みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

記者の目:連載「境界を生きる」を終えて=丹野恒一/水仙いろいろ

2013-03-30 22:20:17 | 花/美しいもの
あたたかさに誘われてハクモクレンが満開になりました。
例年より一週間以上ははやいです。

ウォーキングから帰ったら久しぶりの青空なので、
急いでデジカメを取りに帰って写しました。

足元には、超大輪の水仙が一輪咲いています。なづけて孤高の水仙。
   

水仙とスノードロップ
   

  

   

  

  
ヒメリュウキンカ
  

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昨日の毎日新聞の「記者の目」に、
「境界を生きる」の連載をしていた丹野恒一さんが執筆されていました。
性的マイノリティーのひとびとの記事を書き続けた「境界を生きる」は、
連載がおわって一冊の本になっています。
たくさんの人に読まれるといいですね。

 『境界を生きる 性と生のはざまで』(毎日新聞「境界を生きる」取材班 (著))

  記者の目:連載「境界を生きる」を終えて=丹野恒一
毎日新聞 2013年03月29日 00時25分

 この世界は「男」と「女」だけでつくられ、異性同士が愛し合うもの−−。「常識」の社会の中で生きづらさを抱える人々の姿を紹介する、くらしナビ面連載「境界を生きる」を足掛け5年にわたって執筆した。連載を終えた今、社会の「無関心の罪」の重さを、改めて強く感じている。
 昨年初め、ショックな出来事があった。連載を始めて間もないころ、心と体の性が一致しない性同一性障害に苦しんだ思春期の体験を語ってくれた為佐(いさ)さんが、睡眠薬を飲み過ぎた後に亡くなったのだ。21歳だった。
 女の子の体で生まれたが幼稚園のころから自分を男の子だと意識し始めた。小学生のころ「おとこおんな」といじめを受けた。徐々に大人の女性の体になっていく自分に耐えられず、リストカットを繰り返した。つらい体験を「これからの子どもたちの役に立つなら」と、語ってくれた。
 夢は教員になること。進学を目指し頑張っていると、折に触れ報告してくれた。その陰で、いじめの記憶に発作的に襲われ、苦しみ続けていたとは知らなかった。
 為佐さんは自殺したのではない。私は今もそう信じている。死の数時間前に書かれたとみられるブログには「この壁を乗り越える」という言葉が残されていたからだ。だが、取材で出会った多くの人々に、自殺を考えたり、死のうとしたりした経験があったのも事実だ。ある当事者の言葉が切なかった。
 「先月笑っていた人が、今月にはいない。私たちの周囲では、それが当たり前だ」
 性同一性障害だけではない。染色体やホルモンの異常が原因で体の性別があいまいなため、出生時に性別が決められなかったり、男女二元論で成り立つ社会に適応しづらかったりする「性分化疾患」や、同性愛の人々も同じだ。

 ◇受け入れる気持ちに差
 性的マイノリティーの人々に対する理解は、この10年あまりで急速に広がってきてはいる。気がかりなのは、生き方の違いで、社会の側が受け入れる気持ちに差をつけていると感じることだ。
 性同一性障害に関しては、90年代後半に「性転換」の性別適合手術が正当な医療行為と認められた。03年には家庭裁判所の審判で戸籍の性別変更を可能にする特例法も成立した。性別変更が認められた数は年々増え、昨年までで計3584人に上る。
 根強い差別はあるにせよ、「病気だから受け入れよう」という空気は、予想以上の速さで醸成されているのだ。
 だが、誰もが手術までするわけではない。「病気や障害として扱われたくない」と医療から距離を置く人もいる。高額な手術代が用意できず性別を変えられない人もいる。こういう人たちは逆に「好きでそうしている」と受け止められ、苦しみが顧みられなくなっているように思う。
 同性愛にも同じことが言える。欧米を中心とした当事者らの運動によって、同性愛は今、精神疾患として扱われることはなくなった。だがその結果、日本では皮肉にも「病気でないのだから配慮はいらない」との考えにつながったように思えてならない。
 「性のあり方」は多様だ。当事者が置かれた状況も、どう生きたいと願うかも違うし、必要なケアもさまざまだ。なのに「手術した人には配慮する」「手術しない人が受け入れられないのは自己責任」などと扱いを区別していいのか。

 ◇少数派も生きやすい社会に
 昨年夏、カナダの最大都市・トロントで性的マイノリティーの人々のパレードを取材した。印象的だったのは支援者の存在感だ。親たちは「息子、娘を誇りに思う」と堂々とアピールし、警察や銀行といった堅いイメージの組織の人々も「あなたたちの生き方を支持する」とプラカードを掲げて歩いていた。沿道に集まった100万人以上の観衆とパレード参加者が一体となり、互いの存在と温かな関係性を確認し合っているように見えた。ひるがえって日本。東京のど真ん中でパレードしても、沿道の人はどこかよそよそしい。当事者たちだけが、「私はここにいる」と魂の叫び声を上げる。そんな様相だ。
 「自分の生活に直接影響しなければ、誰も私たちに関心さえ持たない。そういう社会で生きてきた」。当事者の言葉が重く響く。
 大切なのはマニュアル化した対応ではない。まずは、他人の痛みに関心を持とう。その出発点さえ間違わなければ、やがては性的マイノリティーだけでなく、差別や偏見に苦しむ多くの人々が生きやすい社会へと変わっていく。私は希望を持っている。(生活報道部) 


  米国:連邦レベルの司法判断に慎重…同性婚訴訟で最高裁
毎日新聞 2013年03月28日

 【ロサンゼルス堀山明子】米連邦最高裁は26、27の両日、同性婚の是非を争う二つの訴訟に関する審理を行った。今後の審理日程はなく、今夏にも結論が出る。2日間の審理では、連邦レベルの司法判断を下すことに慎重意見が目立ち、州の判断に委ねる可能性も出ている。国論を二分するテーマだけに裁判所前には賛成、反対の数千人が集まり集会などを行った。
 同性婚の制度は州ごとに異なり、マサチューセッツなど9州と首都ワシントンDCで合法化されている。審理されたのは、1996年に成立した連邦法の婚姻擁護法と、2008年のカリフォルニア州憲法修正条項の2件。いずれも婚姻を男女間に限定する内容で、下級審では同性婚の禁止が違憲と判断され、反対派が上告していた。
 米メディアによると、最高裁判事9人の賛否は4対4に分かれ、残る1人のアンソニー・ケネディ判事の判断がカギを握るとみられている。ケネディ判事は、婚姻擁護法を扱った27日の審理で「問題は連邦政府が判断する権限があるかどうかだ」と繰り返し述べた。
 カリフォルニア州法を巡る26日の審理でも「カリフォルニア州では4万人の子供が同性婚の家庭で育っている」と発言し、子供の人権を重視する姿勢を見せた。
 ABCテレビが26日に発表した世論調査によると、同性婚合法化に賛成と答えたのは58%で反対は36%。03年調査の賛成37%、反対55%と比べ賛否が逆転しており、賛成派が増える傾向にある。
 裁判所前に集まった同性婚賛成派は「平等な結婚」と書いた虹色の旗を振って気勢を上げた。反対派は「男1人+女1人=結婚」と書いたプラカードを掲げる姿が目立った。 



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3月29日(金)のつぶやき

2013-03-30 01:30:41 | 花/美しいもの

『婦人公論』上野千鶴子の ニッポンが変わる、 女が変える・ゲスト=澤地久枝/『ジェンダー論をつかむ』 goo.gl/5ijnA


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