アウンサンスーチーさんが、85〜86年に京都大で客員研究員をしていた京都を訪問、
京都大学と龍谷大で講演。
京都大学の講演の内容は、女性の政治参加の重要性を説き、
「女性が貢献に対して地位や公式な立場を求めるのは女性らしさと矛盾するものではないし、正当な権利だ。ビルマの変革を支援しようと思うなら、女性の変革を後押ししてほしい。女性が卑屈にならず、自分の真の価値を自覚し主張できるよう支えてほしい。」と結んだ。
とても良い講演なので、後半で毎日新聞の講演要旨を紹介します。
アウンサンスーチー氏:仏教思想に基づいた非暴力、大学講演で訴え 「他者を愛し、慈しむ」 毎日新聞 2013年04月16日 東京朝刊 訪日中のミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」のアウンサンスーチー議長(67)は15日午後、龍谷大(京都市)を訪れ、「社会変革のプロセスにおける仏教の役割」と題して講演した。(8面に講演要旨、社会面に関連記事) 信仰のあつい仏教徒であるスーチー氏は「民主的な社会を作るためには、他者を愛し、慈しむ仏教の教えを前面に出さないといけない」と仏教思想に基づいた非暴力による民主化実現を訴えた。 スーチー氏は、軍政と民主化勢力などが激しく対立を続けたミャンマーの歴史に触れ、「(1948年の)独立以降、この国では怒りや戦いが続き、今なお暴力に訴えようとする人がいる。仏教の教えを心に置きながら変革を進めないといけない」と主張。「私の言うことを理想主義という人がいるかもしれないが、理想に向かって努力することが必要だ」と述べ、その役割を「価値観をはぐくむ時間がある」若者たちに期待した。 ミャンマーでは9割近くを占める仏教徒と、少数派のイスラム教徒の対立が表面化。先月には中部メティラで両教徒の暴動が起き、40人以上が死亡、1万人以上が避難民となり、最大都市ヤンゴンでも緊張が高まっている。スーチー氏は国内の宗教対立を念頭に「一人一人の人権を大切にするのが仏教だ」と強調した。 スーチー氏は、龍谷大に先立ち京都大学で、女性の社会進出について講演。NLDを率いる自身について「私は女性的ではない。タフだ。だからここに立っている」と評した。また、ミャンマーで民主化を進展させるためには、女性が積極的に政治に関与しなければいけないとしたうえで、日本に対し「ビルマ(ミャンマー)の変革を支援しようと思うなら、女性の変革を後押ししてほしい」と訴えた。 スーチー氏は85〜86年に京都大に客員研究員として在籍。龍谷大には当時、親交の深い教授夫妻がおり、たびたび訪れていた。【岩佐淳士】 |
スー・チー氏 京都大学で講演 2013.4.15 NHKニュース 27年ぶりに日本を訪れているミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏は、15日、かつて研究者として在籍した京都大学で講演し、女性の社会的役割の重要性を訴えました。 アウン・サン・スー・チー氏は、15日午前、かつて研究者として在籍した京都大学を訪れ、松本紘学長から名誉フェローの称号を贈られました。 スーチー氏は、講演の冒頭、「京都大学で、初めての名誉フェローの称号をいただいたことにとても驚いたし、うれしく思う」と述べました。 また、スー・チー氏は講演で、ミャンマーでは女性の社会進出が十分でないと説明したうえで、「女性には社会に大きな変化を起こす能力がある。その力で軍事政権下でつくられた価値観を個人の価値が尊重されるように変えていかなければならない」と訴えました。 講演を聞いた女子学生は「同じ女性としてすごくタフだなと感じました。自分も見習って勉学に励もうと思いました」と話していました。 また、別の男子学生は「話にとても説得力がありました。日本も女性の社会進出がまだまだなので変えないといけないと思いました」と話していました。 |
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スーチー氏:京都大での講演要旨 毎日新聞 2013年04月16日 訪日中のミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」のアウンサンスーチー議長(67)が京都大で15日に行った講演の要旨は次の通り。 近年のビルマ社会・政治の変革を見ると、2010年の総選挙で軍事政権から民政に移管したが、女性の参画はどの程度あっただろうか。664人いる国会議員の中で女性は当時25人もいなかった。12年の補選で状況は多少変わった。(議長を務める)「国民民主連盟」(NLD)は45議席中43議席を獲得した。うち13人は女性で、これは大きな変革となった。NLDは女性が社会や政治の改革に参加できるよう努力しているが、男女差は現存している。 実は日本や韓国の男女差も世界で最大級だ。経済政策によって女性が経済力を持てば男女差は解消可能というのに、なぜ経済が発展した日本や韓国で隔たりがあるのだろうか。 一つには社会の価値観の問題がある。ビルマでは伝統的に女性がビジネスに関わるが、男女差はあちこちにある。女性議員はほんのわずかしかいない。母は大使だったが、女性大使はこれまで母1人だ。女性大臣も数カ月前に1人就任しただけ。副大臣も12年に4、5人が就任した程度だ。 教育の面でも、教員の大半は女性だが、教育行政を担うのはほとんど男性だ。教育相も男性だ。 女性の間にも「目立つのは女性らしくない」という考えがあるが、自分の考えを主張することと攻撃的になることとは違う。NLDは補選で、女性や若者、少数民族の候補を多く擁立したいと考え13人の女性が当選した。まだ足りないが、それ以上の候補を見つけられなかったのだ。女性はまだ政治で責任ある役割を担う自信を持っていない。しかしあえて政治経験がない候補も擁立したところ、資質があることが分かった。弁護士出身者など立法分野で大きな役割を果たしている。 女性にもっと変革の前線に立ってほしい。ビルマには「息子は主人のように、夫は神のように扱わねばならない」というばからしいことわざがあるが、間違っている。 女性差別は幼い頃から始まる。女の子の方が出来は良くても、貧しい家庭で男の子だけ通学させ、女の子に家事をさせるのはよくあることだ。女子は男子より高い点を取らないと医学部に入学できないにもかかわらず、実際には女子学生の方が多い。女性も、自分たちが男性と対等のパートナーになれると自覚すべきだ。男性教員や女性大使を増やすなど男女の役割は互換できる。 現在、我が国で私はよく「母」と呼ばれる。でも私が男性なら「父」と呼ばれただろうか。私の父は「建国の父」と呼ばれたが、ビルマの政治家で「父」と呼ばれる人はいない。政治で母性が求められているのだろうか。私は女性的でない。タフだ。だからここに立っている。でもなぜ女性的な面が強調されるのか。女性には政治的リーダーシップに加え、人を癒やす力もあるからではないか。女性の政治的役割は男性よりも広い。女性の参画を通して社会を育み、人々が幸せを感じる新しい社会・政治環境を作らねばならないのだ。 ビルマでは半世紀に及ぶ軍事政権支配で独裁的な考え方が形成されたが、民主国家になるにはそうした思考法を変える必要がある。それを早くできるのは女性だ。女性は男性ほど軍事政権の影響を受けていない。政治によって人を管理するのではなく、政策への理解を促すことが大事だ。そのためには教育や日々の生活、女性の生き方から変えねばならない。両親の面倒を見るのも女性だ。母親たちは娘に(教育などの)機会をもっと与えたらよい。 女性が貢献に対して地位や公式な立場を求めるのは女性らしさと矛盾するものではないし、正当な権利だ。ビルマの変革を支援しようと思うなら、女性の変革を後押ししてほしい。女性が卑屈にならず、自分の真の価値を自覚し主張できるよう支えてほしい。 |
スーチー氏:龍谷大での講演要旨 毎日新聞 2013年04月16日 訪日中のミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」のアウンサンスーチー議長(67)が龍谷大(京都)で15日に行った講演の要旨は次の通り。 私は良い仏教徒でありたいと思っているが、仏教の専門家ではない。今日は仏教の教えに沿って生活をしている一仏教徒として、お話をしたい。できるだけ短く10分間ぐらいで話をしたいと思う。皆さんから質問を受けたり、外で待っている学生たちにごあいさつをしたりする時間を残しておきたいからだ。このことこそが仏教の実践だ。他人を慈しみ、大切にすることが仏教の教えなのだ。 この教えは、今変わりつつある私たちの国でできる唯一最大のことだと思う。暴力や怒り、復讐(ふくしゅう)、権力を求めることではなく、私たちが望むのは、他人を愛し慈しむ気持ちを国内外の人々に広げることだ。ビルマは長年、真の平和から遠ざかっていた。私たちが独立した1948年以降、怒りや争いが途絶えたことはなく、常にどこかに武器があった。今も武器を持っている人、暴力で解決を望む人がいる。これが私たちの国の状況だった。 それを変えたいと思うならば、また本当の意味で仏教の平和と愛を国全体に広めたいと思うならば、お互いを大切にすることから始めなければいけない。ビルマには仏教だけでなく、さまざまな宗教の信者がいる。こうした人々に対し平等に敬意を表し、同じように愛し慈しみ合うことが必要だ。相手が仏教徒であろうとなかろうと、どんな宗教であるのかは関係ない。宗教で人々を隔ててしまうことは、真の仏教の道ではない。 仏教は決して民主化の概念と相反するものではない。仏教は私たち一人一人に価値を置いている。個人の人権に価値を持っているのが仏教だ。真に民主化された社会は、人権を尊重する社会でもある。先ほどこの会場に到着した際、非常に多くの人たち、特に若い男性たちが親しみを持って私を迎えてくれた。 しかし、人々がいつも慈しんでくれることを当たり前と考えてはいけない。慈しみや優しさは要求したり、お金で買ったり、あるいは強制させたりすることではない。それは自発的に与えられるものでなければならない。与えられたいのならば、与えることが必要だ。新しい民主的な社会を作りたいと思うのであれば、いま申し上げたような仏教の価値観が大切になってくる。 中には理想主義だと思う方もいるだろう。しかし私たちは常に努力して理想に向かわなければいけない。不可能であるかのようなことに取り組むことが必要だ。人間は最善のことができるのと同時に、最悪のこともできる。選択は我々の側にある。良い方に向かうか悪い方に向かうか。我々自身の利益のためにも、ぜひ良い方向に向かわなければいけない。今日の世界、人類のためにそう思う。 その時に重要なのは若者たちだ。若者たちには時間がある。必要な価値観を育てる時間があるのだ。社会変革のために仏教が果たす役割は何かと問われたならば、主たる役割は人を説得することではないかと思う。それは思いやりによって実現できる。他の宗教を軽視したり、視野を狭めたりすることは仏教の教えに反することだ。視野を広げ、寛大になって目標を目指すことが重要だ。 将来について楽観的かと問われれば、私は楽観的だと申し上げたい。なぜなら、一人一人が資質を持ち、社会を変えていく能力を持っているからだ。必要なのは意志と決断だ。仏教の価値を心に留めながら、私の国で政治的、社会的、経済的な変化を進めていきたいと思う。 |
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