サトウハチローが作詞した唱歌「小さい秋みつけた」で、小さい秋を表わしているのは、「もずの声」と窓の隙間から入ってくる「秋の風」、そして教会の風見鶏にからんだ想い出の「赤いハゼの葉」である。大きな秋とは言わないだけに、小さい秋とはどんな秋か。それは「だれかさん」だけが見つけた、まだ誰も気付かない限られた秋である。
連日の猛暑で、秋が来ているといっても、なかなか信じてくれる人はなさそうである。私が云う小さな秋は、デジカメが見た猛暑のなかの秋である。朝の散歩もこう暑くては、時間も限定される。めったに行き会う人もない。きょうは、朝の散歩に旧厚生年金センターの裏の棚田のあるコースをとる。
棚田の稲穂は実が入り、頭を垂れていた。田には日照りに備えて十分な水が入てあり、黄金色とはいかないが、こころなし色づいた稲田である。山の斜面を切り開いた棚田である。この田にはどれほどの人の汗と苦労が埋もれているだろうか。わづか40坪ほどの野菜作りで疲労困憊している身にとって、こんな傾斜の地形での土との格闘は、想像を絶する大事業だ。世代を越えた血と汗の結晶が、いまここで実を結んでいる。
昨日こそ早苗とりしかいつのまに稲葉そよぎて秋風ぞ吹く 古今集・詠み人知らず
ススキが花を開き始めた。穂がけものの尾に似ているので尾花ともいう。秋の月見には、ススキを供える習慣があったので、欠かせない花である。秋の七草にも数えられている。稲もススキも残暑とは関係なく、花を咲かせ実をつける。
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田 蛇笏
実といえば、桐の実が珍しい。熟すと褐色になって縦に裂け、中に入ってたくさんの種子がこぼれる。種子には膜状の羽がついて、風に吹かれて遠くに飛ばされる。落ちたところで芽を出して、子孫を広範囲に残す仕掛けを持っている。生け花の素材として用いられるので、愛好家には知られている。葉は大きく、風で落ちる。その音の大きさで、人に秋の訪れを知らせた。
柿の実も着実に大きくなっている。青い実は食欲を感じさせないが、そのつややかさは実に美しい。ふと山里でたわわに色づいた柿の木を思い出す。親戚から車につけきれないほどの柿をいただいて、家で皮を剥き、軒に吊るして干し柿にする。あと二月もしないでそんな季節を迎える。