丹柿(たんし)、赤い柿の実。青空に柿の実が映えるのは、日本の秋の風景である。しかしこれは漢語で、陸游の詩に「緑橙と丹柿と時新を闘わす、一笑して聊か老いて健やかなる身を誇る」という句がある。緑の橙と赤い柿が盛りを競っている、それを前に酒席の一同に自らの元気を誇っている。陸游80歳のときの詩である。晩年になって輝きを増す、その象徴を丹柿とすれば、どうして儂もこうして元気だよ、とその健康を自慢している。
陸游は父が北宋の都汴京へ赴任する船中で生まれた。1125年のことである。ところがこの年北宋は女真族の金に滅ぼされ、揚子江南中国に局限された南宋と金が対峙する時代が150年も続く。しかもその150年後、モンゴルが南宋と金を攻め滅ぼしてしまう。まさに中国受難の時代だ。その苦しい150年の半分を、陸游は生き抜いた。80歳で、自らの健康を誇った陸游も1205年、死の床につく。そこで、あの詩「児に示す」を詠んだ。いわば、陸游の遺言である。
児に示す 陸游
死し去れば 元と知る 万事空しと
但だ悲しむ 九州の同じきを見ざるを
王師北のかた中原を定むるの日
家祭 忘るる無かれ 乃翁に告ぐるを
死の床で詠んだ詩は、死んでしまえば万事おしまいであることは分かっている。だだわが国土が二つに別れて一つに統一する姿を見ずに終わるのは悲しい。帝王の軍勢が北を攻めて中原を平定したその日、家で祭りをして祭壇でこの父に知らせるのを忘れるでないぞ、と命じた。