みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

「民の声」に耳を傾けよ 安保法案参院審議/安保関連法案 成立に強く反対する

2015-09-16 21:44:25 | ほん/新聞/ニュース
若い人たちが、名古屋での安保法案反対のデモに行くということなので、
急きょ、小さい子たちを預かることにしました。

夕方やってきて、おやつを食べてひとしきりあそんで、
夕ご飯を食べて、一緒にお風呂にはいり、
お迎えに来てもらうまで遊びながら待っていました。

おりしも、テレビでは東京のデモや抗議行動の様子が流れ、
緊迫した状況が伝わってきます。

委員会野質疑はまだ始まっていませんが、
安倍首相は、連休前の今日にも強行採決する、意向という。

わたしのブログは、昨日に続いて、
安保法案に反対する新聞各紙の社説を掲載します。

  社説:「民の声」に耳を傾けよ 安保法案参院審議
2015年9月16日 中日新聞

 安全保障関連法案に反対する国民の声に、政府・与党はなぜ耳を傾けようとしないのか。憲法違反と指摘される法案だ。このまま成立させてはならない。

 安保法案を審議する参院特別委員会。きのう国会で中央公聴会が開かれた。きょう横浜市で地方公聴会が開かれる。

 与党側は一連の公聴会終了後、委員会で採決に踏み切り、秋の大型連休前の十八日までに参院本会議で可決・成立させる方針だ。

 「違憲立法」が強行され、戦後日本が歩んできた「平和国家」が一転、「戦争できる国家」に変質するか否かの分水嶺(ぶんすいれい)である。

 公述人に多数の応募
 公聴会は、重要法案の審議に当たって利害関係者や学識経験者らから幅広く意見を聞くことを目的としながらも、採決に向けた条件整備と位置づけられ、軽視されてきたのが実態だ。

 与党側は公聴会直後に採決に踏み切るなど、その後の審議に反映されることはほとんどなく、これまでも形骸化が指摘されてきた。

 しかし、今回の中央公聴会ほど国民の注目を集めたことはなかったのではないか。安保法案の週内成立を強行しようとする政府・与党に対して、国権の最高機関である国会の場で「市民」が意見を表明する最後の場になるからだ。

 今回の中央公聴会では、意見表明する「公述人」の公募に、過去十年で最も多い九十五人が応募した。しかも、全員が法案に反対の立場だったという。違憲立法に対する国民の危機感の表れだろう。

 中央公聴会には、与党推薦の二人、野党推薦の四人の計六人が公述人として出席した。

 中でも注目は、学生団体「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」中心メンバーの明治学院大四年、奥田愛基さんである。

 訴え、路上から国会へ
 応募した九十五人から民主党が推薦した奥田さんは「安保法制に関して現在の国会は、まともな議論をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だ。私たちはこの法案に到底納得することができない」と、廃案を訴えた。

 いつもは国会前の路上で安保法案反対を訴えている奥田さんである。より国民の立場に近い、素朴な疑問、主張と受け止めたい。

 奥田さんの意見に、特に与党議員はどう耳を傾けたのか。「政治の素人」の意見として一顧だにせず、切り捨てていいわけがない。

 自民、公明両党による連立与党は今、国民各層の素朴な疑問に答えようとする誠実さを欠き、その怒りを正面から受け止めようとしない傲慢(ごうまん)さに満ちている。

 確かに衆院選は政権選択の選挙であり、与党が過半数の議席を得た以上、安倍晋三首相に政権を託したことは事実ではある。

 ただ、それは安倍政権への「白紙委任」を意味しない。特に安保法案は、首相が「アベノミクス解散」と位置付けた昨年十二月の衆院選で、自民党公約集の後ろの方でごくわずか触れたにすぎない。

 ましてや憲法の規範性を侵し、法的安定性を損ねてまで、政府の裁量を認めたものであるわけがない。安保法案の最大の問題点は、合憲性に対する疑義である。

 安倍内閣は歴代内閣が堅持してきた憲法解釈を変更し、違憲とされてきた「集団的自衛権の行使」を一転、合憲としてしまった。その集団的自衛権を行使するための法案が、今回の安保法案である。

 多くの憲法学者や幅広い分野の専門家をはじめ、「憲法の番人」とされる最高裁長官経験者や内閣法制局元長官まで、安保法案を憲法違反と断じる異常さである。

 共同通信社が八月十四、十五両日に実施した全国電話世論調査によると、安保法案に「反対」は58・2%、法案が「憲法違反だと思う」は55・1%だった。報道各社の世論調査も同様の傾向だ。

 法案反対デモは収束するどころか各地に広がり、規模も大きくなるばかりだ。法案成立に国民の合意が形成されたとはとても言えない状況で、政府・与党が数の力で法案成立を強行すれば、国民と政治との分断は決定的になる。

 採決装置でいいのか
 今、全国民の代表である国会議員は何をすべきか、自問してほしい。国民多数の反対を顧みず、政府が進める安保法案を唯々諾々と進めるだけなら、もはや「国権の最高機関」の名に値せず、単なる「採決装置」に堕す。

 戦後日本は、専守防衛に徹する平和国家の道を歩み、経済的繁栄を成し遂げた。非軍事の国際貢献に徹し、国際社会の尊敬を得てきた。その「国のかたち」を根本から変えてしまいかねない法案である。採決を強行せず、廃案にすべきではないか。国会議員一人ひとりの良識が問われている。 


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  安保公聴会―国会は国民の声を聴け
2015年9月16日 朝日新聞

 新たな安全保障関連法案を審議している参院特別委員会が中央公聴会を開いた。ふだんの公聴会でも多い大学教授にまじって、異色ともいえる2人の公述人が野党推薦で発言した。

 1人は、「憲法の番人」とも呼ばれる最高裁の元判事、浜田邦夫さん。もう1人は、国会周辺で反対デモを続ける学生団体「SEALDs(シールズ)」メンバーの奥田愛基(あき)さん。

 浜田さんは法案を「違憲」と指摘。「非常に危機感がある。本来は憲法9条の改正手続きをへるべきものを内閣の閣議決定で急に変えるのは、法解釈の安定性で問題がある」。奥田さんは「憲法とは国民の権利。それを無視することは国民を無視するのと同義」と語った。

 衆参で200時間もの審議を重ねた結果、政権の説明の矛盾がさらに鮮明になっている。安倍首相自身が集団的自衛権行使の具体例として説明してきた二つの事例さえ揺らいでいる。

 中東ホルムズ海峡での戦時の機雷掃海について、首相は「現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」。日本人の母子を乗せた米艦の防護も、中谷防衛相は「邦人が乗っているかは絶対的なものではない」と述べた。

 何のために集団的自衛権の行使が必要なのか。政権の説明の根底がふらついている。

 こうした事例について浜田さんは「政府答弁が変わって、いずれも該当しないとなって、それでも強行採決するというのは納得いかない」と指摘した。

 浜田さん、奥田さんの発言の背後には、政府の説明に不信と不安をもつ幅広い民意があるとみるべきだ。

 ところが自民、公明両党はきょうの地方公聴会が終われば、直ちに採決する構えだ。国民の代表である公述人の意見を、審議に生かすつもりは最初からなかったと言わざるを得ない。

 公聴会をめぐっては、第1次安倍内閣だった07年、河野洋平衆院議長が「国民の意見を聴いてすぐ採決するのでは、何のために聴いたのか、ということになる」と与野党に提起したが、見直しにはつながらなかった。

 公聴会は本来、民意を国会へとつなぐ回路であるべきだ。与党推薦であれ、野党推薦であれ、公述人の意見に真摯(しんし)に耳を傾け、今後の審議に生かすことこそ国会の責務のはずだ。

 首相自身、おとといの国会答弁で「確かにまだ支持が広がっていない」と認めた。そんな状態で採決に踏み込むようなら、国会の存在意義が問われる。 


  社説:安保関連法案 成立に強く反対する
毎日新聞 2015年09月16日 

 安倍晋三首相は予言者になったつもりだろうか。

 安全保障関連法案について「成立し、時が経てゆく中において間違いなく理解は広がっていく」と14日の参院特別委員会で述べた。

 提起された数々の異論に適切な反証ができていないのに、「いずれは分かる」と根拠なく言うのは国民を見くびる慢心の表れだ。

 法案への反発は、一時の感情ではない。平和国家としての積み重ねが崩れ、常識がゆがめられることへの危機感に基づいている。

 日本の安全保障政策は、憲法9条と日米安保条約との強い緊張関係の下で成り立ってきた。無謀な戦争への反省と、現実の国防とを両立させるために生み出された、戦後日本の太い背骨だ。

 しかし、安保法案が成立すれば9条の持っていた拘束力は極端に緩められ、政策の重心は日米安保の側に大きく傾く。

 戦後70年。まっとうなプロセスを経た政策転換ならば議論の余地はある。ただし、今回は違う。

 4カ月近い安保国会で最も印象に残るのは「法的安定性は関係ない」という礒崎(いそざき)陽輔首相補佐官の発言だ。安保政策の実務者である礒崎氏の言葉こそ、法案の設計思想を如実に示している。

 冷戦型の思考で軍事上の必要性を最優先させる。40年以上維持されてきた集団的自衛権の憲法解釈を「環境が変わった」のひと言で正反対にする。最高裁長官の経験者から論理の粗雑さを批判されても「今や一私人」と無視する。

 中国の強引な海洋進出に対して「法の支配」を訴えてきた安倍首相だが、国内の法秩序を軽視しているのは明らかだ。行政権ののりを超えた越権行為である。

 法案は質のみならず量の面でも欠陥がある。「切れ目のない対応」を旗印に自衛隊の活動を極大化していることだ。

 安保法案には、地球規模での後方支援や外国軍への弾薬の提供、国会の承認なしに米軍を守る武器等防護などが盛り込まれている。その一つひとつが戦後安保政策の重大な変更であるのに、一括して提出されたために、国会の審議では手つかず同然のものもある。

 国家の要諦が危機管理である以上、起こり得るリスクへの備えは必要だ。ただし、内容の決定にあたっては法秩序の安定や国力、国民の理解度などの要素に見合った水準でなければならない。

 安倍内閣の安保法案は、いずれの条件もクリアできていない。にもかかわらず、生煮えのままで採決を迎えようとしている。

 政治は国の針路を選び取る営みだが、政治指導者は同時に国民を統合していく責任を負う。国内に生じている亀裂を修復する展望を持ち合わせずに、時間が解決するのを夢想するのは許されない。

 日本は今、戦後史の大きな分岐点にさしかかっている。自衛隊の創設や安保条約の改定時に匹敵するかそれ以上だ。日本を傷つける分岐になることを強く憂う。 


 安保攻防最終局面/法案採決は見送るべきだ 
2015年09月16日 河北新報
 
 審議が大詰めを迎えた今になって当初、典型として紹介した事例を現実的でないと言う。「支持が広がっていないのは事実」とも答弁する。
 もはや必要性の根拠が崩れ、国民の理解取り付けに失敗したことも明らかになったのではないか。
 今週後半に目される採決をめぐり与野党の攻防が激化。緊迫感を漂わせる集団的自衛権の行使容認を核とする安全保障関連法案である。
 安倍晋三首相は「今国会で成立を期したい」と強調。世論に構うことなく採決を強行する意向だ。
 「成立した暁には理解が広がっていく」。安倍首相は日米安保条約を引き合いに、反対から容認へ向かうとの見通しを示す。
 「自衛」から「他衛」に踏み込む異次元の立法措置である。目算通りに運ぶ保証はなく、希望的観測に過ぎよう。
 この際、採決を見送るべきである。どうして国民が反対・慎重に傾くのか、根本を見詰めるところから再出発することこそ肝要だ。
 憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認が「違憲」と受け止められ、そうした見方が解消に向かうどころか定着するありさまで、立法化を図る以前の状況にある。
 立法過程に根本要因があるわけだが、一括的に組み立てた法案そのものの複雑さ、不透明さが揺れる答弁とも相まって、不安心理をかき立てていることは想像に難くない。
 言うまでもなく、国民生活に影響を与える法律は主権者に分かりやすく、その認識に食い違いを生じさせてならない。安保政策の大転換であれば、必要性、緊急性について、国民の十分な納得を得るだけの説明も怠れない。
 そうした前提がことごとく欠けていると言わざるを得ない。衆参両院で長時間の審議を経てなお、立法の目指す取り組みの全体像を、その効果とともにイメージできない事実が証明していよう。
 政策転換がもたらす社会の姿を示せずして多くの国民の賛同を得られるはずもない。
 さまざまな「事態」に対して、自衛隊がいかなる場合に派遣でき、あるいはできないのか、その活動の実態はどうなのか、つまり派遣の有無も具体の活動も、政府の「総合判断」でというのでは、立法の成果も自衛隊派遣のリスクも捉え難い。法案を評価できるわけがないではないか。
 武力行使容認の新3要件の柱、わが国の「存立危機事態」はあやふやだ。政府が「明白な危険」を認定するだけで、危機事態に位置付けられるなら、政府の裁量は広がる一方となる。自衛隊を派遣するための国会の事前承認も不十分で、政府が強調する「限定された行使」「明確な歯止め」の実効性は心もとない。
 他国軍への後方支援も内容は不明確で、武力行使との線引きは曖昧だ。派遣が地球規模に広がり、戦場と近接すること、弾薬提供も解禁することを踏まえれば、憲法が禁じる「武力行使との一体化」が現実的に排除され得るのか、運用の危うさは拭えない。
 広範囲に及ぶ難解な法を一気に成立を図る対応も乱暴だ。強行を国民は容認すまい。


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