
鬼を「岩波古語辞典」で引いてみる。1 恐ろしい形をした怪物。オニということばが文献に現れるのは平安時代に入ってからで、万葉集では「鬼」の字をモノと読ませている。モノは直接いうことを避けなければならない超自然的な恐ろしい存在であるのに対し、オニは、本来は形を見せないものであったが、後に異類異形の恐ろしい怪物として想像されたと記載されている。
鬼についてこんな辞書の解説を頭の隅において、次の話を読んでほしい。
深窓の女というは、古代の高貴な娘は世の男はもちろんたとえ兄弟であっても男には顔を見せないような育て方をされた女のことだ。いまどきの世相からは考えもつかないが、こんな深窓の女が美形であるという噂が立てば、世の男は何とかして近づきになれないかと、あの手この手と試みる。このアプローチが困難であればあるほど男の気持ちは高ぶる。
やっとのことで、この深窓の女なるものを、連れ出すのに成功した男がいた。男の背に負ぶさった女は、いつもまわりの付き人に手をかけられているから、恐怖心というのがまるでない。好奇心にみちみちている。草葉を見ては、あれなあにと、あどけなく聞く。男はそれどころではない。空がかき曇って、雷がなり強い雨が降ってきたので、やむなく校倉のなかに女を押し込め、自分は弓、やなぐいを背負って不審な者が来ないか見張っていた。
男は早く夜が明ければいいと、思っていると倉の中にいる鬼が素早く女を一口に喰ってしまった。女は「ああ」と叫んだが、雷鳴に消されて聞えなかった。夜が明けて、男が倉のなかを見たが連れてきた女がいない。男は泣き叫んだがどうすることもできない。男は歌に詠んだ。
白玉か なにぞと人の問ひし時 露と答へて 消なましものを
この深窓の女こそ清和天皇の后、高子である。高子の兄弟の基経と国経が高子の泣き声を聞きつけ妹を取り戻したのを、鬼が喰ったと言ったのである。この物語から鬼一口という言葉ができた。つまり鬼が大きな口で人を喰うことを意味している。この話は、伊勢物語にある。女を連れ出したのは、色好みで名高い在原業平である。
上田秋成の『雨月物語』にはこんな話がある。
妻を裏切った男が、鬼となった妻の亡霊に魅入られる。男は陰陽師に厄除けの呪文を書いてもらい戸毎に貼って家に籠もって42日間を過ごすことになる。鬼は夜毎に家の周りをめぐり、入りこむすきまを探すが、護符にさえぎられて男にとりつくことができない。鬼が身もよだつような呪いの声を発するが、男はじっと耐える。朝になって隣の男と壁越しに夕べの怖さを伝え、何とか慰められて41日を過ごす。最後の一日の怖さはこれまでにまして凄かったが、ふと、呪いの声が止んだ。
夜がしらじらと明けて、窓から光が入ってきた。隣の男が「さぞ苦しかったでしょう。さあ、戸を開けますからこちらへ来て顔を見せてください」と言って、戸を半分開けたとき
「ああ」という叫び声がした。隣の男が外をうかがうと、まだ外は闇夜であった。鬼が最後の力をふりしぼって、光を放ち窓を明るく見せたのである。声がしたあたりを探すと男の死体はなく、髻だけがぽつんと落ちていた。
夫の裏切りへの鬼となった妻の復讐譚である。たしかに鬼は恐ろしい形をした見るも無惨な怪物である。裏切った男にとっては、その鬼の恐ろしさは何倍にもなる。地獄の獄卒としても鬼が出てくるが、死者の生前の悪行を見逃すことはない。鬼は懲悪のシンボルとして、古くから日本人の心に棲みついていた。