常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

立秋

2012年08月07日 | 日記


暦のうえでは、立春から半年が経って立秋となる。夏の暑さは、立秋のころにピークを迎えるが、初候は「涼風至る」である。たしかに2時ころの熱気に耐え難い思いをするが、日没にちかくなって一陣の涼しい風が身体を吹き抜けていくことがある。気温が低くなるのではなく、風が涼しさを運んでくるのだ。

古今集に

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行

秋歌の最初にあげられているが、初候を歌に読みこんだものである。猛暑と蝉時雨のなか秋を感じることはできないが、ブドウ畑でデラウェアが色づいているのにであった。このぶどうも収穫を待つばかりになっている。房がもがれてすっきりとしたブドウ畑はもはや秋であり、冬支度が始まる。

畑仕事で早朝に行くことが多い。一日数分であるが、日の出の時刻は確実に遅くなっている。朝露の量も、初夏のころくらべると、多くなっている。枝豆の葉が盛んに枝別れして幼葉を出しているが、その小さい葉にためきれない朝露が、豆の根元へ垂れて土を丸く濡らしている。植物の生命の神秘を見たような気がする。近所のお百姓さんが、朝の露をみて、ああもう夏も終わりだね、と語り合っている声を聞く。



花笠祭りがきょう2日目を迎える。私が山形へ来たころはこの祭りはなく、秋の豊年を祝う仮装行列が目抜き通りを練り歩いた。青年団や学生が趣向をこらす仮装行列は、山形の秋の風物誌であった。寮生が主体の学生は毎年趣向を凝らし、さまざまなテーマで仮装に取り組んだ。「パンドラの箱」と名づけられた行列は、何でもありの変装で、私は着物を着せられて顔に白粉を塗り口紅を引いて女装した。乞食あり、殿様あり、大金持ちありの行列は市民から喝采を受けた。仮装は団体のコンテストになっていて、たしか1等は30万円ほどの賞金がでていたように記憶する。

この仮装行列がマンネリ化したためか、山形市は仙台の「七夕」秋田の「竿灯」青森の「ねぶた」の向こうを張って「花笠まつり」を立ち上げた。それから50年が経つが、急ごしらえの祭りはやはり動員や寄付、広告が主体で他の都市の伝統に比べて引けを取り、やや地元の盛り上がりに欠けるのは否めない。
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福島の小田さんへエール

2012年08月07日 | 日記
きょうの朝日新聞「声」の欄に福島市に住む小田さんの投書が載った。題して「不安消えぬが野菜づくりは夢」。72歳とあるから全く私と同年代だ。おそらく定年を過ぎて始められた家庭菜園だと、勝手に想像している。

投書の内容を一部紹介させていただく。

「暑い日が続いているから、出かけるのは朝早くの涼しいうちに限る。我が家の家庭菜園は今が収穫の最盛期である。インゲン豆、キュウリ、ナス、トマト、枝豆・・・収穫したものはその日か近日中には食卓に並ぶ。
 思えば、昨年の今頃はほとんど畑どころではなかった。福島第一原発事故の情報が飛び交う中、みんな戸惑っていた。ジャガイモやタマネギは放射線量が気になってごみ箱に捨てた。今年は放射線の検査態勢がしっかりしているので、とれたて野菜も安心して食べられる。畑仕事にも力が入る。大震災の復興は一歩ずつ進んでいると感じる。あと数日でトウモロコシの食べ頃を迎える。(中略)不安が消えたわけではないが、小さな家庭菜園の小さな夢は広げてゆきたい。

この投書を読んで、福島で家庭菜園を楽しむ小田さんの姿を想像し、安堵を覚えた。新聞の放射線量を見ると、山形市が0.039に対して福島は0.66マイクロシーベルトと18倍の数値が報道されている。そんな環境のなかで畑作りを楽しんでいる小田さんへエールを送りたい。同時に自分が恵まれた環境にあることにも感謝したい。

この暑いのに何をすき好んで畑仕事などするのか、と言う人もいる。野菜など店で買うほうが安いし、いいものが買える、という人もいる。だが、頭を使い、手足を動かし、菜園の人たちと交流しながら情報を交換しながら、収穫した野菜の調理法を探したり、また子供や孫たちに採れたてを送る楽しみは何にも代えがたい。
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