常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

湯西川温泉

2013年03月29日 | 旅行


孫が高校を卒業して、四月から歯科専門学校に入る。そのお祝いを兼ねて、両親の家族が湯西川温泉に一泊旅行をする。湯西川温泉は平家落人の湯として知られる。それはこの温泉が深い山中にあることによって現実味をおびる。

東北高速道を西那須野塩原インターで下りて国道400号を塩原方面へ走る。この道は去年同じメンバーが集まった塩原温泉へと同じ道であったので記憶に残っている。この400号を西へ会津鬼怒川線121号との合流点へ向かう。すでに道は渓谷に添った山道である。日影になった斜面に所々残雪が見える。

降雨量が200ミリに達するとこの道は通行止めになる、という表示が随所に見える。ほとんど他の車ととも行き会わない寂しい山道を走ること小1時間、ようやく湯西川温泉の看板が見えほっとする。やがてトンネルの続く道に湯西川温泉道の駅に着く。ここから川沿いとダムサイトのトンネルを過ぎて、鄙びた湯西川温泉に着く。



湯煙の見える金井旅館は渓流・湯西川の辺に建っている。岩盤を流れる水は清く澄んでいる。ここでも渓流釣りをするのであろうか。泊り客から、「魚を釣ってきたんですか」と聞かれた。旅館のすぐ前に掛かる赤い「ゆぜん橋」は、渓流の景観のアクセントになっている。



渓流の上流に目を転ずると、川の両岸に温泉旅館と明朝朝食を摂る豆腐屋「会津屋」の古い様式の建物が見える。いまは瓦葺になっているが、もとは藁葺き屋根であった。



温泉は透明で気持ちいい湯であった。ひと風呂浴びてからの夕食は、自然の食材を生かしたおいしいもであった。特に湯葉と甘エビの刺身は絶品、湯葉の濃厚でとろけるような舌触りは感服した。旅館の社長が打った手打ちそばは、こんな自然ゆたかな環境で味わえる上品なものであった。

フキの煮物、カニと鱈の寄せ鍋、ひき肉と味噌をヘラの上で焼いたもの、鮎の塩焼きと珍しいものではないが、堪能できた。



食後にオーロラファンタジーを見物。広場に煙を焚きその上に色とりどりのレーザー光線を照射して、夜空にオーロラのような彩りに見物人の喚声が上がった。夜の8時ころであったが見物する人は数百人を数えた。(続く)

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春眠暁を覚えず

2013年03月29日 | 日記


「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く」この句に初めて出会ったのは、高校に入った「漢文」の教科書である。読んですぐにこの詩が気に入った。春は気持ちよく眠れて、夜が明けたことさえ知らずに寝ている。あちこちで鳥のさえずりが聞えてくる。字句通りに読めばそうだが、この句には裏の意味がある。唐時代のお役人は、科挙という難関の試験にパスして、朝廷へ出るのだが、その勤めは星が出ているうちに家を出るのだ。とても朝寝して、鳥の鳴き声を聞いている余裕などないのだ。

朝廷での勤めは厳しいものがあった。同僚たちとの出世競争もあったであろうし、上司のいやがらせなど日常茶飯事で、遠国への左遷も常に行われていた。難関をパスするために身を削るような努力をしたのだが、勤めてしまうと朝廷を離れた閑適の生活が一種の憧れでもあったのである。「春眠暁を覚えず」の句はそんな閑適生活を著わす常套句でもあったのだ。

続いて、「夜来風雨の声 花落ちること知んぬ多少ぞ」と転結の句がある。この句も分りやすく、「そういえば夕べは風が吹いていたなあ、花はどれほど散っただろうか」と庭の木に咲く花を思いやるのだ。

井伏鱒二はこの句を簡潔な日本語に写している。

ハルノネザメノウツツデ聞ケバ

トリノナクネデ目ガサメマシタ

ヨルノアラシニ雨マジリ

散ツタ木ノ花イカホドバカリ

この訳詩からも、孟浩然の閑適を楽しんでいるニュアンスは出ていないようだが、同時にその閑適生活にも、明日暮しへの不安も打ち消すことはできない。
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