昨日は一日雨が降っていて、
雨が上がった今朝は、クロッカスが咲いていました。
いつもよりずいぶん遅い開花です。
冬咲きの菜の花には、ミツバチが蜜を集めにきています。
安倍政権になって、民主党政権の時はなりをひそめていた
「教育再生実行会議」が政府の表舞台にでてきました。
てはじめに「道徳の教科化」を掲げた提言が、
教育現場で実行されそうです。
これに対しては、中日新聞、河北新報、品の毎日など、
良心的なマスコミ各社が批判的な社説を出しています。
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「教育再生実行会議」が政府の表舞台にでてきました。
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【社説】いじめと道徳 心に成績をつけるのか 2013年2月28日 中日新聞 いじめ対策として政府の教育再生実行会議がまとめた提言は、冒頭に道徳の教科化を掲げた。「良い子」でいることを競わせ、成績をつけるのか。いじめの現実に立ち向かう手だてこそ考えたい。 安倍晋三首相に出された提言には多岐にわたる方策が盛り込まれた。例えば、いじめに対応するための法律を作る。学校は相談体制を整え、家庭や地域、警察と連携する。重大ないじめは第三者的組織が解決する。そんな具合だ。 どれも目新しくはないが、地に足の着いた中身だ。すでに先取りしている自治体さえある。絶えず実効性を確かめつつ仕組みを向上させてほしい。 とはいえ、筆頭に出てくる道徳を教科に格上げするという方策は、いじめの問題とどう結びつくのかよくわからない。いじめ自殺のあった大津市の中学校は道徳教育のモデル校だったではないか。 小中学校では週一回程度の「道徳の時間」が設けられ、副読本の「心のノート」を使って授業が行われている。教科ではないから成績評価はなされていない。 提言によれば、充実した道徳教育が行われるかどうかは学校や先生によって左右される。だから教材を見直して教科として位置づけ、指導方法を打ち出すという。 もちろん、子どもが成長に応じて思いやりの気持ちや規範意識を身につけることは大切だ。社会の構成員として高い徳性を培うための教育そのものに異論はない。 しかし、道徳が教科になれば検定教科書が用いられ、心のありようがテストされて順位づけされないか。国の価値観や考え方が押しつけられないか。心配になる。 国語や社会、算数とは違い、道徳とは体系立てられた知識や技術を習得するものではない。子どもが学校や家庭、地域で褒められたり、叱られたりして考え、感じ取っていくものだろう。学校の道徳教育はその一助にすぎない。 東日本大震災の光景を思い出してみよう。被災地では大きな暴動や略奪は見られず、人々は譲り合い、助け合って修羅場をくぐり抜けてきた。その姿は世界中に感動を与えた。日本の人々は道徳心をたっぷりと備えている。 いじめる子の心は根っから荒(すさ)んでいるのか。家族崩壊や虐待、貧困、勉強疲れからストレスを抱え込んでいるかもしれない。背景事情に考えを巡らせる必要がある。 大人の世界にもひどいいじめがある。道徳とは世代を超えて日々共に学び合うべきものだろう。 |
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社説:道徳教育 「教科に」は疑問がある 2013.2.27 信濃毎日新聞 政府の「教育再生実行会議」が、いじめ対策として道徳教育を教科にするよう求める提言を出した。 大津市の中2男子のいじめ自殺をきっかけに、あらためて社会問題になっている。命を大切にしたり他人を思いやったりする心を育むことが大事なのは当然にせよ、道徳を教科にしても効果があるのか。価値観の押し付けになりかねない危うさをはらんでいる。政府は拙速に進めるべきではない。 実行会議は、安倍内閣が進める教育改革の司令塔だ。1月に発足した。最初の提言となる今回、いじめ対策や体罰の防止策をまとめている。加害者側に対して出席停止の制度を積極的に使うこと、いじめに対応する窓口となる第三者組織の設置なども求めた。 道徳は今、小中学校で原則週1時間の必修になっている。教科の位置付けではなく、成績評価の対象にはならない。 自民党は昨年の衆院選で道徳教育の徹底を公約に掲げた。発足から短期間での提言には、はじめに結論ありきの印象も受ける。 道徳を教科にすることはこれまでも繰り返し唱えられてきた。2000年に当時の森喜朗首相の私的諮問機関、教育改革国民会議が提言した。07年には第1次安倍内閣の教育再生会議が「徳育」の名称で教科にすることを求めたものの、実現はしなかった。 「徳育」が見送られたのは、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会で実現は難しいとの意見が相次いだからだ。点数評価、専門の教員免許、検定教科書の使用―の3点が課題に挙げられた。この点をどうするか、今回の提言は十分に踏み込んでいない。 教科書を使い、成績を評価する場合、特定の価値観を押し付けることになりかねない。子どもにとっても先生にとっても学校が息苦しい場になる心配がある。 提言は、学校や教員によって充実度に差があるとし、教材の充実や指導方法の開発を求めた。不十分な面があるなら、何が問題なのか、現状をつかみ、分析するのが先だ。より良くする素材や手法が見つかれば、今の位置付けのまま参考として示せばいい。 思いやりの心や命の大切さを学校だけで教えようとしても限界がある。本来、日頃の人付き合いなど、さまざまな体験を通して身に付けるものだ。親や地域の人たちとも協力し、それぞれの学校や教室で工夫しながら、進める必要がある。政府はそうした現場の取り組みをより大事にすべきだ。 |
社説:いじめ防止対策/「道徳教育」の効果は疑問だ 2013年03月01日 河北新報 いじめや体罰によって、子どもの命が失われることがあってはならない。小さな命を守るために、幾重もの安全弁を設けることが急務だ。 国の「教育再生実行会議」が、いじめや体罰から子どもを守るための提言をまとめた。いじめた子どもの出席停止や第三者組織設置などが盛り込まれた。 その中に「命の尊さを学ぶ道徳教育の充実」も含まれたが、違和感を覚える。道徳教育の重要性は第1次安倍政権の時から強調されていたが、いじめ対策とは懸け離れているのではないか。 最後の局面に至るまで、大人側が救いの手を差し伸べられなかったことこそ、まず問題にされなければならない。学校や教育委員会の責任逃れや隠蔽(いんぺい)体質も、正す必要がある。子どもの矯正より、子どもを取り巻く環境改善の方に軸足を置くべきだ。 生命の尊さに気付かせ、共感力を養うことは教育の目的の一つではある。だが、それは道徳に限らず、さまざまな機会を利用して多面的に学ぶ方がより理解が深まるだろう。 大津市の中学校ではいじめによって、大阪市の高校ではバスケットボール部顧問の体罰によって、いずれも男子生徒が自ら命を絶った。暴力のひどさや学校側の無責任ぶりは、放置できるものではない。 教育再生実行会議の提言内容に特に目新しさはないが、その中でも第三者組織は早く実現させたい。 学校や教師が助けてくれないと感じたら、子どもは深い絶望感を味わう。心配かけまいと、親にも相談しないことが多い。 学校から独立した外部組織にすぐ相談できる環境を整え、心の支えを得られるようにすべきだ。第三者組織は状況を調べ解決策を探ることになるが、決定事項には学校側も従わなければならない。 解決の方法は個々のケースによって異なるだろう。いじめ問題の解決につながった教育現場の実例が土台になるのではないか。机上でいくら考えたところで、限界がある。 いたずらに強制的な手段に頼るのも戒めなくてはならない。一時しのぎに終わったのでは元も子もない。 いじめをなくすには加害者側への働き掛けが大事になる。悪いことだとは、多くの子どもも分かっているだろう。それでもやまない点に根深さがある。 大人社会の「道徳」も、決して褒められたものではない。柔道女子日本代表チームでも暴力がはびこっていた。 大人が「勝ち組」とか「負け組」とか、競争原理に凝り固まっているようでは根本的な解決からは程遠い。 言い古されたことだが、多様性を互いに認め合い、寛容さを培う教育を目指すべきだ。 人の内面や良心の問題にまで立ち入りかねない教育は、望ましくない。それこそ、多様性を受け入れることの妨げにもなろう。少なくても、道徳の教科化は慎重であるべきだ。 |
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