猛暑が続くなか、今年も原爆の日がめぐってきた。
井上光晴の小説『明日』は、いまこそ日本人がじっくりと読むべき本だ。米軍の原子爆弾が長崎に投下されたのは、1945年8月9日午前11時2分である。長崎に住む人々は、まさか原爆が投下されようなどとは夢にも思わず、敗戦の気配が色濃く漂う日常を生きていた。
井上は長崎の町に何度も足を運び、原爆投下前の長崎の町の様子を取材した。浦上に近い大橋が路面電車の終点であった。その停留所の前が駐在所、その傍らに製材所があり、その隣はチャンポン屋、そして浦上の平和銅像のところは刑務支所があったことをつき止める。当然のことに原爆の投下されたところは、街そのものが跡形をとどめていない。井上は取材を続けながら、地図上に街を復元していく。
ちょうど2011年3月11日の津波で失われた街を、そこに住んでいた人々が震災前の写真を見、記憶をたどりながら復元していったと同じ作業を、部外者である井上がたったひとりで、その日から20年も経って、苦心を重ねて行ったのである。無くなっているとばかり思っていた原爆投下前の地図が見つかったという僥倖もあって、井上の取材は思ってもいない事実に行き当たる。原爆が投下され、吹き飛んでいった刑務支所に4人の役人が収監されていた。彼らは戦時下で飢えに喘いでいる市民への配給を司る役人である。あろうことか、この物資を横流し賄賂を受け取っていたことが発覚し、この刑務支所に囚われていたのだ。
しかも、この役人たちの宿命は想像を超える結末を迎える。この役人たちを裁く公判は、8月9日に裁判所で行われることになっていた。その裁判所は原爆の被害の及ばない地にあったから、予定通りであれば彼らは助かっていた筈である。ところが、弁護士の都合で公判は一日延期になった。そのために、この悪徳役人は、原爆に建物もろとも吹き飛ばされたのである。虚構を文学の柱と考える井上が、一切の虚構はもはや必要ない、事実を重ねてることでこの小説は完成すると、この小説について語っている。
この日、疎開して陣痛を迎えた妊婦がいた。彼女は空襲が続く街から、谷沿いの村に疎開して、赤ちゃんを産み落とした。この地は考えられる最も安全な疎開地であった。だが、地形が原爆投下地から、さえぎるもののない谷沿いの村であった。風が吹き抜けてていくと同じように、この村を原爆の熱線が襲った。井上は母子がどうなったか、小説のなかで書いていない。ただ、原爆の熱線がこの村をなめ尽くしたことだけが書かれている。
かって山形文学伝習所で井上光晴は語った。「私はいま九州の原子力発電所をテーマにした小説を書いています。電力会社は原子力発電が安全であることの宣伝だけに力を注いでいます。まともな安全対策など考えていません。チェルノブイリのような事故が日本の発電所に起こらない保障はないですよ。そのような事故が起これば、放射能の影響で、東京はもちろん、この山形も人が住めなくなります」。井上が言ったように、悲惨な事故が福島で起こった。あれから1年半、福島原発の放射能を閉じ込める目処さえついていない。
きょう、福島原子力発電所の事故の際の、東電のテレビ会議の映像が一部だけ公開された。この一部を見ただけで、どれほどの重大事故であったかが伝わってくる。これだけの事故にあいながら、「ただちには人体に放射能による影響はありません」とだけ繰り返す報道を続けた政府のアナウンスが、国民の安全や命を軽視したものであることは、言を俟たない。