みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

2015年新年のあいさつ(WAN・上野千鶴子さん)/戦後70年のルネサンス 年のはじめに考える

2015-01-01 22:41:04 | ほん/新聞/ニュース
あけまして おめでとう ございます!

2015年の朝は雪。
晴れていたら初日の出を撮りたかったのですが、
体調もイマイチなので、ウォーキングはお休みにして、
朝8時頃まで寝ていました。

パソコンをオンにして、メールチェックして、
WANサイトを開くと、理事長の上野千鶴子さんの
「2015年新年のあいさつ」のビデオがアップされていました。

 2015年新年のあいさつ
(ウイメンズアクションネットワークWAN) 
 


新年早々、上野さんにお会いできた気分で、
なにげなく見ていくと、なんと『最新版 市民派議員になるための本』を
手に持って、紹介してくださっています(嬉)。

毎日新聞の記者さんから企画の相談を受けていた
「女性と政治」の連載も、今日からくらし・生活面で始まっています。

5紙の元旦の新聞はおおすぎて読めないので、
三が日のうちに、ぼちぼち読むことにしましょう。

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子どもたちは、元旦のきょう、お昼前に全員集合しました。
小さな子たちも含めると総勢17人(笑)。
にぎやかなお正月です。

それぞれ一品ずつ持ち寄りしてくれました。
人数が多いので、テーブルいっぱいの、すごいごちそうになりました。

てづくりピザ。


福砂屋のカステラは、一切れずつ。



明日は来られない人がいるので、一日早く、
フレイバーのシフォンケーキ(ダブルレモン)をわけっこして食べました。



半分に切って、8等分して16人分です。


朝からサルの鳴き声がしていたり、窓から見える山の上を
サルが歩いてたりしたので、
みんなでサルを追い払おうと外に出ると、
保管しておいたタマネギがサルに食べられていました。
猿害ですね。

一度味をしめると、一気に食べられるので、
さっそくタマネギを倉庫の中にしまいました。
猿軍団というくらいの群れで来るのは初めてです。
今年ははやくから寒いので、山に食べ物が少ないのかもしれませんね。

今年最初の記事の紹介は、中日新聞の社説です。
  社説:戦後70年のルネサンス 年のはじめに考える
2015年1月1日 中日新聞

 貧困や格差が復活して独占資本や搾取の言葉も思い浮かぶグローバル経済の時代。ならば戦後七十年のことしは人間回復のルネサンスにしたいものです。

 読みやすいともいえない七百ページを超える経済学書が各紙の書評欄に掲載され、翻訳出版自体がニュースになりました。フランスの経済学者トマ・ピケティの「21世紀の資本」(みすず書房)です。

 世界的ベストセラー。この十年で最も重要な経済学書の惹句(じゃっく)。だれもがグローバル経済の行方を懸念しその解決策を渇望しているからなのでしょう。

 新貧乏物語が始まる
 ピケティはグローバル経済を放置すれば百年前の極端な格差社会に逆戻りすると警告し、累進課税や国際協調のグローバル資本税の導入などを提言します。百年前の世界とは欧州で第一次世界大戦勃発、ロシアで革命、日本では河上肇の「貧乏物語」(岩波文庫)が新聞連載され、貧困が資本主義固有の病理として社会問題にされはじめた時代でした。

 河上博士にとって、経済学は富でなく、論語のいう道を尋ねるもの。貧乏退治も人々が貧困によって道を聞く妨げにならないためでした。理想とした政治家が英国の宰相ロイド・ジョージでした。

 ロイド・ジョージは苦学力行の人。極貧の母子家庭に育ち、靴職人の叔父の金銭支援で弁護士から政治家への道を歩みます。その経歴からでしょう、弱者のために立ち上がり、大蔵大臣時代は貧困との戦いの大増税に取り組みます。英国を滅ぼす大敵はドイツではなく内なる貧困、すべての人が守るに値するよい国にするのが最高の防衛との大演説をぶちます。

 資本家の貪欲とも戦いました。金鉱獲得のため英国がボーア人相手に起こした悪名高い南ア戦争では反対運動を展開。国民が戦争に熱狂、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴び、暴動が起こる中で堂々の非戦論。「彼ロイド・ジョージは勇者である」と河上博士を心服させています。

 国の所得再配分機能や社会保障制度が整えられた現代が、戦争と革命の時代に戻るとは思えませんが、グローバル経済が労働配分率を削減して資本家に利益を独占させるシステムだとしたら現代は新帝国主義と貧乏物語の時代の色彩を帯びます。三十一歳のフリーターの論文「希望は戦争」が衝撃を与えたのは二〇〇七年でした。今労働状況はさらに厳しく、希望なき社会が極端な排外主義やヘイトスピーチになっているようです。

 太平洋か大東亜戦争か
 資本から人間中心の社会を取り戻さなければなりません。経済学者や物理学者からは定常型社会が提唱されています。無理な成長を求めないゼロ成長の社会です。人口減と高齢化、エネルギー資源や環境の制約の中ではゼロ成長も容易ではないようですが、成長より社会の安定の価値転換が肝心。成長を超える人間中心の新しい社会への兆しもあるようです。

 戦後七十年です。先の大戦を米国から強いられた「太平洋戦争」ではなく戦前の公称の「大東亜戦争」と呼ぶべきだと主張したのは日本思想史研究の故松本健一氏でした。アジア解放の自衛戦争だったからというのではありません。太平洋戦争史観では「米国との戦いに敗れた」との認識にはなっても「中国との侵略戦争に敗れた」との意識が希薄になってしまうからだというのです。

 再三の村山談話の見直し論や日本の歴史認識が問題視されるのは戦争の呼称が影響のせいかもしれません。「日本人に中国に敗れたとの歴史認識はあるのか」と問われもするそうです。

 その大東亜戦争では三百十万人の日本人が犠牲になりました。軍人の死者は二百三十万人、うち六割の百四十万人は国家に見捨てられての餓死だったことも忘れられてはならないはずです。

 八十一歳の誕生日に際して天皇陛下は「日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国とともに支え合って歩んでいけるよう願っています」と述べられました。歴史認識などでの中韓との対立ときしみの中で、昭和を引き継ぎ国民のために祈る天皇の心からのお言葉でしょう。

 歴史の評価に堪えたい
 戦争での新聞の痛恨事は戦争を止めるどころか翼賛報道で戦争を煽(あお)り立てたことです。その反省に立っての新聞の戦後七十年でした。世におもねらず所信を貫いた言論人が少数でも存在したことが支えです。

 政治も経済も社会も人間のためのもの。私たちの新聞もまた国民の側に立ち、権力を監視する義務と「言わねばならぬこと」を主張する責務をもちます。その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたいと願っています。 


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