雨がない日が続く。気温35℃、たまに降るのも極地的な雷を伴う夕立だから、梅雨の時期を含めて少雨の夏ということになる。蔵王ダムや白川ダムなどの水がめの貯水も減少し、満水の20~40%の状態であるという。ニュースで雨乞いをする自治体もでてきたということだ。農園の方では、水かけをしているが、この乾燥には耐えられずは葉ものは断念、種まきもいつできるのか、不安である。
空には羊雲が出た。低気圧が近づいて大気中の水分が多くなると、この雲量が増え雲塊が密着してくる。こうなれば天気の変わる前兆だ。どこかで行った雨乞いが効を奏したのか、天気予報でも明日は日本海北部に雨マークがついた。
この雲を見ていると、かって山口百恵が歌っていた「いい日旅たち」を切なく思いだす。
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち ひつじ雲を探しに
父が教えてくれた 歌を道連れに
いまネットを開いて聞いてみても、百恵ののびやかで響きのある歌声は、昔と変わることなく心に届いてくる。それにしても、谷村新司がつくった詞は、なぜこうも切なく訴えかけてくるのか、謎である。あるいは、子供たちが親のもとから旅立っていったことと、心のどこかで結びついているのかも知れない。
考えてみると、この詞で、「日本のどこか」がキーのフレーズになっている。このフレーズはグローバルな時代、「世界のどこか」であってもいいはずだ。だが、この歌がヒットした時代にも、いまも変わることなく、日本には、まだまだ知らないたくさんの場所がある。同じ場所を見てさえ、いままで見えなかった発見がいくらもある。
こんなことを考えながら空を見ていると、羊雲はどんどんと姿を変える。夕焼けが雲の底にうっすらと現われた。
秋雲の厚きところは山に触る 篠原 梵