
みのむしはミノガの幼虫が越冬するため入る巣(カイコであれば繭)が蓑の形しているから、こう呼ばれる。もう30年も前に見て以来、長い間見ることもなくなっってしまった。とはいえ成虫になった蛾は、ときおり見かけるから、みのむしはどこかで越冬の準備を始めているはずである。
枕草子にみのむしの話がある。清少納言は子どもとも別れ、夜なく虫の音に心を乱された。鈴虫やキリギリスが鳴くにつれ、泣いたわが子の声が思い出された。
「みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似ておそろしき心あらむとて、親のあやしききぬひき着せて、「いま秋風吹かむをりぞ来んとする。まてよ」といひおきて、にげていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いといみじうあはれなり。」(枕草子43段)
息子がまだおさな子であったころ、庭の梅の木に下がっていたみのむしを捕らえて、「これ何?」聞かれた。「これはみのむしね。鬼が生んだ子と言われているのよ」と答えた。みのむしが、鳴くわけではないから、子どもに聞かせる昔語りでもあったであろうか。鬼の親は、蓑の形をしたあやしい衣を着せていずこへか逃げてしまった。秋が来ると親が来ると信じたみのむしが、「ちちよ、ちちよ」と鳴いたと語って聞かせた。
翻って清少納言自身、子どもを捨てるようにして、別れて来た。親とも死に別れ、一人暮らしの夜に聞く虫の音のなかに、親を待つ子の鳴き声が聞こえてきたのであろう。「いといみじうあはれなり」という述懐は、清女の身の上を考えることによって、さらに深い意味を持ってくる。
