常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

村上春樹

2012年04月19日 | 日記


新聞に気に入った作家の記事が載るとこころ楽しい気がする。
「人生観変える。それが小説の力」村上春樹ハワイ大で語るーーーこんな見出しの記事が17日付けの朝日新聞に載った。

村上作品をほとんど読んでいるというハワイ大院生、アレン・チェンさん(35)のコメントが紹介されている。

「都市部に住み、集団の中にいながらも感じている若い世代の孤独を、うまく表現しているところが彼の作品の魅力だ」

私がこの作家の作品になぜこうも魅せられるか、はっきり言ってわからない。村上春樹を薦めたのは、娘からのファックスであった。日ごろ自分の仕事で忙しい娘は、ほとんど電話もよこさないのだが、たまに思いついたように読んで面白かった小説を箇条書きにして送ってくる。そのなかに村上春樹『海辺のカフカ』があった。

娘も都会に住み、孤独を友として仕事をしているのであろう。甲村記念図書館、この小説の主人公が家を出て、四国の知らない街で暮すようになる舞台だ。ここでカフカ少年はバートン版『千夜一夜物語』を読む。
話はカフカ少年の見知らぬ街の図書館での人との交流と平行して、猫と話ができるナカタさんの戦争を含めた不思議な体験の話が進められる。

この小説のキーとして提出されるのが、不思議な石だ。その石は異界への出入り口として機能する。石と語り合ったナカタ老人は、カフカのいる甲村記念図書館に辿り着く。こうして物語は一本の線へと収斂され、使命を遂げたナカタ老人は眠るような死を迎え、主人公たちは現実へと戻っていく。

このストーリー展開の手法は、一番新しい『1Q84』にも踏襲されている。村上春樹ワールドと呼ばれる所以であろう。その後には文庫化している作品を殆ど買い込んで貪るように読んだ。一晩に一作づつという体験も、長い人生のなかで初めてすることができた。

『ノルウェイの森』『スプートニクの恋人』『ダンス・ダンス』『アンダーグランド』『遠い太鼓』『ねじまき鳥クロニカル』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『国境の南、太陽の西』などなど。




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菅野良吉さんの死

2012年04月18日 | 日記
遅い春を催促するような爆弾低気圧が日本列島を吹き抜けるように通過していったころ
菅野良吉さんの命の灯火もこの強風の前に吹き消されそうになっていた。昨年の3月に長年連れ添った糟糠の妻を亡くしてから、病魔が良吉さんの体を蝕んでいった。

私が最後に良吉さんにお会いしたのは昨年の初夏のころであった。奥さまの仏前に線香をあげるために訪れたのだが、もうその時、居間に伏せておられた。やせ細って元気のない様子ではあったが、「ありがとう。よくきてくれたな。」と人懐っこい笑顔を向けて話された。

尾花沢市大字寺内。最上川の支流である野尻川沿岸に位置するこの地方は、最上氏の領として拓かれていった。江戸から明治にかけての家数90、人口400ほどの集落は、すでに奥羽山脈に阻まれてこの規模を変えていない。明治22年から福原村、昭和29年からは尾花沢町、昭和34年からは尾花沢市の大字となった。

菅野良吉さんは大場家から菅野家へ入り婿したのだが、農業のかたわら、村会議員、町会議員、市会議員を務め、この地域のために尽力した。議員辞職後も統計事務扱い、民生委員などの要職を歴任、地域の人々の人望も厚かった。平成15年にはその功績が認められ、藍綬褒章を受章した。

農業にあっては米作のほかトマト栽培を手がけ、広い倉庫一面にトマトを並べて出荷に備えた。トマトは赤くなり過ぎると、市場に出てからの足が速く、売りものにならないため、早めに収穫して倉庫に置いて出荷を待つのだ。

お盆近くなるとトマトの収穫も終えるので、このころ木で真っ赤に完熟したトマトをいただいたことがある。「どうせ売り物にはならんのだから、欲しいだけ持っていきな」と言って大きな籠いっぱいに完熟トマトをもいでくれた。そのトマトの味はいまでも忘れられない。

4月17日、いつもの年なら桜も咲いているころであるが、葬儀の会場周辺はまだ見渡す限りの雪原であった。こんな雪原のなかに静かに眠りについて良吉さんは何を思ったであろうか。この地区から後継として久しぶりに市会議員になった青野氏の弔辞に、生前の良吉さんの心を語る場面が語られた。

「どうか、この地区のためにがんばってくれ」

それほど、豪雪地帯のこの地域の環境は農業にとって不利な条件が重なっている。最上川と月山、葉山の山系が季節風を袋小路のようにこの地区にとどめて豪雪をもたらし、夏には太平洋から吹くヤマセが鍋腰峠の鞍部から吹き込んできて稲作に悪条件をもたらす。

ましてや、この冬の誰もが経験したことのないような豪雪である。例年ならもう始まっているスイカの定植は、その時期さえわからない。日本一といわれるスイカの産地で、栽培農家は空を見ながら、その推移を憂慮している。
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アサツキ酢味噌和え

2012年04月15日 | グルメ


晴れ、最高気温18℃。春を実感、畑では汗が出る。
アサツキはぐんと伸びて、これ以上置いておかれないと判断し、すべて収穫する。ニンニクも一段と伸び、ニラの赤ムラサキの新芽が成長を始めた。

アサツキは豪雪地帯の野草だ。ネギの仲間で根を切って水洗いをしていると目から涙の出る刺激臭だが、この風味は春を告げる風味である。昨日、五七日の法事でお参りしてきた尾花沢のスミ江叔母さんは、生前春先に訪れたとき雪のなから黄色いアサツキを掘り出し、手の切れるような沢水で洗い、根を切ってお土産に持たせてくれた。心のこもった雪深い里の進物はいまもなつかしい思い出として心中深く刻まれている。

その黄色いモヤシのようなアサツキは、日に当たるとみるみるうちに緑色に変わっていった。口にしたときの甘み、口中に広がる風味は忘れられない味となった。
それから何年かして、行きつけの床屋の主人からアサツキ掘りの話を聞いた。スコップをかついで雪のある里山へいき、アサツキを掘ってくるのだと言う。「木の周りは雪が早く融けているのよ。そこでアサツキを見つけたら、雪を掘って、まだ黄色いアサツキを採ってくるんだ。俺は根を取ってさっと湯がいたのをだし汁に卵をといてソウメンを啜るように食べるのが好きだね。春の精気がいっぱいでね、あそこがビンと立つんだよ」

雪の下から日を求めて成長を続ける生命力。それを食することによってその力をもらうのだ。この年から雪の中のアサツキ掘りが春の恒例行事となった。掘ったアサツキを網に入れて根を洗って家に持ってくる。妻は根を切りゴミをとるのに2時間も3時間もかけて、小鉢に盛ってたった一回の晩酌の友ができる。こんな手間ひまをかけた献立を選ぶのは、春を迎えた喜びを満喫したいがためだ。

去年、借りた畑にアサツキの鱗茎を植えつけた。
春の訪れとともね、アサツキの緑だけが畑の隅を彩っている。今年のそれは野草とは違って根も太く、扱いも格段に楽だ。アサツキの処理をことしは妻に代わって自分がやってみた。楽なはずの根きりも一人でやると、足も手も痛くなる。しかし、一皿の酢味噌和えはその労に報いるに十二分であった。
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五七日法要の法話

2012年04月14日 | 日記
2月に亡くなった叔母の五七日法要に尾花沢に行ってきた。
さすがにこのところの暖気で雪も融けただろうと想像していたが、いまだに田畑は雪に埋もれ見渡すかぎりの雪原が広がっていた。

スイカは遅くなるな、まだ準備もおぼつかないから、との声しきりであった。
この家の寺は集落のなかにひっそりと息づいている、近所のお寺、という気取らない素朴そのものという印象を参列者に与えた。

まだ年若い先代を受け継いだ女性の住職は尼さんという風貌ではなく、父と二人であげるお経は声の響きが調和し、この寺の跡継ぎの風格を備えていた。住職のお経が終わり、暫時の法話があった。

決して上手とは言えない、訥々とした語り口であった。
五七日の法要と言うのは、中国から伝わった風習なんです。亡くなった方の7日毎のお参りの5回目35日ですが、この日は閻魔大王が故人を地獄へ送るか極楽へ送るかの裁きをする日です。誰も地獄へは行きたくないから、法要をするという風習が中国から伝わったのです。

住職は言葉を継いだ。
親鸞上人は人が死後、その行いによって極楽へいくか、地獄へいくかという考えには立っていません。人は浄土から生まれて、死後はその生まれた浄土に帰っていくのです。浄土というのは、命の源ですね、清らかな土地です。行いの良し悪しで行く先が決まるのでなく、生まれながらして誰もが浄土に帰っていくように決められているんです。

地獄極楽というのは死後にあるのではなく、人が生きている現世にこそあります。
楽しいことがあってよかった思うことがある反面、辛く悲しい場面に人は立たされます。これが地獄なんです。その時、どうしますか。

自分の力でこの難局を切り抜けようとしても、人は微力です。
先人はこの場面でどうしたかな、亡くなったすみ江さんならこうしたなということが、人に決断の力を与えてくれるのです。五七日の法要でこんな考えを持って故人を偲んでいただければ幸いだと思います。

3.11の大震災から1年、日本中がいまだ復興の道筋を見出せないでいるなかで、この雪深い辺鄙な集落で、年若い女性住職の言葉の力に勇気づけられた。

梅原猛は『地獄の思想』のなかで述べている。「地獄の思想は、人生の苦を教え、人生の無常を教え、人生の不浄を教えた。それは明るく正しい神道的世界観からみれば、まったく異質の自己反省であった。しかし、その自己反省によって、魂はなんと豊かに、なんと深くなったことであろう。日本人はこうして暗い思想をも自己のなかに深くとり入れた。それによって、日本人の生の力の強さと健康さを証明した。」

この地にも、春が遅まきながらやってきた。地獄とは日本人が取り組んできた永遠の課題である。原発という地獄のなかにいまの日本はあるように見える。
斉藤茂吉が詠んだ「地獄極楽図」をいま一度かみ締めてみよう。

いろいろの色の鬼ども集まりて蓮の華にゆびさすところ

人の世に嘘をつきけるもろもろの亡者の舌を抜き居るところ

罪計に涙ながしている亡者つみを計れば巌より重き

にんげんは牛馬となり岩負ひて牛頭馬頭どもの追ひ行くところ (明治39年作)
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バナナ酢

2012年04月13日 | 日記


生活習慣病とは高齢者、特に自分にとってやっかいな病だ。特に症状がでるわけでもなく、毎日の生活を悪習慣と認識しているわけでもない。知らず知らずのうちに、血圧が上がり、尿酸値が上がり、血糖値が上がっていく。

昨年足の脾骨を骨折し、動きが少なくなったことに加え、食事のカロリーは落としきれなかった状況で数値がいずれも跳ね上がった。昨年の秋から減量に取り組み、一日の摂取カロリーを1600キロカロリーに押さえ、ウォーキング、階段登り、週末の登山と運動メニューを強化した。

100日計画として、とにかく100日がんばろうと決めて実行した。結果はこの100日で5キロの減量に成功。血糖値のコントロールを見るHba1Cは5.5と安全圏を実現した。今日この前の血液検査を聞いてきたが、やはりHba1Cは5.5、空腹時100mg。尿酸7.5、血圧上140、下72の結果であった。

今、力を入れて取り組んでいるが血圧管理だ。
買ってきた本によると、降圧剤による血圧管理の問題点が指摘されている。降圧剤では確かに心筋梗塞のリスクは下げられるが、逆に死亡率は上昇する。高齢化して血管が硬化するため、脳などに送る血液が送りきれない問題がある。

そこで薬によらない飲み物としてバナナ酢が推奨されている。
100gのバナナ、100gの黒糖に200ccのりんご酢を加えて広口瓶に入れてレンジで40秒加熱して出来上がり。一晩置いてから、180cc水にスプーン3杯ていど加えて飲む。今日作ったものが3本目。3週間分飲める。

ほかにお湯飲みもやってみたことのひとつ。
朝起きぬけに180ccのお湯を少しふーふーするぐらい熱さのものを飲む。一日3、4杯をお茶代りに飲むといいという。コーヒーや緑茶は利尿効果がありすぎて弊害ありと書かれている。いずれにしても、薬にたよらないで血圧を安定できればそれに越したことはない。

こんな日常とは対照的に世界の情勢はめぐるましく動いている。北朝鮮では、金日成生誕100周年の祝日を前に打ち上げた人工衛星の打ち上げに失敗。国際社会からの非難をよそに強行した打ち上げだったが、この失敗のあとどんな動きをみせるのか、予断を許さない。
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