常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
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夕陽

2015年10月06日 | 漢詩


森春濤は文政2年(1819)年、尾張一の宮の医家に生まれた。医師であった父は、春濤に医学を学ばせようとして、岐阜にある親戚の眼科医に預けた。ところが、春濤が興味を示したのは、浄瑠璃で、その専門書ばかりを読んでいた。見かねた父が「幼学詩韻」という本を買い与えたところ作詞に開眼した。後に梁川星巌に師事し、大沼沈山と知り合い、作詞でお互いに切磋琢磨した。明治の漢詩壇において重鎮となった。代表的な漢詩に「岐阜竹枝」がある。

 岐阜竹枝

郭を環りて皆山にして紫翠堆し
夕陽人は倚る好楼台。
香魚は上らんと欲して桃花落つ
三十六湾春水来る。

詩は春の宵、長良川のが蛇行する歓楽街にある館の情景を読んでいる。日が落ち始めて、周りの山々は赤く染められ始めた。遊郭の楼台には客待ちをする女が、手すりに凭れている。桃の花が川面にひらひらと落ち、館からは三味線の音が聞こえてくる。折から川には、アユが群れをなして登ってくる。竹枝は、土地土地の風俗や男女の情を読む小唄のような漢詩である。

春濤の子槐南は父の薫陶を受けて漢詩の道に進んだ。永井荷風の義父鷲津毅堂、三島中洲からも漢詩を学び、伊藤博文の漢詩の師となった。日本漢詩が隆盛を極めた時代である。中国の詩であるが、日本で漢詩を作る文化が広い層に支持された。
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