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送り盆を終えた。妻の実家には、仏壇のお参りに二つのお寺から坊さんがやってくる。墓のあるお寺のほかに、歯骨を埋葬しているお寺がある。お寺とのつきあいのない身にとってはとまどうことも多い。本当は夕方になって送り火を焚いて送るのだが、この暑さでは涼しいうちにということで早々と送りを済ませた。
お盆になると獄吏が休むので、地獄の釜の蓋が開いてこの世に帰ってくる。こんなのは俗信なのだろうが、年上の兄弟からそんな風に聞かされてきた。では先祖はみな地獄にいるのだろうか。正直を通して貧しく生きた来た義父も、地獄にいなければならないのか気にかかる。ものの本で、帰ってくるのは黄泉の国からということが分かった。そして去って行くのは「常世の国」と記されてあった。ひとまずは安心である。
月光にもゆる送り火魂送り 橋本 多佳子
この句に免じて、早めに送った魂には、常世の国で来年までやすらかに過ごして欲しい。
義母の食事が済んでから、蔵王へ涼みにいこうということになって、車を走らせる。平地では30℃を越えていた気温が、蔵王温泉の手前で26℃。空は雨雲が広がり、温泉で23℃を示した。信じられないような涼しさである。蔵王といえば名物のジンギスカン鍋。きょうの昼飯はこれに決めた。
かつては近所のご家族と一緒に、龍山を越えて共同浴場でひと風呂浴びてから夕霧のジンギスカンを食べた。野菜が足りないといって、わざわざ家でキャベツやタマネギなどを刻んで持参した。店の人は鷹揚にこんな持ち込みを許してくれたものだ。その夕霧はもうない。温泉の看板をたよりに、「ろばた」に車を止める。
「ろばた」のジンギスカン鍋も、かつての夕霧に劣らぬ美味であった。隣に席を取っていたご夫婦がしきりに鍋にカメラを向けている。聞けば、知り合いにここのジンギスカンを自慢するためだという。「ここの菜飯はうまいですよ」皿には青菜の葉にくるんだお握りが置かれていた。山形では海苔のかわりに青菜漬けの葉に飯を握って食べるのが昔から慣わしである。これがうまいと言うのは、ある世代である。つまり、戦後の食料難の時代に、かて飯など本来の素材のかわりを工夫して時代を乗り越えてきた世代である。
私を含めてこの世代は、おいしいものに飢えていた。鄙びた温泉に名物を求めてやってくる人の気持ちがよくわかる。