今年は秋の深まりが早い。青空に刷毛で刷いたような巻雲は美しいが、変わりやすい秋の天気の象徴でもある。東に聳える竜山に目を向ければ、頂上付近がすでに紅葉している。台風23号が太平洋を北上中で風が強く吹いている。晩年の斎藤茂吉は、秋から冬へと移る大石田の淋しい季節のなかで病を癒す日々であった。
うるし紅葉のからくれなゐの傍に岩蕗の葉は青く厚らに 斎藤 茂吉
斎藤茂吉は昭和20年、東京の戦禍を避けて上山に疎開した。妹が嫁いだ先の家であったが、妻の輝子や娘が同居したため、手狭であった。翌年の春に、大石田の板垣家子夫をたより、大石田に住むことになった。大雪の大石田は、茂吉にとってもなかなか過酷な環境変化であった。3月になって風邪を引いたと思ったが、高熱を発し、湿性肋膜炎であることが判明した。医師の往診を仰ぎ、看護婦が付き添って看護した。病が平癒したのは、その年の秋であった。病床から離れられない茂吉は、花、苺、桜桃など身近な静物を傍らに置いて写生することで、気分を癒した。
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春を惜しまむ
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにかるかも
大石田で詠んだ茂吉の絶唱は、歌集『白き山』に収められた。敗戦を受け入れ、年老いた茂吉の悲しさが、この歌集には凝縮して詠み込まれている。