常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

橘曙覧の命日

2012年08月28日 | 読書


越前福井の歌人、橘曙覧(たちばなあけみ)が没したのは、明治元年8月28日のことである。享年57歳であった。正岡子規は曙覧を評して、「趣味を自然に求め、手段を写実に取りし歌、前に万葉あり、後に曙覧あるのみ」と万葉と並べて絶賛している。

曙覧は本居宣長の国学に惹かれて、その学問を志し、同時に歌の道へも分け入った。生前は世に受け入れられず、その生活は赤貧洗うがごとしものであった。松平春嶽公が曙覧の家を訪れたときの様子が書き残されている。「壁は落ちかかり、障子は破れ、畳はきれ、雨は漏るばかりであるが、机には書物をうず高くのせ、人麿の像があやしげな厨子に入れてある。屋のきたなきこと譬え方なし。しらみなどもはいぬべく」と、あまりの粗末な住いに驚いている。

だが、本人はそうした暮らしを苦にする様子もなく、日々の楽しみを求めて数々の和歌を書き残した。連作「独楽吟」は、その代表であろう。

たのしみは 艸のいほりの 筵敷き ひとりこころを 静めをるとき

たのしみは すびつのもとに うち倒れ ゆすり起こすも 知らで寝し時

たのしみは 珍しき書 人にかり 始め一ひら ひろげたる時

たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物を食ふ時

たのしみは 物をかかせて 善き価 惜しみげもなく 人のくれし時

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時

たのしみは 空き米櫃に 米いでき 今一月は よしといふ時

たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時

ある時、知人が家の荒れ果てているのを見かねて、壁の修繕に人をよこした。その人は実直で、曙覧に机や書物をどかせては、壁を塗って廻った。曙覧が「もういいから」と言っても聞き入れずに仕事を続けるものだから、隅に小さくなってうろたえているばかりだった。職人の手作業に見とれて、自らの身の置き所も見つからないという有様である。

幕末の国学者であった曙覧は、時代の趨勢のなかで、やはり勤皇の志しが強かった。「赤心報国」はその志を吐露した男性的な歌である。

国を思ひ寝られざる夜の霜の色月さす窓に見る剣かな

昨年、日本詩吟学院の吟詠コンクールの課題吟に、橘曙覧のこの歌が選ばれた。詩吟を吟じるものは、作者の人となりや心のありように思いを馳せながら、自らの吟を磨いていくべきであろう。
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