北海道で生まれた私は、ジャガイモに育てられたといってもいい。家の畑には3反部ほどのジャガイモ畑があり、夏の終わりには収穫を手伝ったものである。北海道でジャガイモの大規模栽培を始めたのは、函館ドックの川田吉夫男爵であった。明治40年ころ、種芋をイギリスから取りよせ、肥料や農機具も輸入する新しいもの好きだった。ジャガイモが男爵イモと呼ばれる所以は川田吉夫が始めた北海道のジャガイモ作りによっている。
1888年にアメリカに移民し、カリフォルニアでポテト栽培Iに成功し、ポテトキングと呼ばれた牛島謹爾を忘れてはならない。アメリカで最も有名な日本人と言っていい。カリフォルニア州ストックトン郊外に広がる肥沃なデルタ地帯に目をつけた牛島は、ここに大規模なポテト農場を開拓した。これが見事な成功を収め、その収穫量はアメリカ全体の95%を占めるまでなったいう。
だが、日本排斥運動が広がり、そのなかで日本とアメリカの橋渡しに尽力したが、1926年日本への帰国を決意し、帰国途中の3月20日、ロスアンゼルスで客死した。享年65歳であった。
ポテトチップスはジャガイモを輪切りにして油で揚げたものだが、これが普及するのはまったくの偶然である。所はやはりアメリカの有名な観光地サラトガ温泉にあるホテルのレストランでの出来事である。
そこで働いていたコックの一人が、ジャガイモの小片を誤ってフライ鍋に落としてしまった。これを掬いとって食べたみとところ、なかなか美味しい。それではと、今度はジャガイモを輪切りにして、本格的に揚げて、いろんな料理の付け合せにしたところ、思いのほかの大好評。あっという間に評判になり、ホテルの名物になったのである。
サラトガ温泉は当時の高級リゾート地で、上流階級が逗留するので有名であった。この温泉で、紳士、淑女がポテトチップスをパリパリと齧るのが流行した。その発祥の地にちなんでサラトガチップと呼ばれた。