
けっしてなにもするわけでもなく ただじっと ことばだけをつかっていきてきた しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので のんふぃくしょんのどらまのようなせかいを すごしてきた どらまよりも すさまじいたいけんをしてきた だから ことばがとぎすまされてくるのは あたりまえのことなのです
2009年2月、臼田輝君は息を引き取った。
きぼうそらにおもいえがきながら このきれいなとびらをあけて いいみらいにむかって うえをみつめながら くるしみは きのうのものとして あかるいゆめをみながら あるいていこう
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一面の下のコラム「中日春秋」をを書いていらっしゃるのは、星浩さん。
今朝のコラムを読んで、思わず涙ぐんでしまいました。
中日春秋 2012年11月5日 <てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。うつくしいていねんは しんじつそのものです。くるしみのなかで ひかりかがやいています> ▼美しい諦念を握り締めて生きる。この言葉を書いたのは十五歳の少年だ。臼田輝(ひかる)君は一歳になる直前、都内のマンション五階から落ちた。動くことも、話すこともできなくなった。母の真左子さんは「心も身体も毀(こわ)れてしまった」と思った ▼数年たって、彼の目が輝く瞬間があることに気づいた。鏡を覗(のぞ)き込むように瞳を見つめなければ、気づかない光だ。十三歳で指先の微細な動きでひらがなを表示する装置に出合い、光は言葉となった ▼<へいわがくればいい/うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり/いつのひか ちいさないのちがうまれて/そだっていくように> ▼その言葉に、みんなが驚いた。真左子さんは言う。「やっと命をつないで生きている子どもたちは、喜びと悲しみは隣り合わせだと知っている。輝もすべてを受け入れていたのでしょう」 ▼<てのなかにあるしんじつは さいわいそのものです。のぞめばいつでもてにはいりますが だれもこのことはしりません。なぜならにんげんは つねにらくなみちのほうをこのむからです。いきるということは くなんとなかよくしてゆくことなのです>。輝君は十六歳で天に召された。 |
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「中日春秋」に書かれていた臼田輝さんのことは、
一か月ほど前の朝日新聞にも記事が出ていました。
愛育養護学校HP お知らせ 本日、朝日新聞教育面に本校卒業生の臼田輝くんの記事が 掲載されました。 ➠記事はこちら (2012年10月3日) 現在、 記事の中で紹介されている『輝-いのちの言葉-』について、 お問い合わせを多数いただき、電話がつながりにくい状況になっております。 ご注文は、メール(aiiku@inter.net) またはFAX(03-3473-8474)で受け付けております。 送付先住所・郵便番号とお名前、電話番号、ご希望冊数を ご記入の上、お送りください。 支払い方法は、本を送付する際、振込用紙(代金・送料)を同封いたします。 なお、ご注文がたいへん多く、在庫がありません。 できるだけ早く(約1ヶ月くらい)お届けしたいと思います。 チャリティーバザーを開催します 開催日時:2012年10月30日(火)10:30~13:00 |
信じて、ぼくの言葉 重い障害の少年が伝えたかったこと (2012年10月3日 朝日新聞) 障害が重いために言葉を理解できないと考えられてきた人々も、実は言葉の世界を持っている。それを社会に伝えたいと願った少年が、志半ばの16歳で亡くなった。かすかな体の動きを拾う特別のスイッチで入力された文章が残された。「せっかくいろいろなこどもたちが ことばをつかっているのに しんじて」。彼の文はそう訴えかける。・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ( 中略) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◇ ●臼田輝君の言葉 よもすえというかんがえかたは まちがっていて かのうせいにかけるべきです。 にんげんのことを あきらめてはいけないとおもいます。 よきひよきときに めぐりあうことを しんじよう。(2008年4月2日) せっかくのことばが ことばとして こうのうがきのように うけとめられてしまい ざんねんです(中略)すばらしいのはつらくても ことばがあることです ことばこそ ぼくたちにとってひつようなものなのです (08年10月14日) きぼうがすっかり きのうのおもいでになってしまったら すなおなきぼうの しにたえたきみょうなせかいが おとずれるだろう ついにきぼうのすみきったせかいが おとずれたとき しあわせはどういうかたちになるのだろう しあわせはちいさなよろこびとなって しあわせとよぶひつようもなくなるだろう(09年1月7日) |
けっしてなにもするわけでもなく ただじっと ことばだけをつかっていきてきた しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので のんふぃくしょんのどらまのようなせかいを すごしてきた どらまよりも すさまじいたいけんをしてきた だから ことばがとぎすまされてくるのは あたりまえのことなのです
2009年2月、臼田輝君は息を引き取った。
きぼうそらにおもいえがきながら このきれいなとびらをあけて いいみらいにむかって うえをみつめながら くるしみは きのうのものとして あかるいゆめをみながら あるいていこう
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