
文政5年(1822)3月12日、第9代米沢藩主上杉鷹山が72歳で没した。名君中の名君と言われ、内村鑑三が『代表的日本人』のなかの5人のうち取り上げ、この書を読んだアメリカ大統領のJFケネディやビル・クリントンが、最も尊敬する日本の政治家と演説の中で紹介したことで知られている。
「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは 人の成さぬなりけり」という分りやすい名言を吐いたことで、いまなお米沢に人々の心のなかに深く息づいている。
鷹山公が隠居してからのことであった。領内での軽い身分の侍が、母の長の患いで家計が困窮し、薬代もままならぬ状態に陥った。そこで、父祖の代から大切にしていた庭の松を手放して、薬代の足しにしようと考えた。形のよい松でもあったので、5両になるだろうと、買い手を探した。だが、誰一人買おうとする者がいないので、値を半分に下げた。それとて、気の毒にと思う人ばかりで、買う人が見つからない。
たまたま、鷹山公の侍医がこの話を聞き、公が常々松を鍾愛していることを知っていたので、御前に出て、「殿のお慰みにお求めになられれば、松の持ち主も本懐を遂げるでございましょう」と申し上げた。この話を聞いた鷹山公は、しばらく考えて、侍医に伝えた。
「余が松を愛するのは慰みの為だ。人が持っていた松が入らなくなったのなら、買い入れもしよう。だが、父祖の代から秘蔵した松を、貧窮のために手放し、それを園中に入れて見れば、その松を見るたびにその者の心中を思い不憫を感ずるばかりだ。ならば、買い入れは無用である。だが、その者の貧窮は不憫なことだが、手当てを取らすことも、隠居の身では成りがたい。そこでどうであろう。初めに言った代を取らせて買い、松はその者に長く貸し付けることにしては。主人の松を預かっていては、いささか気苦労が多いだろうが、これまでと変わりなく手入れをするがよかろう。この代で母の薬を調え、ねんごろに看病するがよかろう。」
松の持ち主が、鷹山公のこれほど行き届いた思いやりに、感泣しただろうことは容易に想像がつく。名君としての名声が、200年後の今日まで言い伝えられているも、藩の人間を思いやる心が深かったためであるに違いない。