夏タイヤに変えに行った板金屋さんの事務所に、鉢植えのみかんの花が咲いていた。この地方にはみかんは育たず、みかんの花を見ることは珍しい。ストーブを焚く温室のような暖かい室内だから育ったように思う。白い花は実にやさしい形をしていた。みかんの産地では花が咲くのが5月頃というから、この季節に見られるのは稀有なことである。
昭和21年の8月25日に、童謡歌手川田正子がラジオで歌った「みかんの花咲く丘」は、大反響を呼び、国民的唱歌になった。
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく かすんでる
NHKのラジオ番組「空の劇場」で、東京の本局と伊豆を結ぶ2元放送で、当時人気歌手であった川田正子を伊豆の学校に待機させて歌わせることになっていた。新作の歌の依頼を受けていた海沼実は放送日が迫っても歌を完成できずに焦っていた。そこへ現われたのが雑誌編集者の加藤省吾であった。加藤は詩も書いていたから、事情を説明して急遽歌詞を書いてもらった。海沼が歌を書き上げたのは、放送前日の汽車のなかであった。車窓には青い実をつけたみかん畑が広がっていた。